◆第一話『全70階』
「《ストーンウォール》、出しても出してもすぐボロボロになるんだけど……っ!」
「あと少しだ! なんとか持ちこたえてくれ!」
試練の間に飛び交う大量の岩石。
それらが床や壁に当たるたび、地震のような揺れが起こり、また轟音を響かせる。あまりにも激しい戦闘にアッシュは頭がどうにかなりそうだった。
正面の奥、盾を構えたレオの向こう側に見上げるほど大きな巨人が立っていた。前後左右、天井を睨むように5つの顔を持ち、胴体からは数えきれないほどの手が伸びている。
黒の塔70階。ヘカトンケイルと呼ばれる巨人のうちの1体だ。初めは3体だったところを減らしてここまできたのだが……案の定、敵が狂騒状態へと入った。
試練の間の壁や地面を抉り取っては投げつけてくる。岩石1個の大きさはおおよそ人ひとり分だが、数が多すぎてまさに岩石の雨といった様相を呈していた。
今回、得物はスティレットとソードブレイカーのみ。
ハンマーアックスを持ってきていないため、岩石を撃ち落とすことはせずに回避でやり過ごしていく。
レオはというと盾で受けきり、後衛組は《ストーンウォール》で凌いでいる状況だ。
「4つ目、潰した! 残りは頭頂部だけだ!」
後方からルナの声が飛んできた。
敵の頭部に貼りつけられた5つの顔。それらすべてを潰せば倒せることはほかの2体で検証済みだ。しかし、なかなか接近する機会がなく、ルナの弓矢に頼っている状況だった。
「クララがサイレンス食らった!」
またルナの声が聞こえてくるが、今度は切羽詰まっている。
肩越しに背後を窺うと、後衛組が岩石から逃れんと駆け回っていた。数が数なだけに、いつ当たってもおかしくないぐらい危なっかしい。それに《ストーンウォール》という障壁を失い、ルナも攻撃に転じられないようだった。
「僕が受ける! いまのうちに!」
レオが叫びながら盾を床に打ちつけた。煌いた盾を中心に敵とこちらを遮るように光の障壁が張られる。《虚栄防壁》――レオの血統技術だ。
彼が脅威と感じた攻撃を遮断できるが、その衝撃は彼自身へと与えられる諸刃の血統技術だ。現に敵の猛攻撃を前に、レオの顔が苦悶に満ちていた。それでもなお彼は前へと進み、敵との距離を詰めていく。
おかげで敵までの距離がかなり短くなった。あれなら一気に接近できる。アッシュは身を低くしながら、疾走。《虚栄防壁》から飛び出した。敵がこちらに標的を変更し、集中して岩石を放ってくる。
それらをアッシュは床を転がりながら躱した。起き上がりざまにスティレットを素早く突き出し、光の笠を放つ。鋭い白の光が敵の左足を捉え、貫いた。
敵が低い呻き声をあげながら倒れ、その頭頂部がこちら側へと向けられる。
「ルナッ!」
促したのとほぼ同時、ルナの矢が敵の頭頂部――顔を射抜いた。
もがき苦しむ敵にアッシュは再び肉迫し、その額にスティレットを突き刺す。が、暴れ狂った敵の頭部に振られ、すぐさま弾き飛ばされた。床の上を幾度か跳ね転がったのち、即座に起き上がって体勢を整える。
と、すでに敵が消滅をはじめていた。
さすがに白の属性石9個分の効果を持つスティレットとあって、黒の魔物への威力は抜群だったようだ。
じゃらじゃらと落ちた大量のジュリーに4匹のガマルたちが群がりはじめる。魔物を倒した証拠でもあるその光景を見ながらほっと息をついていると、レオが近くまでやってきた。
「おつかれ」
「おうっ、おつかれ」
互いの得物を軽く打ち合わせ、鞘に収める。
「序盤のほうがきつかったね」
「っても、後半もレオがいなかったらかなり厳しかったぜ。……大丈夫か?」
「うん。ベルグリシに比べれば、このぐらいはね」
レオは肩を竦めながらけろっとした顔で言った。
多少の切り傷はあるが、やせ我慢というわけではなさそうだ。
「これで全部の塔で70階、突破だね」
「1ヶ月もかかっちまったな。……俺たちが全部の塔で60階を突破してたらもう少し早くいけたんだけどな。悪い」
「気にしないで。もとよりきみたちと組まなければここまでこられなかったんだ」
レオと合流したとき、いまだ60階を突破していない塔があった。一度突破した試練の間には入れないため、彼には待ってもらわなければならなかった。そういった経緯もあり、予想していたより時間がかかったというわけだ。
「んーっ、んぅ――っ!」
くぐもった声が聞こえてきた。
そちらを見れば、口を閉じながら両手をぶんぶんと振り回しているクララがいた。懸命になにかを喋ろうとしているが、まったく聞き取れない。
「……サイレンス、まだ解けてないのか」
「なんて言ってるのかな?」
そうして首を傾げて真面目に考えるレオ。
呆れたようにクララの隣に立ったルナが代わりに答える。
「たぶん、主を倒したんだから今日はこれで終わりだよね、とかそんな感じじゃないかな? ……ほら、やっぱり」
そのとおりとばかりにクララが高速で頷いている。
相変わらずの彼女らしい提案だ。
いますぐ71階を覗きたい気持ちはもちろんある。だが、今回の戦闘では体力だけでなく精神的にも大幅に消耗させられた。
7等級階層よりもさらに難度が上がっていることを考えれば、万全の状態でないときに挑むのはやめたほうがいいだろう。
「まぁ……中途半端になるかもだしな。そんじゃ、楽しみは明日に取っておいて今日は切り上げるか」
「んーっ!」
クララの嬉しそうな呻き声が試練の間に響き渡った。
◆◆◆◆◆
「えーっ、アシュたんたちもう全部70突破したの!?」
「早すぎです……わたしたち、まだ50階も突破できていないのに」
黒の塔70階から帰還後、中央広場でばったり出会ったマキナチームと《スカトリーゴ》で一緒に昼食をとっていた。
「でもでも、もう少しで突破できるかもなんだよね?」
クララが口いっぱいに頬張っていた食べ物をごくんと飲み干したあと、そう言った。すでに食事を終え、椅子に思い切りもたれていたザーラが答える。
「マキナのオーバーエンチャント次第だねー」
「えぇっ、さすがに8ハメは……でも、やればいますぐにでも突破できるかも……!?」
「こら、ザーラ。あまり囃したてないように。マキナちゃん、本気にしちゃうでしょ」
「はいはーい」
レインにたしなめられ、おざなりに返事をするザーラ。いつものことだが、マキナチームが一緒にいると本当に場が賑やかになる。少々……いや、かなり行き過ぎるときもあるが。
「ま、俺たちもこんなに早くいけるとは思ってなかったけどな。やっぱりレオがきてくれたからってのが大きいと思うぜ」
アッシュは本心からの言葉を口にした。まんざらでもないのか、ただの演技かはわからないが、レオがえっへんと得意気に胸を張り鼻を伸ばす。
そんな彼を見ていたユインがカップに口をつけながら、ぼそりと口にする。
「ただの変態ではなかったんですね」
「変態には変わりないと思うよ」
「ル、ルナくん」
「うん、それは間違いないかな」
「クララくんまでっ」
チームメンバーからも変態認定をされ、まるで逃げ場を探るように視線を巡らせはじめるレオ。
「正真正銘の変態さんってことだねっ!」
マキナがトドメの一撃とばかりに大声で言ってのけた。
レオが本気でショックを受けたようにうな垂れる。
「じ、自分でまいた種ではあるけれども、なんだかやるせない気持ちになるね。これはもう、アッシュくんに慰めてもらうしか――」
「触るなよ」
いつものごとく手がしのび寄ってきたので、もちろん強めに叩き落しておいた。
そうして馬鹿をやりつつ、マキナチームとの会話を楽しんでいると、店員のミルマ――アイリスが飲み物を運んできてくれた。
「相変わらず賑やかな人たちですね」
「お、アイリスか」
「……70階、突破したと聞きました」
「なんだ、もう知ってるのか」
店内でもマキナたちが大声で話していたし、聞こえていてもおかしくはない。もちろん、べつに隠すこともないので聞かれていても問題はないのだが。
レオがにやりと笑みながら、アイリスの顔を覗き込む。
「アイリス嬢は、いつもアッシュくんの動向を把握してるよね」
「ミルマ内で情報が出回っていますから、べつに彼に限ったことではありません」
「でも、知ろうとしなければ情報は入ってこないんだよね? あ、まさかアッシュくんのことが――あ、あはは。なんでもないよ。なんでもないからそんな怖い目で見ないでくれるかな」
ほんの少し頬を膨らませたところは可愛らしくもあったが、如何せん目が笑っていなかったのでさすがのレオも危機を感じとったようだ。本気で焦りつつ、椅子ごと距離をとろうとしていた。からかうにしても相手が悪すぎる。
しかなたないな、と呆れつつその光景を見ていると、視界の端につかつかと歩く女性挑戦者が映った。後ろでひとつに結われた金の髪に《フェアリー》シリーズの軽装備。すぐにラピスだとわかった。
アッシュはすぐさま少し席を外す旨を伝え、彼女のもとへと向かった。ウイングドスピアを背負ったその背に声をかける。
「よう、ラピス。いまから狩りか?」
ラピスがぴたりと足を止め、振り返ざまに早速睨んでくる。
「そうだけど……なに?」
「いや、べつにただ見かけたから声かけただけだ。そういや、70階突破したぜ」
「……そう、おめでとう」
いつにも増して淡白な返事だが、なぜか苛立っているように感じた。そうして訝るように彼女を見つめたとき、べつの違和感を覚えた。あまりに肌が白すぎる気がしたのだ。
「おい、大丈夫か? なんか顔色悪いぞ」
「べつにいつもと変わらないわ」
「体調悪いなら無理するなよ」
「わたしがどうなったってあなたには関係ないでしょう」
突っぱねるように彼女はそう言うと、こちらに背を向けた。ただ、歩き出そうとはせずに、俯いてつぶやくようにこぼす。
「……ごめんなさい。心配してくれたのに言い過ぎたわ」
「そういうとこ、やっぱ律儀だな」
非情になりきれないあたりがラピスらしい。
彼女はなにか言い返そうとしたのを諦めたのか、両手に作っていた拳をほどいた。
「本当に大丈夫だから。それと……ここの塔は8等級からが本番だから。浮かれないことね」
「そう言われると余計に浮かれちまうな」
「だから――っ! はぁ……もういいわ」
盛大にため息をついたのち、彼女は今度こそ歩き出した。
「またな、ラピス!」
そう声をかけても彼女が振り返ることはなかった。
なにか思い悩んでいるようにも見えたが……たとえそうだとしても原因はまったくわからない。それどころか彼女について知っていることはほとんどなかった。
ラピスには色々と世話になっている。
なにか助けになれればいいが、それを彼女自身が拒んでいる。
どうしたものか、とアッシュは胸中で唸りながら彼女の背中を見送った。





