◆第七話『背負い、そして前へ』
アッシュはレオとともに中央広場から外れたこじんまりとした酒場にきていた。個室ではないが、仕切りが多いためにほかの客と顔を合わせにくい造りとなっている。ヴァネッサともよくくる酒場だ。
「まさかアッシュくんから誘ってくれるなんてね」
「……昼間のことがあったろ。だから、ちょっとな」
どちらからともなくカップを合わせたあと、互いにエールを一口飲んだ。カップを置くなり、レオが申し訳なさそうに口を開く。
「気を遣わせてしまったみたいだね」
「そんなつもりは……ないこともないな」
「なんだかアッシュくんが優しいと明日、僕の頭に槍が降ってくるんじゃないかって思うよ。も、もしかしていまならお尻を――」
「触らせるかよ」
言葉どおり机の下から手を伸ばしていたので遠慮なく叩かせてもらった。本当に油断も隙もない。そんないつもと変わらないふざけた空気が満ちたとき、レオが手をさすりながら自嘲気味に言う。
「マルセルから話は聴いてるんだろう?」
「……気づいてたか」
「僕はアッシュくんの親友だからね。きみがこういうことを放っておけないタチだってことはよく知ってるよ」
少なくない数の酒を飲み交わしているとあって、さすがにお見通しのようだ。
「たぶん彼の話したとおりだよ。悪いのは僕だ」
レオは視線を落とすと、左手で右腕をぐっと握った。おそらく彼が言う〝悪い〟とは戦争を前に仲間を置いて失踪したことだろう。
「逃げたくて逃げたわけじゃないんだろ」
「そんなの当たり前じゃないかっ」
いきなり声を荒げるレオ。
思った以上に勢いよく反応してしまったからか、彼はばつが悪そうに「ごめん」と口にした。深呼吸をして心を落ち着かせたのち、質問を投げかけてくる。
「僕が逃げた戦争については聞いてるかい」
「ダグライ帝国と、だったよな」
こくりと頷いたのち、レオは過去を思い出すように遠い目をしながら語りだす。
「あの戦争が始まる前に僕は王から国の展望を聞かされたんだ。ダグライ帝国を討伐したあとは北方大陸を統一。そして他大陸へと攻め入って……シュノンツェを世界一の国にするって」
「……とんだ野心家だな」
大国の王であればそのような考えを抱くことは珍しくもないかもしれない。それがレオという強大な力を得たことで実行に移そうと考えたといったところか。とはいえ――。
「けど、あまりに無謀すぎる。そんな大規模な侵略戦争に乗りだせば他の大国……ライアッドやミロ、ニィルザールが黙ってるわけがない。いくらレオが一方面を押さえたとしても多方面からの攻撃にさらされて終わりだ」
「僕も同じ意見だった。だから、止めようとしたんだ」
レオはぎりりと強く歯を食いしばったのち、「でもっ!」と吐き出す。
「無理だった! それほどまでに王は僕を絶対無敵の象徴と見ていたんだ……!」
シュノンツェの王は「レオがいれば絶対に負けない」と周囲に言いまわっていたという。ただ増長していただけかと思ったが、どうやら狂信的なものだったようだ。
「この先、僕がいる限りシュノンツェは戦争を止めないだろう。きっとシュノンツェが滅びるそのときまで。そう確信したから……だから、僕はっ」
――逃げたんだ。
レオが紡がなかった最後の言葉をアッシュは胸中で継いだ。
「罪を負うべきはシュノンツェの王だろ。レオじゃない」
「それでも僕が逃げたのは事実だ。僕がいなければシュノンツェの兵士がどうなるかわかっていながら……っ」
レオは強い自責の念に駆られている。おそらくジュラル島で名前を偽らなかったのもそれが理由ではないだろうか。誰かが自分を見つけて断罪してくれるのでは、と。
「アッシュくん、できればこのことはマルセルには話さないで欲しい。さっきも言ったけど逃げたのは事実だから」
レオの気持ちはわかる。
ただ、話さなくてはわからないことがあるのもたしかだ。
通路側に何者かが立った。
気づいたレオがその者の顔を見て、目を見開く。
「……マルセル、どうして」
そう口にしてから、すぐ答えに行きついたようだ。
レオはこちらを見て、なんとも言えない顔を向けてくる。
「ひどいな、アッシュくん」
「こうでもしないと話さないと思ったからな」
ルナに頼んで連れてきてもらったのだ。
いまも隣の席で彼女は控えていることだろう。
「僕はきみにひどいことをした。なにを言われたって受け止めるつもりだ」
息を吐いて覚悟を決めるレオ。そんな彼をマルセルは険しい顔でしばらくの間、見つめていた。いったいなにを考えているのか。
ほかで飲んでいる挑戦者たちの声だけが聞こえてくる。
やがて彼はわなわなと体を震わしながらゆっくりと口を開く。
「ここにくるまではまた殴ってやろうかと考えていた。どんな言葉で罵ってやろうかと考えていた。なのにっ」
徐々に強まる語調。
そして――。
「なんでだよっ! 最後まで最悪な奴でいてくれよ!」
感情をそのまま吐露するように叫んだ。
なんだなんだと周囲の注目が集まる中、マルセルが自戒するように拳を強く握りしめる。
「これじゃ自分が馬鹿みたいじゃないか……っ」
「僕が逃げたのは事実だ。それによって多くの命が散ったことも。だからきみが自分を責めることはない」
レオが優しく語りかけるように言うと、マルセルが顔を歪ませた。
「そうやって……あなたはまたひとりで背負う気なのか。国の期待を背負ったときと同じように……」
「それが僕にできる唯一のことだ」
レオの顔は微笑んでいたが、どこか痛ましげだった。
マルセルが目を閉じながら上向き、深く息をする。
そんな彼にアッシュは静かに声をかける。
「マルセル」
「……わかっています」
許すか許さないか。これはそんな簡単な問題ではない。ただ、〝レオが理由もなく逃げたわけではない〟ことは伝えることができた。
マルセルが視線を戻すと、ひとつひとつ丁寧に言葉を選ぶように語りだした。
「正直、気持ちの整理はできていません。まだあなたを憎いと思う気持ちは残っています。ですが……もうあなたを殴るようなことはしないと誓います」
たとえ憎しみは消えなくとも、彼の中で小さな変化があったのだろう。
レオはマルセルの言葉をしかと受け止めるように力強く頷いた。
その後、マルセルは律儀に礼をして酒場をあとにした。
2人きりになった途端、レオが深いため息をつく。
「まさか彼を呼んでいたなんてね……」
「あ~、そのことなんだがな。実は話を聴かせたのはマルセルだけじゃないんだ」
アッシュは「クララ」と声をかけた。
間もなくして9人の挑戦者がぞろぞろと通路側に出てきた。全員がいまや見慣れた顔――《ファミーユ》のメンバーだ。唖然とするレオに経緯を説明する。
「勝手なことをしたとは思ってる。けど、マルセルと一悶着あったんだ。《ファミーユ》のメンバーにも知る権利があるはずだ」
「アッシュくん……きみって人は」
怒っているのか呆れているのか。
どちらともとれるような複雑な顔でレオは息をついた。
「……すみません、レオさん。けど僕たちも知りたいと思ったんです。レオさんのことを」
代表してウィグナーがそう告げると、ほかのメンバーもウンウンと頷いていた。そんな彼らの真剣な顔を前に、レオがばつが悪そうに目をそらす。
「いままで黙っていてごめん。知られるのが怖かったんだ。知って、軽蔑されるかもと思ったら話せなくて……でも、それが僕なんだ」
彼は視線を戻して《ファミーユ》のメンバーを見つめる。
「こんな僕でもまだマスターとして……仲間として認めてくれるかな」
テーブルの上に乗せられた彼の左手は震えていた。
もし拒まれたらと不安な気持ちに襲われているのだろう。
ほかの客による喧騒が聞こえているにもかかわらず、妙に静かに感じる中、やがてウィグナーが静かに口を開いた。
「もちろんじゃないですか。どんな過去があったとしても、わたしたちにはいまのレオさんがすべてです」
同意するようにほかのメンバーたちも頷いた。
「……ありがとう、みんな。ありがとう……っ」
喜びのあまりレオが涙ぐんでいた。
過剰にも思えるその反応に、少し困りつつもはにかみながら互いの顔を見合わせる《ファミーユ》のメンバー。そんな中、ひとりが「あ」と補足するように声をあげた。
「でも、お尻ばっか追いかけるのはちょっとやめて欲しいかなって」
「あと酔ったら裸になったりすることも」
「でも、それなかったらレオさんじゃない気も」
「「たしかにーっ」」
感動の空気が一気に台無しだった。
とはいえ、いつも笑顔の絶えない《ファミーユ》だ。
このほうがよっぽど〝らしい〟空気だった。
レオたちが笑い合う中、隠れていたルナとクララが出てきた。そばに寄ってきて《ファミーユ》メンバーを見ながら微笑む。
「一件落着かな」
「うんうん、ほんとよかったよっ」
「ああ」
レオには騙すようなことをして申し訳なかったが、無事に終わって本当によかった。そうして酒場には不釣合いにほがらかで温かな空気が満ちはじめた、そのとき。
「でも、まだ隠してることがあるんじゃないですか、レオさん」
ウィグナーが責めるような声でそう言った。
「隠してること……?」
レオが軽く首を傾げる。
とぼけているわけではなく本当にわからないようだ。
「塔の頂に行きたい。そう思っているんでしょう?」
「そんな大それたこと……僕はただ、みんなと一緒にいられればそれで――」
そこでレオは口をつぐんだ。
ウィグナーやほかのメンバーの真剣な表情に気づいたようだった。
レオは目を泳がせながら俯いたのち、思いなおしたように再び顔をあげる。
「……いや、そうだ。そのとおりだ」
一拍の間を置いてから彼は話を継ぐ。
「初めはただジュラル島で暮らせるだけの余裕が作れればいいって思ってたんだ。けど、昇っていくうちに攻略する楽しみがどんどん増えていって……いつしか塔の頂に行ってみたいって、そう思うようになったんだ」
レオがこちらに視線を向けてくる。
「そしてその気持ちはアッシュくん、きみと出会ってからさらに強くなった。危険と隣り合わせだっていうのに……本当に楽しそうに塔の頂を目指すきみの姿に心が強く動かされた。白状するよ、きみが羨ましくてしかたなかった。眩しくてしかたなかった」
「……レオ」
悔しげに語られるレオの心中。
普段、なにを考えているかわからないこともあって、いま、初めて彼という男と対峙しているような気がした。
ふと、レオが俯いて「でも」と続ける。
「……もう僕は壊したくないんだ。やっと得た居場所を、あのときのように……っ」
きっとシュノンツェから失踪したときと重ねているのだ。《ファミーユ》のチームから離れれば《ファミーユ》という居場所がなくなるかもしれない、と。
「そんなことで壊れたりはしません」
ウィグナーが力強く言い切った。
「チームが違ったってなにも変わりません。だってわたしたちは家族なんですから」
彼を始め、《ファミーユ》のメンバーが笑みを浮かべた。そこには解散するかもしれないなんて不安な気持ちはいっさい見られない。
あるのはただ深い信頼と、そして深い愛情だった。
「みんな……!」
感極まったのか、レオの目からは涙がこぼれていた。嗚咽をもらすのではないかと思うぐらい唇も震えていたが、我慢するように彼は荒々しく腕で涙を拭った。すっくと立ち上がり、こちらへと真剣な顔を向けてくる。
「いまさらこんなことを頼むなんて都合がいいのはわかってる。それでも聞いて欲しいんだ」
彼がなにを言おうとしているかはわかっていた。
アッシュは立ち上がり、真っ直ぐにレオと向かい合う。
「僕をきみのチームに入れて欲しい」
こちらの答えはとうに決まっている。
アッシュはクララ、ルナと頷き合ったのち、あらためてレオに向かった。そして――。
右手を差し出した。
「今日からよろしく頼むぜ、レオ」
 





