◆第一話『マリハバの狩猟者』
赤の塔10階を突破した翌日。
アッシュは陽が昇るなり、ブランの止まり木を出発した。
狭い路地から通りへと出て、中央広場を目指して歩く。
早朝とあってまだ空気はひんやりとしている。
肌寒いが、おかげでわずかに残った眠気を取っ払ってくれた。
昨日の疲れもなく体調は万全。
早速、塔へと向かいたいところだが、その前に気になることがあった。
先ほどから誰かにあとをつけられているのだ。
肩越しにこっそり様子を窺ってみる。
と、角から飛び出た花飾りつきの髪や木の杖が目に入った。
凄まじい既視感……と言うより誰だか丸わかりだ。
はぁ、とため息をつきながら振り返る。
「どうしたんだ、そんなとこに隠れて」
「うぐっ」
本気で隠れていたつもりらしい。
尾行者――クララが恐る恐る角から出てくる。
目を左右にちらちらとそらしたあと、窺うような目を向けてくる。
「……どこに行くのかなって」
「決まってるだろ。塔を昇りに行くんだよ」
「そ、そうなんだ。ふーん……だったら声かけてくれれば良かったのに」
「10階突破したし、もう一緒に昇る必要はないだろ?」
そう答えた途端、クララが見るからに絶望したような顔を作った。
かと思いきや、めげずに顔を引き締め、ぐいと詰め寄ってくる。
「あ、あのっ……ね。アッシュくんが良かったら、これからも一緒に昇りたいなー……なんて。ほら、10階攻略も上手くいったし、あたしたちって意外と良いチームなんじゃないかなって思うの」
「チームね」
「も、もちろん、あたしがまだまだ未熟だってことは充分に理解してるつもりだよ。でも、頑張るから……ていうかお願いだからひとりにしないでぇ……!」
表情を変えずに真面目に話を聞いていたら、ついにクララが泣き崩れたうえにしがみついてきた。これまでひとりで行ってきた辛く厳しい狩り生活を思い出してしまったのだろう。少しからかい過ぎたようだ。
「悪い悪い。冗談だ」
「……え?」
「いや、どんな反応するかと思ってな」
てっきり怒るなり拗ねるなりするかと思っていたが、クララはぽかんと口を開けるだけだった。
「あたし、まだ一緒にいてもいいの?」
「この際だからはっきり言っておくが、不安がないと言えば嘘になる。戦闘に慣れてないところとかとくにな」
「うぅ……」
「でもまぁ慣れは追々身につく。それより重要なのは信頼できるかどうかだ」
仲間の協力を前提として訪れた戦場で、その協力を得られなければ壊滅は必至。チームを組む上で、互いを信頼し合っているかがもっとも重要なことなのは間違いない。
「俺のほうは問題ない。そっちは?」
「あ、あたしは……とっくに信頼してるよ。じゃないと握手なんてしないもん」
クララはほんの少し眉尻を吊り上げて続ける。
「勝手にあたしを巻き込んで喧嘩売っちゃうところとか、さっきみたいに意地悪してくるところとかどうかと思うけど……」
「それはちょっとした茶目っ気だ」
「大の男が茶目っ気出しても可愛くないよ」
「真面目に答えられると反論できないな」
そう言って肩を竦めると、クララがくすりと笑った。
「とにかく、今後ともよろしくだ」
「こ、こちらこそよろしくお願いします……っ!」
がばっと勢いよく頭を下げてくる。
そんな初々しい挨拶をするほどもう知らない仲ではないだろうに、本当によくわからない子だ。だからこそ見ていて面白いのだが。
「さてと改めてチームを組んだところで……今日はどこを昇るかだな」
「決めてなかったの?」
「赤の11階以降を覗こうと思ったけど、ほかの塔を見てみたいって気持ちもあってさ。ほら、まだ赤と青しか昇ってないだろ」
塔を昇るためには強化石を有効に使わなければならないことが痛いほどわかった。結局のところ強化石を集めつつ、すべての塔を万遍なく昇ることが〝神への挑戦〟への近道になるわけだ。
「う、あたしが付き合わせちゃったせいだね……ごめん」
「どうせ通る道なんだから気にするなって言ったろ」
むしろ尻に火がついて攻略が捗った可能性もあるぐらいだ。
「やっぱほかの塔も気になるし、赤はお預けにして違うところ昇るか」
「白と黒はほかよりも難易度が一回り上だから、緑をオススメするかな」
「よし、じゃあ相棒のオススメに従って緑の塔にするか」
「あ、相棒っ……!」
クララは感動したように目を煌かせると、弾むような足取りで先行しはじめた。
「ついてきて! 〝相棒〟のあたしが案内してあげる!」
「乗り気なところ悪いんだが、緑の塔に行くなら先にしておきたいことがある」
「それってもしかして……」
クララも予想がついたようだ。
アッシュはポーチを漁り、小さな宝石――赤の属性石を取り出した。
昨日、赤の10階を攻略した際に入手したものだ。
「ああ、こいつをはめる」
◆◆◆◆◆
中央広場の北西端に店を構える鍛冶屋へとやってきた。
調理器具やら食器等などが置かれた売り場を抜け、奥の鍛冶場とを仕切るカウンターに向かう。
「強化石の装着を頼みたい」
カウンターにスティレットと赤の属性石を置いた。
番をしていたミルマがそれらを手に取って答える。
「これ強化石ついてるね。解除費用もらうことになるけどいいかな?」
「初回なら解除費用は無料だったよな」
「あ~、きみよく見たらこの前の新人か。そういうことなら。あ、でも装着のほうは前回無料にしてるから100ジュリーは払ってね」
「了解だ」
こちらが指定の額を支払うと、ミルマが作業を開始した。
スティレットに埋め込まれた青の強化石に白い粉をまぶすと、その部分を包帯らしきものでぐるぐると密封。透明な液体が入った四角い石造器へと静かに投入した。
間もなく液体がかすかに発光すると、スティレットを引き上げる。
包帯が解かれると強化石がぽろんと取れた。スティレットについた液体を布で拭きながら、ミルマが解除した強化石をカウンターに置いてくる。
「はい、先に強化石だけ返しておくね」
「意外とあっさりなんだな」
「だからって安くはしないけどね。あ、ちなみに等級が上がるごとに装着も解除も100ジュリーずつ値上がるから」
「世知辛い島だ」
アッシュはため息を吐きながら、受け取った青の属性石をポーチの中にしまった。
一方、ミルマは装着の作業に移っていた。
スティレットの柄にあいた穴に赤の属性石をはめ、そこに赤い粉をまぶした。
その後、大きな口の窯にスティレットをそっと置き、戸を閉める。
最後に側面に取り付けられたレバーを引き下ろす。
ガンッと重厚な音を鳴らした直後、窯の上から伸びていた太い管からしゅーと音を鳴らして煙が漏れはじめた。煙は室内に滞留することなく、天井の換気口から出ていく。
装着してもらうのは二度目なので知っているが、あとは待つのみだ。
クララがソードブレイカーに視線を向けながら訊いてくる。
「ねね、そっちにはつけないの?」
「こいつはあくまで受ける用だからな。攻撃力を高めようにも限度がある。代わりに毒やら麻痺やらそういう状態異常の強化石が出たときは優先的にはめるつもりだ」
「じゃ、それ系が出たら全部アッシュくんに譲るね」
「助かる。クララには魔石だな」
「う、うん。いいね、こういうやり取り……なんだかチームっぽい!」
興奮を隠し切れないといった様子でクララが目を輝かせる。
大袈裟な気もするが、これまでの彼女を思えば無理もない。
クララと話しているうちに強化石の装着が終わったらしい。
ミルマが窯のレバーを引き上げたのち、戸を開けてスティレットを取り出した。
柄には赤の属性石がしかと装着されている。
「はい、お待たせ。また来ておくれ」
ミルマからスティレットを受け取る。
手放した時間はほんのわずかだが、感触をたしかめるようにくるくる柄を回す。
「へぇ。きみの得物、なかなか面白い組み合わせだね」
ふいに後ろから声をかけられた。
振り向くと、ひとりの挑戦者が興味津々にこちらを見ていた。
きりりとした勝ち気な目はいかなる相手にも屈しない力強さを、雪のように白い肌はすぐにでも溶けてしまいそうな儚さを孕んでいる。
男か女か。
どちらか判断しにくい。
短い後髪とは不釣合いに長い前髪もそれを手伝う材料だ。
彼、あるいは彼女は肩があらわになった露出度の高い衣装で、その華奢ながら引き締まった体を包んでいる。
胸の膨らみは見られない。
だが、それだけで女性でないと判断するには早計だ。
と、じろじろと見ていたからか、目の前の挑戦者が少し居心地が悪そうにしていた。
「あ~……盗み見るつもりはなかったんだけど、気を悪くしたなら謝るよ」
「いや、それは構わないが……あんたは?」
「ボクはルナ・ピスターチャ。いきなり声をかけてごめんよ」
目の前の挑戦者――ルナが爽やかに微笑むと、耳から垂れた飾りが揺れた。
飾りは、丸い水晶を銀色の六芒星で包んだようなものだ。
喋り方もそうだが、ルナからはとても垢抜けた雰囲気を感じる。
「俺はアッシュ。こっちはクララ」
「ど、どうもです……」
挨拶をしながら後ずさったクララに、ルナが苦笑する。
「警戒されてるね」
「あ~、ただの人見知りだ。それよりその名前、もしかしてマリハバ出身なのか?」
「驚いたな……まさかマリハバを知ってる人がいるなんて」
言葉通り驚いているようで目をぱりくりとさせている。
「世界中を旅してたからな。訪れたのはたしか3、4年前ぐらいだったか」
「じゃあ、ちょうど入れ違いだったんだね。ボクがマリハバを出たのは5年前だ」
「もし出逢ってたら運命の再会だったわけか」
「男同士でそれは遠慮したいところだけど」
「違いない」
性別を探るためにあえて冗談を交えてみたが……どうやら男で間違いないようだ。
クララがちょいちょいと服のすそを引っ張ってくる。
「ね、アッシュくんアッシュくん。マリハバって?」
「北東大陸の山奥にある地名だ。弓が得意な狩猟部族がそこで生活してる」
「へぇ~。でも、どうしてルナさんがマリハバ出身ってわかったの?」
「ピスターチャってのはマリハバでもっとも勇敢な者に与えられる称号なんだよ。つまりルナはそこで一番強い戦士ってことだ」
おぉ、とクララが感嘆の声を漏らすと、ルナがほんのり顔を赤らめる。
「あはは……なんだか照れちゃうね」
「寡黙な奴が多かったけど、ルナは違うんだな」
「よく変わり者だって言われてたよ。だから、きみとは馬が合いそうだよアッシュ」
「悪いけど俺はいたって普通だ」
「違うよ。アッシュくんは変な人だよ」
ここぞとばかりにクララが口を挟んでくる。
余計なことを言うなと睨むと、したり顔を返された。
そんな応酬が楽しかったのか、ルナがくすくすと笑みをこぼした。
「2人は本当に仲が良いんだね」
「これでも最初は握手を拒否されたんだぜ」
「そ、それはアッシュくんが男の人だからで――」
「男だからってこの対応だ。ひどいと思わないか」
「ま、でも女が男を警戒するのは仕方ないことだと思うけどね」
「ほら~! アッシュくんが馴れ馴れし過ぎるんだよ」
どうやらここは敵地のようだ。
裏切ったなと恨めしげにルナを睨むと、知らん振りといった顔で躱されてしまった。
と、ルナが奥の鍛冶場のほうをちらりと見やる。
「まだまだ話していたいところだけど、これから狩りの約束があってね」
「あ~引き留めて悪かったな」
「いや、おかげで久しぶりに楽しい時間を満喫できたよ。それじゃまたね、アッシュ。クララ」
「おう、またな」
「ま、また!」
ルナと別れて鍛冶屋を出た途端、クララがくるりと振り返った。
店内のほうを見ながら、力強くうなずいている。
「うん、あの人は良い人だよ。あたしの味方してくれたしっ」
「クララって簡単に騙されそうだよな」
「え、なんでっ!?」
やはりクララはもう少し世間を知ってからジュラル島に来るべきだったと思わざるを得ない。いまさら言ってもしかたのないことだが。
とはいえ、ルナに好感を抱いたのも無理はない。
それほど人懐っこくて嫌味のない性格だったからだ。
ただ――。
……なにか引っかかるんだよな。