◆第五話『親友のために』
翌朝。
アッシュはひとり委託販売所で相場を確認したのち、早々に外へと出た。
変わったことと言えば高騰していた赤の属性石の価格が落ちついたことぐらいか。交換石と違って出やすいとはいえ、あまりに早い。やはりそれだけ挑戦者の中でも貯め込んでいる者がいる、ということだろう。
「ア~~シュた~~んっ!」
「っと」
何者かが横合いからタックルをかましてきた。
腰の辺りに押しつけられていてその顔は窺えない。
とはいえ、声を聞いた時点で正体は判明しているが。
「いきなり飛びついてくるなよ、マキナ」
「いや、こういうのできるのアシュたんぐらいしかいないじゃん? だから見つけたらやっとかないと損じゃん~」
その人物――マキナが頭の片側でくりんと結われた髪を揺らし、にかっと元気な笑顔を向けてきた。本当に無邪気な子どもそのものだ。
「マ、マキナさん……っ!」
聞こえた声のほうを見ると、そこには小柄な褐色の挑戦者――ユインが立っていた。彼女は少し慌てた様子でマキナのもとへと駆け寄る。
「こんな人前でなにをしてるんですかっ」
「えー、べつに大丈夫でしょ」
「マキナさんがよくてもアッシュさんが――」
「ま、いつものことだからな」
「ほらー!」
いまだ抱きついたままのマキナが勝ち誇ったようにフフンと笑んだ。途端にたじろいだユインがこちらに抗議の目を向けてきた。慎ましくではあるが、その頬はぷくっと膨らんでいる。
「あ~……そっちも昼からか?」
「は、はい。も、ということはアッシュさんもですか?」
「ああ。昨日は多めに狩ったからな」
試練の間である60階だけでなく通常階の61階も突破――したのはよかったが、さすがにクララとルナも疲労が溜まっていたようだった。そのため、本日は開始時間を遅らすことにしたというわけだ。
なにやらユインがもじもじとしていたかと思うや、意を決したように口を開いた。
「あ、あのっ。でしたら一緒に――」
「んんっ?」
ユインの声を遮るようにマキナが声をあげた。
首を傾げながらくんくんと匂いをかいでくる。
「なんか懐かしいというか覚えのある匂いが…………あっ、思いだした! これマスターの匂いだ!」
答えがわかってすっきりといった顔をマキナがする中、逆にユインは色々なものが溜まってあふれ出しそうな顔をしていた。
「あの、アッシュさん。お話しがあるのですが」
「どうした、ユイン。そんな怖い顔して」
「いえ、これは決意の顔です。お昼ごはんではなくて、今晩――」
ユインの口からその続きが紡がれることはなかった。
噴水広場のほうから悲鳴が聞こえてきたのだ。
「どうしてこうも……っ」
身悶えるように嘆くユイン。
話を聴いてあげたいのは山々だが、それよりもいまは悲鳴のほうが気になる。3人で頷き合って悲鳴が聞こえてきた噴水広場へと向かう。
すでに人だかりができていた。
かきわけるようにして進み、中を覗く。
と、アッシュは思わず目を瞬いてしまった。
ウィグナーとマルセルが殴り合いをしていたのだ。それも軽いものではなく、殴るたびに鈍い音が鳴るほどに本気の殴り合いだ。そばで見ていたマキナも「ひぇ~」と声をもらしている。
経緯は知らないが、とにかく止めなくては――。
その一心で踏み出したところ腕を掴まれた。
「ま、待ってっ」
そう制止の声をかけてきたのはレオのギルド《ファミーユ》の女性メンバーだった。アッシュは怪訝な目を向けながら訊く。
「待てって……止めなくていいのかよ」
「ウィグナーが手を出すなって」
「ってもな。どうなったらこうなるんだよ」
「あの人がすれ違いざまに、『レオのことを信じたら裏切られる』って言ってきて。それに怒ったウィグナーが手を出して……」
あの温厚なウィグナーが怒るとはよほどのことと思ったが、仲間を――レオを侮辱されたからというわけか。
「レオさんはそんな人じゃない!」
「お前たちの前では偽ってるだけだ!」
「そんなことはありませんっ」
「あの男にお前たちは騙されてるんだよ!」
殴り合いの喧嘩はいまも続いている。
拳で語らうのは結構だが、それにしたって限度がある。このまま続ければ互いに怪我どころではすまなくなりそうだ。
「おい、2人とも。その辺に――」
さすがに止めに入ろうとした、そのとき。
「もうやめてくれっ!」
聞き覚えのある声。
見れば、輪の中にレオが駆け込んできていた。
彼はいまもウィグナーに覆いかぶさろうとしていたマルセルを片手でひっぺがし、後ろへと投げ飛ばした。マルセルはすぐに起き上がる。
「邪魔をするなっ、いま俺はこいつと話を――」
マルセルは起き上がるなり逆上した気持ちをそのまま吐き出そうとする。だが、レオの怒りに満ちた顔を前にしてか、口が震えて続きを紡げないようだった。
「きみが怒っても無理もないことを僕はした。それはたしかだ。けど、彼らは関係ない。頼むから彼らを巻き込むな」
レオの言葉は静かで淡々としていた。だが、だからこそ秘められた怒りを余計に感じることができた。そしてレオは告げる。
「なにかあるなら僕にだけ言ってくれ」
懇願でありながら脅迫のような威圧がこもっていた。
マルセルはたじろいだのち、いつの間にか集まっていた周囲の注目から逃げるように背を向けて駆けだした。
それからしばらくの間、辺りは沈黙に支配されていた。やがて輪を作っていた挑戦者がひとり、またひとりと場を離れていき、ついにはほぼ関係者だけとなった。
残った《ファミーユ》のメンバーが怪我だらけのウィグナーを介抱する中、レオが痛ましげな笑みを向けてくる。
「やあ、アッシュくん」
「……レオ」
「悪いね。いつもみたいにお話しを楽しみたいところだけど……今日はちょっと無理そうだ」
そう言い残し、レオはウィグナーのそばに歩み寄った。傷ついたウィグナーの状態を確認するレオの横顔はとても心苦しそうで、見ているだけでこちらまで胸が締めつけられるようだった。
この件に関して、レオからあまり踏み込んでほしくないという気持ちは伝わってきていた。だから事情を知ろうとしつつも一定の距離を保っていた。
だが、それももう終わりだ。
さすがに〝親友〟のあんな顔を見せられては黙っていられそうにない。
そう決意しながら、アッシュはひとしれず拳を握った。





