◆第十五話『山の巨人①』
棲家の大きさは試練の間の4倍ほどといったところか。床、壁、天井の表面には凹凸がなかった。黒く染められ、模様は発光する細い緑線が格子状に巡るのみ。人工的ではあるが、とても人の手で造られたとは思えない。どこか無機質な様相だ。
その空間の中に異質な存在が居座っていた。
最奥の壁近くに片膝をついている巨人だ。
7等級階層に出現する雑魚の巨人とは比べ物にならないほど大きい。どちらかというと、緑の40階で戦った樹の巨人に近い大きさだ。遠目から見ても凄まじい威圧感だった。
またその身は人間のような肌ではなく、茶色い岩石に覆われている。ひとつひとつが人間よりも大きいため、かなりごつごつとした見た目だ。
あれがベルグリシで間違いないだろう。
その姿を目にしたクララが頬をひくつかせる。
「な、なんか思ってた以上に大きいんだけど……」
「近づいて攻撃を加えなければ動かないから大丈夫だよ」
そう答えたレオの言うとおり、ベルグリシに動きはなかった。人間で言うところの目と口の位置に穴が開いた顔もいまだ俯いたままだ。
全員が棲家に侵入したのを機に、レオが前に出て振り返る。
「攻撃のパターンについては事前に話していたとおりだけど、質問はないかな?」
「頭には入ってるが、実際に見てみないとな」
「それでいいと思う。とりあえず岩石飛ばしだけ注意すれば大丈夫だと思う」
「敵が奥の壁に拳を打ちつけたらくるんだったか」
「うん。その動きを見たら、床に開いた溝のどれかに入って」
レオが肩越しに振り返りながら言う。
棲家の床には方形の溝が6箇所あった。
手前と奥、どちらも中央と左右に3箇所ずつの配置だ。
ベルグリシの放ってくる攻撃の中でもっとも強烈な攻撃――岩石飛ばしを躱すには、あの溝に入るしかないという。おそらく後衛組は手前の溝を、前衛組は巨人近くにある奥の溝を使うことになるだろう。
「狂騒状態に入ったベルグリシの強さがどの程度かはわからない。でも、幸い退路は開いたままだ。いざとなったら撤退するから、そのつもりで頼むよ」
厳しいとわかれば撤退する。
その判断も挑戦者に求められる重要なことだ。
「それじゃあ行こうか。みんな、絶対に勝とう!」
気合の入った声が《ファミーユ》メンバーからあがる。触発されてか、クララとルナも意気込んだように手に力を入れていた。
その後、7人の後衛組を残して、6人の前衛組が巨人の近くへと向かう。
アッシュはウィグナーとともに奥の右側の溝に位置どった。中を見てみたが、深さは成人男性の肩程度といったところか。
ウィグナーが地面に切っ先を垂らした大剣をぐっと握りながら声をかけてくる。
「頑張りましょう、アッシュさん」
「ああ」
彼にとってはギルドの実績の得るほかに〝思い出作り〟といった特別な理由があるからだろう。その顔には普段の柔らかな笑みはなく、決意が満ち満ちていた。
「初めは僕が攻撃して敵の注意を引きつけるから、合図を出すまでは待機でよろしく!」
ただひとり巨人の正面に立ったレオが叫んだ。
それから3人のヒーラー陣と顔を見合わせたのち、前へと歩みだした。
改めて見てもレオが豆粒のように見えるほどベルグリシは大きい。あれほどの巨体がいったいどのように動くのか。アッシュはいまから楽しみでしかたなかった。
辺りが緊張感に包まれる中、ついにレオが右手に持った正統的な長剣を振った。放たれた赤い斬撃が虚空を勢いよく突き進み、俯いていたベルグリシの顔面に命中。ぼぅと火炎が噴くと、瞬く間に弾けるようにして散る。
直後、ベルグリシ――敵が暗闇で満ちた目に緑色の光を灯した。さらに、ぐぐぐと緩慢な動作で立ち上がる。
「ォォォォォォ……!」
とても低く、腹に響くような咆哮だった。
その静かなる声とともに敵が拳を槌のごとく落とす。
レオはわずかに後退し、頭上で盾を斜めに構えた。そこへ敵の拳の端が当てられ、地に足をつけながら後方へと勢いよく弾き飛ばされる。最中、床に打ちつけられた拳が轟音を鳴らし、棲家全体を激しく揺らした。
アッシュは弾かれるようにして天井を見上げる。ごごご、と耳を直接揺らすような音が聞こえた、その直後。人ひとりを軽く押し潰すほどの丸い岩石が視界に入った。頭上に1個。べつの前衛組と、後衛組の頭上にも1個ずつ確認できた。
「アッシュさん!」
ウィグナーの声が飛んでくるよりも早く、アッシュは飛び退いていた。直後、先ほどまで立っていた場所に岩石が落ち、勢いよく砕け散る。その場に破片は残りつづけることなく色をなくして消滅していった。
敵が拳を振り落としてきたら岩石が3個落ちてくる、と事前に説明を受けていたので危なげなく避けることができた。どうやらほかの者も無事に回避できたようだ。
全員が岩石に気をとられている間にも斬撃を飛ばしつづけるレオ。鬱陶しいとばかりに敵が前のめりに屈み込むと、今度は横振りに拳を繰りだした。
その拳がレオの構えた盾に凄まじい音とともに衝突する。その間にアッシュはウィグナーとともに溝に逃げ込んだ。直後、頭上を激しい突風が駆け抜けていった。
横振りのあとには突風が襲ってくる。これに関しても説明を受けていたが、想像以上の風圧だ。まともに受ければ簡単に体を持ち上げられるだろう。
それにしても……。
アッシュは溝から出て、レオの様子を窺う。
振り落としの拳。
横振りの拳。
どちらも凄まじい威力だった。
にも関わらず、レオに外傷はいっさいない。
表情もまったく苦しそうではなく、むしろ余裕すら感じさせるほどだ。
ロウを始めとした火力自慢の多い《レッドファング》でも倒すのが無理だったなら、べつの問題があるのだろうと思っていたが……いま、確信した。ベルグリシの攻撃に耐えられる盾役がきっといなかったのだ。
レオは攻撃を軽々と受け止めているが、衝撃を最小限に抑えるため、絶妙なタイミングで盾の角度をずらしていた。さらに攻撃を受けてもまったく体勢を崩していない。惚れ惚れするほどの安定感だ。
なおもレオが敵の攻撃を受けつづける中、ウィグナーが言う。
「レオさんに向けられる攻撃は基本この2つです。横振りに関しては腕から放たれるので、足下にいるときは影響はありません」
「了解だ。ま、なんとかなりそうだ」
岩石は拳の振り落とし攻撃直後に頭上を確認すれば難なく避けられる。横振りの突風に関しては仮に吹き飛ばされたとしても戻るのが面倒なだけだ。大きな問題はない。
「みんな、攻撃開始だ!」
振り落としの拳を受け止めたのち、レオがそう大声で合図を出した。落ちてきた岩石を躱しつつ、前衛組が一斉に駆けだした。
後衛組がいち早く攻撃を開始したようだ。火炎を纏った魔法と矢が頭上を通り過ぎていき、敵の顔面へと次々に命中。激しい音をたてて燃え盛る炎で包み込んだ。苦しんでいるのかはわからないが、敵が低い呻き声をあげる。
前衛組みも敵の足に張りつくなり攻撃を開始する。
アッシュはウィグナーとともに2人で左足。残りの3人は右足だ。アッシュは肉迫と同時にハンマー側を思い切りぶつけた。硬いとは聞いていたが、ヒビを入れることに成功した。これもオーバーエンチャントで8ハメまでしたおかげだろうか。
ウィグナーも細身な見かけによらず豪快な振りで大剣を叩きつけていた。互いに一心不乱になって攻撃しつづけていると、敵の左足がぐいと持ち上げられた。
こちらを踏みつけるように下ろしてくる。アッシュは慌てて転がるようにして逃れたが、足が床に叩きつけられたと同時に放たれた風圧によってウィグナーともども吹き飛ばされてしまう。
「ただの踏みつけでこれかよっ」
すぐさま体勢をたてなおして再び左足に接近し、攻撃を再開する。こちらが攻撃している間にも、当然ながら敵の拳は何度もレオに襲いかかっていた。
前衛組は天井から落ちてくる岩石だけに注意すればいいが、後衛組は吹きつける突風にも注意しなければならずひどく忙しそうだった。何度か確認したが、クララとルナは上手くやれているようだ。あの様子なら心配はいらないだろう。
「すごいです、アッシュさん! かなり早く削れてます!」
ウィグナーが興奮したように声をあげる。右足組のほうが人数は多いが、こちらのほうが大きく岩の肌を削っていた。ウィグナーともども大物の武器を使っているからかもしれない。
執拗に狙っていた敵の足首の岩肌にピシリと大きなヒビが走った。アッシュは力の限りハンマーを叩きつけ、さらにヒビを伸ばす。足首周辺の岩肌はもう砕ける寸前といった様子だ。
「ウィグナー!」
「はいっ!」
すでに振られていた彼の大剣が衝突すると、敵の足首の岩が砕けた。敵が左膝を地面につけ、倒れ込まないようさらに両肘を床につけた。攻撃手段を失い、敵が頭を垂らした格好で硬直する。ウィグナーが叫ぶ。
「いまのうちに総攻撃を!」
後衛組の遠距離攻撃に加え、前衛組も斬撃を飛ばして敵頭部へと攻撃しはじめる。苛烈さを増した攻撃に敵が大きく呻き、顔をあげた。呼応するように砕けていた左足に周辺の岩が集まっていき、もとの形状へと戻る。
左足を取り戻した敵がのそりと起き上がった。まるで怒り狂うように、その両拳を奥の壁へと打ちつける。棲家が激しく揺れる中、奥の壁にそうように大量の岩石が落ちてきた。それらは緑色の風によってふわりと持ち上げられていく。
「みんな、溝の中に!」
レオの指示が飛んでくるよりも早く、彼を除いた全員が近くの溝へと駆けていた。アッシュはウィグナーとともに最初に位置どった溝に逃げ込んだ。
頭上を大量の岩石が通過していく。どれも人間より大きい。直撃すればただではすまないだろう。
しかし、この溝に入ってさえいれば問題なくやり過ごせる。岩石を伴った風が止んだのを機にアッシュは飛びだし、今度は右足攻撃組の加勢に向かった。左足は完全に修復されているが、右足は損傷が残っていたからだ。
そんな箇所に前衛組全員で集中攻撃を加えたからだろう。それほど時間を要さずに右足の破壊に成功した。再び敵が崩れ落ち、頭部への総攻撃が始まる。
「みんな、いい調子だ! このままいけばきっと倒せる!」
火炎に包まれた敵の頭部を見ながら、レオがそんな声をあげたときだった。
「ォォォォォォォォ――ッ!!」
低い声こそ変わらないが、まるで激情したように敵が呻いた。
さらに散らかっていた岩の破片を右足に集め、瞬く間に修復。勢いよく立ち上がり、胸を押し出すようにして両手を開いた。あわせて突風が奥の壁から吹き、前衛組は不恰好な体勢でレオよりも後方へと飛ばされてしまう。
アッシュは得物を床に叩きつけ、すぐさま起き上がる。
視界の中、敵の全身が棲家の壁と同様に黒く染まっていた。気のせいか、目から発する緑の光がより強さを増したように見える。おそらく狂騒状態に突入したのだろう。
ここからが本番だ。
そう身構えたとき、狙いすましたように6箇所の溝に黒色の塊が落ちてきた。まるで溝を埋めるためにあったかのようにがっちりとハマっている。即座にハンマーを打ち下ろしてみるが、ヒビひとつ入らない。尋常ではない硬さだ。
驚愕の声が後衛組のほうから聞こえてきた。振り返った先、棲家の唯一の出入口が黒色の塊によって塞がれていた。……どうやら退路も断たれたようだ。
あちこちから動揺の声があがる中、敵が両腕を奥の壁に打ちつけた。落ちてきたのは大量の巨岩。どれも黒色に染まったそれらは、当然のように緑の風によって浮き上がりはじめる。
溝が塞がれてしまったいま、あの攻撃をやり過ごす手段はあるか。
アッシュは急いで思考するが、まったく打開策を思いつけなかった。無傷とはいかないが、もしかしたらあれらをすべて避けられるかもしれない。だが、それでは助かるのは自分のみ。
いまはともに戦う仲間たちがいる。
全員が助かる道は……。
――くそッ、あまりにも時間がなさすぎるッ!
ついに黒色の岩石が緑の風に乗って放たれた。
向かってくる岩石群を前にアッシュはぎりりと奥歯を噛んだ。
このまま仲間を見捨てるしか道はないのか。
そんな絶望の感覚に胸中が支配されそうになった、瞬間――。
レオによって勢いよく地に打ちつけられた盾が棲家全体に甲高い音を響かせた。





