◆第十七話『赤の塔10階戦・前編』
翌日、陽が下りはじめた頃。
アッシュはクララとともに赤の塔前の広場を訪れた。
早朝とは違い、待機している挑戦者は10人ほどと少ない。
そのせいか、どこか落ちついた空気が流れていた。
赤髪のミルマ――管理人が歩み寄ってくる。
「クララさん、少しよろしいでしょうか」
「は、はいっ」
管理人の改まった態度にクララの顔が一気に強張る。
これからなにを言われるのか、予想がついているのだろう。
「ベヌス様より伝言です。『本日、陽が沈む前にいずれかの10階を越せなければこの島から出て行くように』とのことです」
「うっ、わかりました……」
「この警告、久しぶりにしました。10階を越せない場合、大体の方は期日が来る前に死んでしまいますから」
言いながら、管理人が屈託のない笑みを浮かべた。
当のクララは完全に青ざめている。
「あんた、相変わらず楽しそうだな」
「お褒めいただきありがとうございます」
ここまで突き抜けられたら怒る気すら湧いてこない。
そうして管理人と話していると、ダリオン一行が広場にやってきた。
「おい、新人」
「なんだよ、わざわざ応援しにきてくれたのか?」
「んなわけねぇだろ。ふざけやがって」
ダリオンは憤懣を包み隠さず顔に出すと、ぐいっと顔を近づけてくる。
「わかってるだろうな? 約束、破んじゃねぇぞ」
「そっちもちゃんと果たせよ」
「当然だ。まぁ、その女がいる限り俺がなにかをすることはないだろうけどな」
ダリオンから睨まれ、クララがびくっと体を震わした。
かと思いきや、恐れを押し隠すように両手をぎゅっと握る。
「こ、今回は10階越すから!」
言い返されるとは思っていなかったのか、ダリオンが面食らっていた。
だが、その顔はすぐに厳しいものへと変わる。
「できるもんならやってみろ。お前には絶対に無理だ」
クララも負けじと真っ直ぐ見返すが、その体はひどく怯えていた。
このまま放置したら主への挑戦前にガタがきてしまいそうだ。
「行くぞ、クララ。俺たちが戦うのはそいつじゃない」
「う、うん」
◆◆◆◆◆
「なにあの顔! 絶対どこかの試練階にいる顔だよ! 少なくとも人間がつける顔じゃないよ!」
10階の広間に到着するなり、クララが鬱憤を晴らすように叫び出した。
気持ちはわかるが、ダリオンが不憫に思えるぐらいひどい言い草だ。
「朝に少し狩りしたせいで疲れてないか心配だったが、そんだけ元気なら問題ないな」
「うん、疲労はないよ。っていうかアッシュくんと違ってあんまり動き回らないしね」
心配したのは魔力の消費具合だが、彼女の血色を見る限り問題はなさそうだ。
ふとクララが自身の腕をまじまじと見ていた。そこには昨日入手した、フロストアローの魔石が埋め込まれた金属製の腕輪が装着されている。
「ね、これ本当にもらって良かったの? ほとんどアッシュくんが倒したようなものだったのに……」
「チーム組んでんだからそういうのは言いっこなしだぜ。それに攻撃魔法が使えれば、もし雑魚が向かってきても対処しやすいだろ?」
「うん……でも当たるかな」
「練習したんだからいけるさ」
朝の狩り中にフロストアローの試し打ちをしたところ、ほぼ命中していた。運動能力に関してははっきり言ってあまり高くない彼女だが、魔法の扱いは天性のものがあるかもしれない。
「あ~でも主だけには絶対に撃つなよ。そっちに狙いが向いたら庇いきれない」
「わ、わかった……!」
「よし、じゃあ行くか」
広間奥の魔法陣を揃って踏み、試練の間へと移動する。
相変わらず侵入直後は暗い場所だ。
ほとんどなにも見えない。
「こ、こんなに暗かったっけ」
「覚えてないのか?」
「だってすっごい久しぶりなんだもん……」
そんな気弱な声をクララが出した直後、奥のゴブレットに火が灯った。
うっすらとではあるが、広間全体が窺えるようになる。
奥の右隅で巨大な影が動いた。
長く鋭い牙を生やした長い口に、雄雄しい肉体を支える逞しい四肢。
これまで何度も対峙したダイアウルフの王とも言える姿。
主のお出ましだ。
主は襲い掛かるタイミングをはかっているのか。
ぐるると呻きながらゆったりとした足取りで近づいてくる。
「来るぞ。クララはできるだけ距離をとって標的にされないよう注意してくれ」
「う、うん!」
「あいつの正面だけには立つなよ。火球が飛んでくるからな」
アッシュは指示を出しながらスティレットを抜いて身構える。
柄には昨日入手した青の属性石を埋め込んでいた。ソードブレイカーとどちらを強化するか悩んだが、結局はトドメを刺すことの多いスティレットにすることにしたのだ。
ふいに主が大口を開けたかと思うや、挨拶とばかりに火球を放ってきた。
距離があったこともあり躱すのは容易だった。
ちらりと後ろを確認したが、クララも無事に避けたようだ。
前のめりに倒れてはいたが。
地鳴りのような音が響いた。
慌てて前に視線を戻すと、いつの間にか主が近くまで迫ってきていた。
おそらく火球の裏に隠れて距離を詰めたのだろう。
突進の勢いを殺さずに鋭い黒爪を従えた右前足を振り下ろしてくる。
アッシュは主の懐に頭から飛び込んで回避すると、くるりと床を転がってすぐに体勢を立て直した。
攻撃した直後とあって主は硬直している。
その隙を逃さずに左前足の踵へとスティレットを思い切り突き刺した。
まるで柔らかい土を貫いたかのような感覚に思わず瞠目してしまう。
――これがジュラル島の武器。
雑魚相手では実感がわかなかったが……。
まさかこれほど違うとは思いもしなかった。
属性石のおかげもあるかもしれないが、それにしたって以前の武器とは雲泥の差だ。
人知れず感動していると、主が暴れはじめたので急いでスティレットを抜いて懐から脱出した。間髪容れずに主が噛み付き攻撃を見舞ってくる。
アッシュは身を横回転させながら躱し、敵の左目を突いた。
眼球と同色の血が噴出する。
もう一撃加えられればと思ったが、主が荒れ狂いだしたのでやむを得ず後退した。主も同様に距離を取ると、伸びをするように口を上向けた。
仲間を呼ぶつもりだ。
遠吠えが広間全体に響き渡る。
反響音がなくなると、壁のあちこちから通常サイズのダイアウルフが飛びだしてきた。
数は10。
ただ前回と違ってすべてがこちらに向かってくるわけではなかった。
1体がクララのほうへ走っていく。
「クララ!」
「だ、大丈夫!」
クララが突き出した右掌の先、現れた燐光が一気に収束し、氷の矢を模った。
フロストアローだ。
弾くように撃ち出されたフロストアローが彼女目掛けて走るダイアウルフの頭部へと直撃、その息の根を止めた。
ほっと息をついたクララがピースサインを向けてくる。
どうやら心配は無用のようだ。
アッシュは背後から襲ってきた1体のダイアウルフを躱し、脳天へとスティレットをぶっ刺した。
さらに2体が飛びかかってくる。
ソードブレイカーも抜いて構えると、2体同時に斬り裂いた。
次はどいつが来るのか。
そう威嚇すると、主とともに6体のダイアウルフが後退し、横並びになった。
一斉に火球を放つつもりだ。
「クララ、右手側に走れ!」
アッシュは瞬時に主まで肉迫したのち、右へ方向転換。
その先で火球を放とうとしていた3体のダイアウルフを斬り裂き、屠った。
ほぼ同時、火球は放たれたが、広間が赤く染まるだけに終わった。
火球が壁に衝突した音が響く中、残った3体のダイアウルフたちが向かってくる。
いまの強化された武器さえあれば脅威ではない相手だ。
それらをあっさりと排除し、主のもとへと向かう。
が、思った以上に距離を空けられていてすぐに攻撃へと移れなかった。
その時間を利用して主に遠吠えをあげられる。
ある程度弱れば2回目の遠吠えをすると聞いていたが……。
すでにその域まで達しているということだろうか。
いずれにせよ、やることは変わらない。
追加のダイアウルフを排除するだけだ。
そう思っていたのだが――。
次の10体を排除したあとも、さらにそのあとも、すぐに仲間を呼ばれた。おかげで主に攻撃する余裕なんてまったくなかった。
「もしかして無限に呼ばれるんじゃ!」
「そう、みたいだなっ……!」
アッシュはソードブレイカーでダイアウルフを上下に両断する。
と、主がまたも遠吠えをあげた。
先の遠吠えからほとんど時間が経っていない。
ダイアウルフもまだ8体が残ったままだ。
10体が追加され、合計18体。
いくら雑魚とはいえ、この数を相手にするのは容易ではない。
四方八方からの攻撃に幾つもの切り傷をつけられ、ついには両腕に深めの傷を刻まれた。
「くそッ!」
武器が握れなくなるほどではない。
だが、たしかな痛みが熱とともに襲いくる。
クララの心配する声が聞こえる中、アッシュは歯を食いしばって2体のダイアウルフを斬り、刺し殺した。
ふと先ほどより敵の数が少ない気がして視線を巡らせると、いつの間にか3体のダイアウルフがクララのほうへ向かっていた。ただ、彼女はそれに気づいていながらヒールをしようと杖を構えている。
「俺のことはいい!」
「でもっ」
「自分を優先しろ!」
クララはようやく杖から右手を離し、フロストアローで1体を撃破する。
だが、残り2体の処理はどうみても間に合いそうにない。
――こうなったらアレを使うしかない。





