◆第十一話『もうひとつの刃』
腕力にはそれなりに自信があった。
巨漢の男にだって負けてはいないと思う。
ただ、ジグラノだけはべつだ。
交差された2本の剣がさらにぐいと押された。
歪みに歪んだジグラノの顔が間近に迫る。
垂らされた舌からだらりと唾液が滴り落ちる。
「あんたがあたしに力で勝てると思ってるの!?」
「ぐっ……!」
このままでは押し潰されてしまう。
シビラはたまらず飛び退いた。
ジグラノの2本の剣が支えを失い、石畳に打ちつけられた。轟音とともに抉れた破片が飛び散る中、剣先から伸びるように炎と氷の斬撃が波打つように地面を走る。
彼女の剣はどちらも8等級だが、9個の属性石を装着している。つまりラピス以外では唯一の8等級武器のオーバーエンチャント成功者だ。
それも2本。
80階を突破できた大きな要因だ。
ジグラノが地面から剣を引き抜くなり、眼前の虚空を縦に斬りつけた。生成された炎と氷の斬撃が猛然とこちらに向かってくる。
どちらも9ハメの斬撃とあってかなりの太さだ。あわせれば通りを埋め尽くすほどとかなりの広域に渡っている。回避は難しい。
シビラは迫りくる青の斬撃へと自身の剣を振るった。放たれたのは緑の斬撃。こちらは9等級の武器だ。2日前に手に入れたばかりだが、もちろん9個装着ずみだ。
有利属性とあってこちらの緑の斬撃は相手の青の斬撃をあっさりと蹴散らし、奥へと進んでいく。その隙にシビラは向かってくるもう一方の斬撃を躱した。
先ほどこちらが放った緑の斬撃のほうへ視線を戻すと、ジグラノが振った長剣によってかき消されていた。ジグラノが緑色の燐光を散らしながら奇声とともに飛びかかってくる。
「やめろっ、ジグラノ! わたしとお前が戦う理由はない!」
「あんたにはなくてもあたしにはあるのよ!」
ジグラノによって力任せに振られた剣を受け止めるが、あまりの衝撃に後方へと弾き飛ばされた。体勢を崩すことはなかったし、怪我も負ってない。だが、腕がしびれていた。やはり単純な打ち合いでは勝ち目がない。
ジグラノから放たれた青の斬撃が石畳を凍らせながら迫ってくる。シビラは即座に生成した《ゆらぎの刃》を使って近くの建物の屋上へと飛び乗った。
「相変わらずすばしっこいわねぇ!」
逃がさないとばかりにジグラノが赤と青の斬撃を交互に飛ばしてくる。そのたびにシビラは《ゆらぎの刃》を使って回避。ときに通りを横断する形で屋根上を駆け巡る。
斬撃ととともにジグラノの金切り声が飛んでくる。
「ずっとあんたが邪魔でしかたなかった! あたしがいるべき場所にあんたがいて……けど、それも今日で終わりよ! ニゲル様はわたしを選んであんたを捨てた。用済みなのよ、あんたはッ!」
「お前はこれでいいのか!? マスターが進む先に人が人として生きられる未来はない!」
「そんなのどうでもいいわ! あたしにはニゲル様だけがいればいいの! 化け物だと罵ってきたクソ野郎どもとは違って、あたしの力が必要だと言ってくれた! あたしにはニゲル様がすべてなの!」
さらに発狂したジグラノが荒々しい動きを見せる。
放たれる斬撃の数が増し、心なしか速度も上がっているように感じた。
このまま逃げるばかりでは埒があかない。
シビラは牽制にと緑の斬撃を放った。敵の斬撃の間を縫うように進んだこちらの斬撃が、ついにジグラノに触れる、直前。ジグラノが剣を振っていないにも関わらず、ばしんと音とたてて斬撃は消滅した。
彼女を包み込むようにうっすらと白い光が出現する。それは分厚い白銀の鎧を纏った、巨体の騎士だった。ジグラノが楽しげに微笑む。
「なによ、あんたもやる気じゃない。でも、無駄よ。あたしには《ミロの加護》がある」
ミロの加護。使用者が脅威と感じた攻撃に対し、精霊が常に守護するという神聖王国ミロの聖騎士だけが得られる強力な魔法だ。生半可な攻撃ではその加護を突破することはできない。
比較的、敵の攻撃を受けやすい近接はよほど回避力に自信がない限り軽鎧以上を装備するのが一般的だ。しかし、彼女は《ミロの加護》のおかげで《レガリア》シリーズの軽装を装備している。
「斬撃程度、あたしの加護の前では――」
ジグラノが勝ち誇ったように声をあげる最中、シビラは虚空を2回斬った。《ゆらぎの刃》を生成し、そこに乗せるように緑の斬撃を放ったのだ。通常ではありえない速度を得た緑の斬撃が猛烈な突風を巻き起こし、ジグラノへと襲いかかる。
ミロの加護によって斬撃そのものはかき消される。だが、纏っていた突風がジグラノの白い頬に傷をつけた。つぅー、と垂れた血を長い舌で舐めとったあと、ジグラノが静かながら苛立ったような声をあげる。
「……聞いてないわよ。こんな攻撃を持ってたなんて」
「言っていないからな。ミロの聖騎士が相手だ。手加減してはいられない」
生半可な対応で切り抜けられる相手でもない。
説得に応じてくれないというのなら、とるべき手段はひとつ。
「わたしはなんとしてもマスターを止めねばならない。それが彼とともに戦ってきた者の務めでありわたしの正義だ。……ジグラノ。悪いが、邪魔立てするならここでその刃を折らせてもらう」
剣先を向けながらそう告げた。
ジグラノが体をわなわなと震わせる。
「いつもいつも……そうやってあたしを見下して、やっぱりあんたは生意気なのよ! 絶対にぶっ殺して、ぐちゃぐちゃにして、その首をニゲル様に持っていってやるわ!」
「やれるのならやってみろ」
頭がかちわれるのではないかと思うほどの奇声をあげながら、ジグラノが2本の剣を地面に叩きつけた。直後、ひと蹴りで間近まで迫ってきた。こちらは2階建ての屋上にいるというのに相変わらず人間離れした跳躍力だ。
シビラは《ゆらぎの刃》を使って通りの上へと逃げ延び、滞空中に振り返って緑の斬撃を放つ。が、即座にジグラノから放たれた赤の斬撃によってかき消された。勢い余った赤の斬撃がこちらに迫ってくる。
シビラは慌ててもう一度剣を振って赤の斬撃を相殺する。火の粉が飛び散り、視界が晴れると、手を伸ばせば届く距離まで迫ったジグラノが映り込んだ。交差させた2本の剣を前面に構えながら体ごと突っ込んでくる。
「キィヒャァアアアアアアッ!」
辛うじて剣を割りこませるが、完全に勢いで負けていた。とてつもない衝撃に襲われ、シビラは後方へ弾き飛ばされた。反対側の建物の壁面に背中から叩きつけられ、思わずむせてしまう。
勢いは止まったが、いまもジグラノが剣の切っ先をこちらに突き立てんと迫ってきていた。シビラは歯をくいしばって飛びそうになった意識を繋ぎ止めると、壁を蹴って通りの石畳へと自ら身を投げた。直後にジグラノが建物に激突し、轟音を響き渡らせる。
飛び散った瓦礫が頭上から降り注ぐ中、シビラは受身をとってすぐさま距離をとった。ジグラノの執念深さを考えれば、腕や脚の何本かはとらないと止まってくれないだろう。《ゆらぎの刃》に斬撃を重ねる攻撃なら《ミロの加護》は突破できるが、それでもかすり傷程度しか負わせられない。
ならば、あの攻撃しかない。
《ゆらぎの刃》が持つもうひとつの攻撃手段――。
「シビラァアアアアアッ!」
巻き上がった粉塵からジグラノが飛びだしてきた。
瞬く間に接近され、猛攻撃をしかけられる。
「死ね死ね死ね死ね死ねぇえええええええ――ッ!」
本当に凄まじい怪力だ。
こちらは両手持ちだというのに、相手の片手持ちの剣を受け止めるのがやっとだった。
それでもシビラは通りを逃げ惑いながら必死に応戦する。相手に気取られないよう牽制に見せかけた空振りを織り交ぜていく。
度重なる激しい衝突に手首が悲鳴をあげていた。
下手をすれば一撃死という状況に精神も削られ、限界が近づいていた。
対するジグラノには衰えが見えない。
そればかりか剣を撃ち合わせるたびに勢いが増していた。
「ヒィヤァアアアアアッ!!」
彼女から放たれた渾身の一撃に弾き飛ばされ、シビラは地面を跳ね転がる。頭を何度も打ったせいで意識が朦朧としていたが、なんとか上体を起こした。視界の中、ジグラノがゆっくりと近づいてくる。
「どうやらあたしの勝ちのようね……シビラ。あたしの愛のほうが強かったのよ!」
ジグラノが勝利を確信した顔で右手に持った剣を振り上げる。
その瞬間、シビラは剣を地面に突き立てた。
きぃんと耳鳴りのような音が響いた直後、うっすらとした光で描かれた斬撃の軌跡があちこちに現れる。それらは先ほどまで空振りに見せかけて刻んだ《ゆらぎの刃》だ。その効果は触れたものを弾くのではなく、刻む――。
振り下ろされたジグラノの剣。
それを握っていた右手首がスパッと刻まれた。
血飛沫とともに剣を握ったままの剣が転がる。
「あ……? あぁ………ぁぁぁぁぁああああああああ! あたしの手が、手がぁあああああああッ!!」
あまりの痛みからか、ジグラノが涙と鼻水を垂れ流し、呼吸を荒げる。のた打ち回らないのはさすがというべきか。いや、単に怒りが勝っていただけかもしれない。彼女は血走った眼を向けてくる。
「あ、あんた……なにをしたの!?」
「お前が知らない攻撃を使っただけだ」
刻む《ゆらぎの刃》は使用者にしか見えない。
ジグラノにはわけもわからず手首を斬られた感じだろう。そして認識できない攻撃とあって《ミロの加護》も発動しなかったようだ。
シビラは剣を支えにふらつく体で立ち上がる。
「それ以上、動くと死ぬぞ」
「ど、どうせはったりでしょう」
「死にたくないのなら本当にやめておけ」
「絶対に殺してやるわ! シビラァッ!」
ジグラノは完全に頭に血がのぼっているようでこちらの忠告を無視。その左太腿や胸に《ゆらぎの刃》が食い込むのも厭わずにゆっくりと近寄ろうとしてくる。
「ぐぅ、ぁあああああああああああ――ッ!」
「なっ」
これ以上は本当に死んでしまいかねない。
だが、下手に止めれば彼女はまた暴れはじめるだろう。
シビラは舌打ちしつつ、《ゆらぎの刃》を解除。
同時にジグラノに接近し、その左肩に剣を刺した。
先の《ゆらぎの刃》によって脚を抉られていたこともあってか、ついにジグラノが倒れ込んだ。握っていたもう1本の剣を落とし、耳をつんざくような悲鳴をあげる。
「ジビダッ、ジビダァ、ジビダァアアアアアアッ!」
大量の涎と血を口に付着させながら叫び続けるジグラノ。見るに堪えない姿だが、しかと彼女を視界に収めた。
すまない。
シビラは口から出かかった言葉を呑み込み、ジグラノに背を向けて駆けだす。耳に纏わりつくような彼女の声がいつまでも聞こえていたが、振り返るわけにはいかなかった。
自分にはやるべきことがある。
――待っていてください、マスター……あなたはわたしが止める!





