◆第十話『決別』
……ああ、至福のときだった。
シビラは腹と心を満たされながら、ケーキ屋の《アミリア》をあとにした。
自分なんかがこんな可愛らしい店でケーキを食べていたとギルドメンバーに知られたら笑われるかもしれない。そう思って敬遠していたが、勇気を出してよかった。
久々に休みをくれたマスターに感謝だ。
それにしても貸切だったうえに来客もほとんどなかった。人気店と聞いていたから警戒していたが、これならまたこられそうだ。
先ほど食べたばかりだというのに甘いケーキの味を思いだしたら涎が出そうになった。慌てて緩みかけた顔を引き締める。
ひとまず委託販売所を覗いてから次に行くところを決めよう。そう思って中央広場に辿りついたとき、強い違和感に苛まれた。
人がほとんどいない。
というよりミルマの姿しか見当たらなかった。
「ぁああああッ」
ふいに悲鳴が聞こえてきた。
近くの路地からだ。
ひと気がほとんどないこととなにか関係があるかもしれない。その考えに後押しされるように、シビラは慌てて声の出所へと向かう。
狭い路地の中、剣を振り上げた男がひとり。
その奥には左肩を手で押さえながら片膝をついた男がひとり。
「そこでなにをしている!?」
「……シビラさん?」
剣を振り上げた男がこちらに向いた。
暗がりで見えなかったが、彼は肩に盾の徽章をつけていた。顔ももちろん見たことがある。以前のように偽物ではなく、間違いなくアルビオンのメンバーだ。
シビラは彼を威嚇しながら、奥で倒れた男を見やった。手で押さえられた左肩からは血が流れでている。決して浅くはない傷だ。
「彼はなにをしたんだ」
「なにもしてねぇよ! そいつがいきなり斬りかかってきたんだ! くそがっ!」
ただの憎しみしかない。
アルビオンは治安を守るためにやむを得ず相手に刃を向けることはある。だが、誰もいないうえに路地裏という、この状況。〝やむを得ず〟とはとても思えない。
シビラは責め立てるような思いを瞳に宿し、詰問する。
「彼はこう言っているが……どういうことだ?」
「……話せません」
「話せ」
語調は強めず、ただ殺気を込めた。
びくついた彼が唇を震わせながら言う。
「……マスターの指示です」
「馬鹿を言うな! マスターがそんなこと――」
シビラはそこで問い詰めるのをやめた。
相手がばつが悪そうに目をそらしていたからだ。
とても嘘をついているとは思えない。
指示の内容はわからない。
ただ、罪のない者を傷つけるようなものであったことはたしかだ。
――だが、本当にマスターがこんなことを? いや、理由もなくマスターがこんなことをするはずがない。
混乱しはじめた思考の中、あることが繋がっているような気がしてはっとなった。それは先ほどからひと気がほとんどなかったことだ。まさかとは思いながら確認する。
「その指示とやらは、きみ以外のメンバーも受けているのか」
「おそらく……あなた以外は」
シビラは唇を思い切り噛んだ。
気づけば振り返り、通りに飛びでていた。
なぜ自分だけが知らされていないのか。
いや、いまはそんなことなどどうでもよかった。
シビラはひと気のない中央広場を駆けた。
目的地は決まっている。
アルビオン本部だ。
◆◆◆◆◆
本部のある通りに入ってから間もなく、遠くに人影が見えた。近づくにつれ、その姿はあらわになる。
ひとりは最近、チームメンバーとなったジグラノ。
もうひとりは探していた人物。
アルビオンのマスター、ニゲルだ。
「マスターッ!」
シビラは2人の前で急停止した。
乱れた呼吸が整うよりも早く、募った疑念を吐き出すように声をあげる。
「いますぐに確認したいことがあります。先ほどアルビオンのメンバーがほかの挑戦者を襲って――」
「確認するまでもない。わたしの指示だ」
ニゲルが無感情に言い切った。
なにかの間違いであって欲しい。
心のどこかでそう思っていたが……。
望みは脆くも崩れ去った。
だが、なにか事情があるに違いない。
暴れるようにうるさい鼓動を感じながら恐る恐る問いかける。
「……なぜ、そのような指示を」
「これからわたしは平和のために世界を統一し、管理する。それにはこの島の挑戦者の存在が邪魔になると判断したからだ」
ニゲルはたびたび世界を平和にしたいと口にしていた。その揺るぎない信念に憧れ、また尊敬していた。彼についていけば自身が目指す世界にも辿りつける、と。
だが――。
「世界を統一……管理……? なにを言って……」
シビラは思わず異物を見るような目を向けてしまう。
対するニゲルは失望したかのような顔をしていた。
「昔、チームを組む際にきみは〝みなが笑顔になれる世界を作りたい〟と言っていたな。そしてわたしはそれを素晴らしいと賞賛した。だが、いま、それを訂正させてもらおう。……そんな都合のいい世界など存在はしない」
それは力強くも冷酷な言葉だった。
これまでギルド、チームでともに歩んできた時間。
すべてが瓦解していくような感覚に見舞われ、シビラは頭が真っ白になった。
「う、嘘だと言ってください。マスター」
「……やはりきみには計画を話さなくて正解だったようだ。あまりにも純粋すぎる」
ニゲルはまるで失望したように首を振ったあと、そばに立つジグラノへと目を向けた。
「ジグラノ」
「はい、マスター」
「彼女の相手を任せる」
「殺してもよろしいですか?」
「構わない」
そこに淀みなかった。
瞬間、シビラは悟った。
彼の目に自分という存在は映っていないのだと。
ニゲルはこちらに背を向け、去っていく。
これから彼がなにをしようとしているのかはわからない。ただ、本能的に行かせてはならないと思った。
自分が止めなければならない。
その一心でシビラは彼の背中を追おうとする。
「マスター、待ってください! まだ話は終わっ――」
「ヒィイイイイイイヤッ!」
ジグラノが奇声をあげながら視界に割り込んできた。
抜いた2本の長剣を交差させながら斬りかかってくる。
シビラは素早く剣を抜き、彼女の剣とかち合わせた。
「くっ……ジグラノッ!」
がりがりとこすれ合う剣の向こう側にはジグラノの顔。飛び出るのではと思うぐらい目を剥き、さらに長い舌を出している。
彼女は醜悪な笑みを浮かべながら興奮したように声を張り上げる。
「ようやくあんたをぶっ殺せるわね……シビラァッ!」





