◆第九話『2人の刺客』
アッシュは伸びをしながらログハウスの外に出た。
陽は中天に差しかかり、ぽかぽかと心地良い空気だ。
こんなにも寝たのは久しぶりだった。
昨日の赤の60階戦が激しかったからだろうか。
これまでの疲労が溜まっていただけかもしれないが。
いずれにせよ、もう万全だ。
寝すぎたせいで少しだるいが、それもそのうちなくなるだろう。
「さて、これからどうするかだな……」
本日のチーム活動は休みだ。昨夜、クララとルナは一緒に遊ぶといっていたし、今頃は中央広場にいるのだろう。
こちらも委託販売所を覗くために行くのもありだが、今回は体がだるいこともあってか先に散歩したい気持ちが勝った。
密林の中を南東に向かって進む。
やがて木々で作られた天然の門をくぐると、視界の大半を占めていた緑が一気に青へと移り変わった。漂ってくる潮の香り。先ほどからも聞こえていた波のさざめく音もさらに大きくなった。
目的地の浜辺に辿りついた。
白い砂浜をなぞるように視線を巡らせる。
と、見慣れた人物が目に入った。
砂浜に座り込んでじっと海のほうを眺めている。
海風にあおられ、流れる長い金の髪。
――いつ見ても本当に絵になるな。
そんなことを思いながら、アッシュはその者のもとへと向かった。
「よ、ラピス。また海を見てるのか」
「……そっちはまた邪魔しにきたの?」
「今日は道を訊く必要はないからな。俺も海を見にきた」
アッシュはラピスの隣に座る。
勝手に隣に座るなぐらいは言われる覚悟をしていたが、なにも言われなかった。ただ、代わりに横目で鋭い視線を向けられる。
「塔は昇らないの?」
「今日は休みだ。あぁ、そうだ。昨日、赤の60階突破したぜ」
「…………そう」
時間はかかったが、最後には素っ気ない声が返ってきた。彼女はすでに60階を突破している。それもひとりで。興味がないのも無理がないかもしれない。
「そういえばこの前、アルビオンの女とあそこで食べてるの見たけど」
「あー見てたのか。色々あって協力することになってさ。それの礼ってことで奢ってもらってたんだ」
「節操なしは相変わらずみたいね」
淡々と言われた。彼女の中では当然のことのように〝節操なし〟と認識されているようだ。下手に軽蔑の目を向けられるよりも心にくる。アッシュは後ろ髪をかきながら弁明する。
「べつにそんなんじゃねぇよ。そもそもあいつには好きな奴が――」
――いる。
そう言おうとした瞬間だった。
突如として小さな影が差した。
どうやらラピスも気づいたらしい。
アッシュは一瞬のうちに彼女と視線をぶつけたあと、互いに素早く飛び退いた。直後、先ほどまで座っていた箇所に細い閃光が走った。その姿はまるで落雷。光が散ったとき、砂浜に刺さっていたのは矢だった。
まさか矢であのような攻撃が可能だというのか。
血統技術か、あるいはジュラル島の武器か。
巡りだした疑問はさらなる強襲によって吹き飛ばされた。
視界に大きな影が映り込んだと同時、轟音とともに砂浜が噴き上がった。遅れて全身を叩いてくる風にたまらず距離をとる。完全にラピスと分断された格好だ。
噴き上がった砂浜がまるで雨のように激しい音をたてて落ちていく。やがてあらわになった影の正体にアッシュは思わず目を見開いてしまう。
ヒーラーとは思えない巨体に重鎧。
その手に持つのはモーニングスター。
「おまえはっ」
ニゲルのチームメンバー。
たしかゴドミンといったか。
なぜ彼が襲ってくるのか。
いや、彼だけではない。
先の矢を見る限り、襲撃者はもうひとりいる。
どうする。
ラピスと合流するか――。
思考を遮るように再び矢が降り注いできた。
また落雷型の矢だ。しかも逃げ道をあえて作ることで、こちらを誘導している。
間違いなく相手の狙いはラピスとの分断だ。誘導に逆らいたいところだが、あまりに落雷型の矢が激しく、とてもできそうになかった。
「ちぃっ」
視界の中、ラピスのほうもゴドミンの攻撃によって遠くへと誘導されているようだった。ゴドミンは9等級に達したチームの一員だ。その実力に疑いはないだろう。だが、それでもラピスなら負けるとは思えなかった。
それよりもまずは自分のことの心配をしたほうがよさそうだ。いまも落雷型の矢は襲ってきている。特殊な攻撃ではあるが、相手が相当な技量を持っていることは明らかだ。それほどまでに攻撃間隔が短く、また正確だった。
おそらくルナと同等か。
いや――それ以上だ。
これほどの使い手……。
心当たりはひとりしかいない。
かなりの距離を走らされたのち、ようやく落雷の矢が止んだ。すでに浜辺は見えない。振り返れば、そう遠くない場所に青の塔が建っていることだろう。
「……これはどういうつもりだ?」
アッシュは密林のほうへと向かって問いかけた。
かさかさと葉すれの音を鳴らしながら襲撃者がその姿をさらす。
「いや、ほんとすばしっこいねぇ~。話に聞いてたよりやるじゃん」
やはり予想どおりだった。
ナクルダール。
彼もまたニゲルチームの一員。
9等級の挑戦者だ。
◆◇◆◇◆
眼前の虚空を通りすぎる棘つきの鉄球。
あまりの勢いからか、振られるたび周囲に激しい突風を発生させていた。当たれば間違いなく肉だけでなく骨まで持っていかれることだろう。
事情はわからない。
だが、相手は本気でこちらを殺しにかかっている。
ならばこちらも容赦する必要はない。
ラピスは回避から一転、攻勢に出た。
体ごと1本の槍と化すように身を低くし、駆ける。振り下ろされた鉄球が頭上から落ちてくる。接触する直前に地面を強く蹴り、相手の左側面につけた。
振り下ろされた鉄球が重々しい音をたてて地面に激突する中、ラピスはゴドミンの左脇腹へと思い切り槍を刺し込んだ。
さすがに8等級の重鎧、《レガリア》シリーズとあってか、本気で攻撃したにも関わらず思ったより深く刺さらなかった。ゴドミンは呻いていたが、しかと二の足で立っている。致命傷には至らなかったようだ。
ここは一旦引いて、もう一度攻撃を――。
と思った瞬間、ゴドミンが逃がすまいとばかりに空いた左手で槍を握ってきた。その巨体に見合った力で引き抜けない。その間にゴドミンが右腕を振り、棘つき鉄球を横合いからぶつけんとしてくる。
ラピスは半ば無意識に地面を蹴った。
槍を支えに体を振り、無理矢理に回避する。
鉄球の棘がかすかに太腿をかすめたが軽傷だ。
体を振りにあわせて柄を強引に回す。刺さった刃に抉られてか、ゴドミンが呻き、その顔を苦悶に歪めた。槍を掴んでいた力が弱まる。その隙を逃さずに槍を素早く引き抜いた。
敵が弱っているうちに一気に沈める。
そう決めた瞬間、ゴドミンを中心とした地面が広範囲に渡って赤く煌いた。
――まずい。
ラピスは急いで飛び退いた。
まるでゴドミンを包み込むように、あちこちから極太の炎柱が天へと昇る勢いで噴き上がった。幾本かは途中で折れ、まるで溶岩のように地面の上を流れはじめる。瞬く間に辺りは赤く染まり、空気もまた汗が出るほどに熱せられた。
《フレイムピラー》の上位魔法。
赤の8等級魔法――《エラプション》だ。
敵が弱っているうちに勝負を決めたかったが、うまく遮られてしまった。
ただ、いま持ってきている槍は青の属性石9ハメの愛用武器だ。斬撃を放って火炎を凍らせたのち、攻撃をしかけるか。そう逡巡する間に白い光がちらついたのを確認して思い留まった。
エラプションが収まったとき、敵は左手に杖をかかげていた。おそらくヒールをかけたのだろう。治癒しきれたとは言えないが、傷は塞がっている。なんとも面倒な相手だ。
「さすがはラピス・キア・バルキッシュ。わたしでは勝てそうにないか」
「だったら早くわたしの前から消えてくれないかしら」
「それはできない相談だ」
ゴドミンが鉄球についた血を親指でなぞると、それを舐めた。そのしぐさに嫌悪感に抱いた瞬間――。
「ぐっ」
突如として左脇腹に痛みが襲ってきた。
慌てて確認しようとするが、首が動かなかった。
いや、首だけではない。
手足も動かなかった。
体が自分のものではない感覚にとらわれていた。
自由なのは目、口。あとは思考ぐらいだ。
「抵抗しても無駄だ。《血印拘束》はわたしと対象を繋ぐ」
言葉足らずな説明ながら理解するのは簡単だった。いつでもトドメをさせるはずなのにそれをしない。〝繋ぐ〟という言葉からして、こちらを拘束している限り彼も動けないのだろう。
また、第三者を使えば簡単にこちらを殺せるにも関わらずそれをしない。おそらくあちら側の痛みだけでなく、こちら側の痛みも共有されると見て間違いないだろう。
「これじゃ勝負がつかないと思うんだけど」
「なにも問題はない。いまはまだお前を無理に殺す必要はないのだから」
襲撃しておきながら殺す必要がない、とは。
こちらの疑問を察して、ゴドミンが答えを口にする。
「マスターからはお前を足止めするだけでいいと指示を受けている」
「……いったいどういうつもり? それにあの男……アッシュ・ブレイブまで狙って」
「この島から始まろうとしているのだ」
ゴドミンは静かながら高揚した口調で言った。
常に薄目がちだった彼のまぶたがぐいと持ち上げられた。まるでその先にある世界すべてを望むように、隠れていた大きな目が海を、天を見つめる。
「ニゲル・グロリアによる白き世界が――」





