◆第十六話『レア種』
前日に続いて、アッシュはクララとともに青の塔を昇っていた。
属性強化石を入手するため、狩場を決めてひたすら魔物を倒したほうがいい。
その考えのもと先ほどまで8階に留まっていたが、まったく出る気配がなかったので、いましがた9階に上がってきたところだった。
「ほんと出ないな」
アッシュはそう零しながら、サハギンの脳天からスティレットを抜いた。後続のクララが「うわぁ」と声をあげ、くずおれたサハギンから大袈裟に距離を取る。
「本来はこれが普通じゃないかな」
「でも俺は一日目で出たぜ」
「きっと運が良かっただけだよ」
魔物を退けながら狭い通路を進んでいくと、奥に部屋が見えてきた。
入口の壁に身を潜めながら、こっそり中を確認する。
これまでよりもかなり広い。
ただ、注目すべきはその大きさではなく床だ。
あちこちが四角く切り抜かれ、水で満たされている。
奥の門までは一本道があるものの、ほかは不規則に足場が削られていてなんとも戦いにくそうだ。
「うわぁ~、踏み外したらドボンじゃん……」
「水着持ってきたほうが良かったんじゃないか」
「落ちないから大丈夫だよっ」
見たところ待ち構えているのは5体のサハギン。
これまで何度も倒してきた相手だ。
ただ戦うだけなら脅威ではない。
「うし、行ってくる。片付いたら入ってきてくれ」
「気をつけてね」
「ああっ」
アッシュは2本の短剣を抜いて逆手に持ち、中へ突入した。
待ち構えるサハギンの配置は正面に3、左右に2だ。いち早くこちらに気づいた左右の2体が両側から槍を突き出してくる。アッシュは槍の下へと足から飛び込み、滑るようにしてやり過ごす。
と、正面の3体が槍を突き出して待ち構えていた。とっさに足裏を床に叩きつけ、勢いを殺さずに跳躍。体をひねりながらサハギンの背後に回り込むと、着地と同時に2体を屠った。残る1体もすぐに振り向いて槍を薙いでくるが、床に這って回避しつつ排除した。
残るは最初に槍を向けてきた2体のみ。いまも向かってくるそれらを迎撃せんと構えていると、どこからかボコボコという音が聞こえてきた。音の出所を追った先――左足付近の水場から泡が噴き出ている。
その意味することを理解したとき、1体のサハギンが水しぶきを散らしながら豪快に飛びだしてきた。いまのいままで隠れていたのか。敵は矛先を向けてくるが、落下の勢いが乗った槍をわざわざ受ける必要はない。
アッシュは横に身を投げて難なく回避する。落下したサハギンは攻撃が空振りに終わると、先の2体と合流して横並びに向かってきた。
またボコボコという音が聞こえてくる。
しかも今度は後ろからだ。
――まだいたのかっ!
心中で悪態をつくやいなや、さらに左右の水場からもサハギンが飛び出てくる。
「何体くるんだよっ!」
左右、背後の3方向から奇襲。
加えて正面からは特攻をしかけてくる3体。
綺麗に躱す道はほとんどない。なら――。
真正面の槍にソードブレイカーを縦に噛ませ、一気に前へと押し出した。
すれ違いざまに右手側のサハギンをスティレットで刺して倒したが、代わりに左側のサハギンに左腕を裂かれた。
「ッ――!」
かなり深い。
一気に感覚が薄れ、ソードブレイカーを離してしまう。
自由になった真正面の槍が襲いくる。
身をよじって回避し、使い手のサハギンを刺し殺した。
左腕をだらりと垂らしながら、すぐさま振り向いて残りの4体へと対峙する。
「アッシュくん!」
「来るな!」
背後――入口側から聞こえたクララの声に、アッシュはそう返した。
直後、左腕が白い光に包まれた。
焼けるような熱さが和らぎ、痛みが引いていく。
おそらくクララがヒールをかけてくれたのだろう。
助かったが――。
「すぐに戻れ! たぶんまだいる!」
「えっ?」
クララのすぐそばの水場から新たに1体のサハギンが飛びだした。
水しぶきが舞う中、サハギンの槍がクララ目掛けて突き出される。
体が反射的に動いたのか、クララは縦に構えた杖で槍を受け止めた。
だが、勢いに負けて後ろに倒されてしまう。
「ぐ、うぅっ……!」
「少しだけ踏ん張れ!」
アッシュは対峙する4体の敵に背を向けて駆け出した。
いまもぐいぐいと押し込まれている。
このままでは辿りつく前に、クララの喉に穴が開いてしまう。
空いた左手で鞭を振るい、クララを襲っていたサハギンを弾き飛ばした。
慌てて立ち上がったクララが不恰好に倒れたサハギンを杖でゴツゴツと何度も叩きはじめる。やりすぎなように見えたが、その甲斐あってサハギンは消滅した。
ひとまずクララの安全は確保できた。
アッシュは振り返って後回しにしたサハギンたちに向かう。
奇襲さえなければ4体程度は物の数ではない。
鞭を撃って体勢を崩したところを1体ずつスティレットで屠っていく。
やがてすべてを排除すると、ソードブレイカーを拾ってクララのもとへと向かった。
よほど怖かったのか、彼女の息はかなり荒い。
「もう大丈夫だ。片付いたぞ」
「ご、ごめん……あたしが出てこなくても大丈夫だったよね」
「おかげで最小限の負傷で済んだぜ。ありがとな」
そう声をかけてみたものの、クララの顔は暗いままだ。
「やっぱりダメだよ」
「……クララ?」
「アッシュくんはすごいよ。ひとりで魔物の集団をさばいちゃうし、10階まで辿りついちゃうし。でも、どれだけすごくてもあたしが一緒にいたら足を引っ張って――」
「それ以上は言うな。自分がダメになるぞ」
口は閉じてくれたが、感情は収まっていないようだ。
すべてを吐き出したいとばかりに唇が震えている。
「ヒール以外はだめだ。そう言われたことを気にしてるのか?」
「……どうして知ってるの?」
「昨夜、酒場で知り合いから聞いたんだ」
「そっか……聞いたんだ」
クララは顔を強張らせ、俯いてしまった。
「嗅ぎ回ってたわけじゃないんだが……悪い」
「ううん。ほんとはね、アッシュくんには話そうって思ってたんだ。でも、なんだか怖くて言い出せなかったから」
その想いは感じとっていた。
だからこそ、こんな回りくどいやり方で情報を得たのだ。
クララがぎゅっと杖を握りしめる。
「あたしね、昔から要領が悪くて一度に2つ以上のことをしようとすると頭がこんがらがっちゃうんだ」
「そんなの、できる奴のほうが稀だろ」
「でもヒーラーはできないといけないと思う。もし必要なときにヒールができなかったら……あのときだって、あたしのせいでチームの人が大怪我しちゃって……」
ダリオンのチームで赤の塔10階に挑戦したときのことだろう。
失敗したとは聞いていたが、重傷者まで出したとは知らなかった。
とはいえ、死にさえしなければ怪我は魔法で治せる。
問題はクララのほうだ。〝失敗する恐怖〟がその心に貼りついたままに違いない。
「クララに向かった魔物を放置したあいつらが悪いんだろ」
「あの人たちも目の前の相手に必死だったんだよ。……それにヒーラーが預かってるのはメンバーの命だから言い訳なんてできないよ」
その言い分も理解できるが、なにもかも背負い過ぎだ。
「俺は絶対助けに行く。でも、もしかしたら助けが遅れるかもしれない。そのときはヒールは後回しで、とにかく自分の安全を第一に考えろ。……前にも言ったけど、あまり気負うな。ひとりじゃないんだ」
「……うん」
クララはゆっくり頷くと、ようやく力を抜いてくれた。
アッシュはほっとした反面、心のどこかでなにかが引っかかった。ただ、その原因をすぐに見つけることはできず、ひとまず隅に置いておくことしかできなかった。
「ま、気を取り直して進もうぜ」
そう言って歩き出したとき、部屋の隅にある水場の中に気になるものを見つけた。部屋外へと繋がっていると思しき水中通路だ。ほかの水場も確認してみるが、水中通路は先のひとつしかない。
「どうしたの?」
「あそこだけ通路があるだろ。どっかに繋がってるんじゃないかって思ってさ」
「……ほんとだ。サハギン専用の通路かも?」
その可能性は大いにあるだろう。
だが、もしかしたらという想いにアッシュは体を突き動かされた。
「少しここで待っててくれ」
「え、ちょっとアッシュくん!?」
水場に飛び込み、水中通路へと入る。
ひと掻きで横への移動は終わり、道は上方へと続いた。
間もなく辿りついた水面から顔を出すと、細い陸路が待っていた。
魔物は見当たらず、ひっそりとしている。
やはり勘は当たったようだ。
アッシュは高揚感を隠し切れず、急いで来た道を戻った。
顔を出すなり、クララからふくれっ面を向けられる。
「もう、いきなり飛び込むからびっくりしたじゃん!」
「悪い悪い。でも奥に道を見つけた」
「ほ、ほんとに?」
「ああ、なにかあるかもしれない。行ってみようぜ」
「で、でもあたしあんまり泳ぐのは得意じゃ……」
「俺が手を引くから安心しろ」
うぅ、と呻きながら、クララが渋々水場に入ってきた。浮き上がるローブの裾を片手で押さえながら、もう片方の手で床をがっしりと掴んでいる。
「青の塔でたくさん狩りしてきたけど、泳ぐのは初めてだよ……」
「たくさんっても1階だけだろ」
「そ、それは言わないでよーっ!」
「そういやクララ、《青塔の地縛霊》って呼ばれて島じゃ有名らしいぞ」
「なにそれっ、初めて聞いたんだけど!」
クララの顔が青ざめたかと思うや、今度は赤面する。
「どうしよう。もう恥ずかしくて広場歩けないよ……!」
「ほら、行くぞ。思いっきり息吸えよー」
「え、ちょっと待って!」
床を掴んでいたクララの手を引いて、アッシュは潜水を開始した。
振り返ってクララの様子を窺ってみたところ、完全に目を閉じていた。
頬は破裂しそうなぐらい膨らんでいる。
なんだか見ていて面白い。
程なくして水上に出ると、クララが大袈裟に息を吐いて、吸っていた。
アッシュは髪をかきあげたあと、先に上がって彼女を引き上げる。
「ほんとだ。道がある……でも、びちゃびちゃだよ」
「すぐ乾くだろ」
「そうかもだけどー」
クララが不満げに服を絞りはじめる。
貼りついた服によってその身体の輪郭があらわになっていた。
なだらかな曲線を描いた狭い肩の下、控えめながら形の良い胸がくっきりと窺える。
普段、幼い面が目立つせいで忘れていたが、彼女もまた立派な女性であることを思い出した。いまも湿った髪や肌のせいか、普段にはない艶やかさが彼女を包んでいる。
と、こちらの視線を感じとったか、クララが首を傾げた。
「うん?」
「いや、クララも女だったんだなって」
「――っ! ちょ、ちょっとあっち向いてて!」
いまどんな格好をしているのか、いまさら気づいたようだ。
クララは慌てて身なりを正すと、真っ赤な顔で睨んでくる。
「……アッシュくんって、えっちだったんだね」
「男だったら当然の反応だろ」
同性の尻を追い求める例外も中にはいるかもしれないが。
「まあ、クララが大人の女性として魅力的だったってことだ」
「そ、そうなんだ。ふーん、そっか……あたしが大人……な、なら仕方ないかな……!」
先輩と言われたら喜んでいたし、よほど敬われることに飢えているようだ。
すっかりご機嫌になったクララを連れて奥へと進んでいく。
「ずっと前に聞いた話だけどね、塔には幾つも隠し通路があって、その先にはレア種の魔物がいるんだって」
「レア種?」
「あたしも見たことないんだけど、レア種は交換石や強化石とか、ほかにも色々な物を落とす確率が高いみたい」
「そりゃ心が躍るな」
角を曲がると、少し先に部屋が見えた。
身を潜めながら中の様子を窺う。
先のサハギン部屋と同程度とかなり広いが、魔物は1体しかいない。
高さが成人ほどある花瓶型の肉体を持ち、上部からたくさんの触手を髪の毛のごとく生やしている。見たことのない魔物だ。
「あれがレア種か……ウネウネしてるな」
「うぇ~、気持ち悪い。ね、やめない? 絶対強いし、見るからに毒だよあれ……」
触手に紛れる形で紫の霧がボフンボフンと漏れている。
たしかに危険かもしれないが……。
「ここまで魔石は出たか?」
「1つも出てないけど……でも、まだ時間はあるし、ほかの魔物を狩って――」
「少しでも可能性が上がるなら挑むべきだ」
アッシュは左手にソードブレイカーを握って部屋に侵入する。
3歩ほど進んだところで花瓶部分の皮膚に縦の割れ目が入り、そこから赤水晶がめりっと浮き出てきた。赤水晶はまるで目玉のようにぐりぐり動いたあと、ぴたりと止まる。
直後、1本の触手が襲いかかってきた。ソードブレイカーで問題なく弾き返したが、さらに追加で5本の触手が向かってくる。とても捌けそうにない。
「アッシュくんっ!」
クララの悲鳴が聞こえる中、アッシュは跳ねるようにして後退した。
先ほどまで立っていた床に触手が打ちつけられ、バシンと音が響く。
「っと、危ねぇ」
当たったら腫れるどころではすまなさそうだ。
ふぅと息をついていると、クララが不安げな顔を向けてきた。
「ね、やっぱりやめたほうがいいんじゃ……」
「弱気になるのはまだ早いぜ。見てみろよ、あの触手、ここまで襲ってこないだろ」
「あ、そういえば」
魔物の触手は、すでに元の状態へと戻っている。
追撃をしかけてくる様子はない。
「たぶん、この距離なら一方的に攻撃できるんじゃないか」
ソードブレイカーを収めたのち、鞭で花瓶の目玉を打ってみた。
痛烈な衝撃音ののち、魔物の奇声が発せられる。
さらに――。
「お、触手が縮んだ」
「もしかしてあの目玉を叩いたら触手が全部引っこんだり?」
「試してみるか」
執拗に目玉を狙い続けると、ついにはすべての触手が花瓶の中へと収まった。
「当たりだな。近づいても襲ってこない」
「なんか卑怯な感じがするけど……」
「たぶんこれが正攻法だろ。もたもたしてたら戻りそうだし、さっさと仕留めるか」
「あ、あたしも行く!」
アッシュは魔物へと一気に肉迫し、スティレットで思い切り目玉をぶっ刺した。魔物が金きり声のような慟哭をあげる中、クララも「えい」と弱々しい杖の打撃を入れる。その追撃に果たして効果があったのかわからないが、魔物はちょうどよく消滅を開始した。
「さっきのサハギンのほうがよっぽどきつかったな」
「遠距離攻撃ができない人にはきっと強敵だったんだよ」
「だろうな」
つまり鞭を交換してもらって正解だったわけだ。
魔物が完全に消滅すると、代わりに出現した幾つもの宝石が床に転がった。
レア種だからか、通常の魔物より宝石がかなり多い。
「おっ、緑の宝石だ。初めて見るな。たしか100ジュリーだったか」
つまりビール一杯分、とすぐ頭に浮かんだあたり、早くもジュラル島の住人として自覚が出てきたのかもしれない。
「って、これ属性強化石だよな……? おい、クララ。属性強化石が出たぞ!」
「ね、アッシュくん! これ見て見てっ!」
喜びを分かち合おうとしたところで、機先を制すようにクララの笑顔が飛び込んできた。彼女は目をきらきらさせながら青い宝石を見せつけてくる。
「なんだそれ……?」
宝石は指でつまめるほど小さくて丸い。
交換石とも強化石とも違うようだが……とにかく初めて見る形状だ。
溢れる興奮を抑えるようにして、クララが宝石の正体を明かす。
「青の塔で取れる魔石――フロストアローだよっ」





