◆第七話『白き世界のため①』
ヴァネッサ・グランは怪訝な目で室内を見回した。
いま自身が座っているものも含め、向かい合うように4つのソファが配されている。
ひとつにはベイマンズが座り、その背後には彼のギルド《レッドファング》の幹部でありチームメンバーでもあるロウとヴァンが控えている。
こちらもオルヴィとドーリエを伴っているので同じ構図だ。
もうひとつにはレオがひとりで座っている。
この中ではもっとも古参であり、島で彼を知らない者はいない。ちなみに変態だ。
残りのひとつには、この建物の所有ギルド《アルビオン》のマスターであるニゲル・グロリアが座っていた。背後には最近、彼のチームに新加入したというジグラノ、ナクルダールが控えている。
「今回は呼び立ててしまってすまない。本来はこちらから出向くべきだが、なるべく揃って話をしたかったのでね」
ニゲルの無遠慮な声が張りつめた空気をさらりと流した。それを機にベイマンズがいらついた声をあげる。
「さっさとしてくれ。こっちは塔を昇りたくてしかたないんだからよ」
「急かさずともそのつもりだ」
淡々と受け流したニゲルに、ヴァネッサは細めた目を向ける。
人選からしてギルド間でなんらかの協定を結ぼうとしている可能性が高い。
ニゲルたちのチームは唯一80階を突破している。9等級で得られる装備の存在を鑑みれば、ギルドの戦力として頭ひとつ抜きでた格好だ。そんな有利な状態になってからの協定なんてろくなものではないだろう。
――なにか言いだしても簡単に乗ってやるつもりはない。
そう胸中で意気込んでいると、ついにニゲルの口が開かれた。
「我々アルビオンの傘下に入っていただきたい」
あまりに予想外だったために思わず言葉を失ってしまった。ほかの者も反応は多様なれど驚いているのは同じだった。
「馬鹿げています。誰があなたがたの下につくというのですか」
オルヴィが不快感をあらわにした。
続いてベイマンズが立ち上がり、声を荒げる。
「おい、ニゲル。ふざけてんじゃねぇぞ。自分がなに言ってるのかわかってんのか?」
「落ちつけ、ベイマンズ」
待ったをかけたのはレッドファングの参謀ロウだ。
ベイマンズがどうしてとばかりに噛みつく。
「おい、ロウ。てめぇ、こんな奴の言いなりになるってのかよ」
「ボスの言うとおりっす! あいつら自分たちだけが80階突破したからって調子に乗ってるんすよ!」
ヴァンまで加勢して騒然としはじめる。
しかし、ロウは気圧されるどころか毅然とした態度で応じる。
「違う、そんなことは言っていない。まずは話を聴こうと言っているだけだ。……ニゲル・グロリア。彼ほどの男が理由もなしにそんなことを言うとは思えない」
「……きみがいてよかったよ」
ロウの問い詰めるような視線を受け、ニゲルが満足そうに言った。ベイマンズが渋々ながら腰を落ちつけたのを機に、ニゲルが口火を切る。
「わたしの目的はひとつ。この世界から争いをなくしたい。ただそれだけだ」
予想だにしない言葉だったからか、全員があっけにとられていた。静まり返った間を逃さないとばかりにニゲルは話を継ぐ。
「みなも知ってのとおり島の外では国同士の争いが絶えない。この数百年、戦争がなかったときはないほどだ。きっといまもどこかの戦場でいくつもの命が散っていることだろう。……わたしはこの現状が残念でならない。宗教、土地や資源――あらゆるものが争いのもととなっているが、いかなる理由があったとしても命と吊り合うものではないはずだ。ましてや罪なき者を巻き込んでまですべきことではない」
まるで演説でもするかのようにニゲルは静かながら力強く言い切った。
だが、その言葉に感情がこもっていないように感じられたからか、ヴァネッサは驚くほどなにも感じなかった。むしろ嫌悪感が強まったほどだ。
「まさかあんたがそんなお優しい人間だったとはね」
「信じられないのならそれでもいい。だが、気持ちに嘘偽りがないことだけは誓おう」
その宣言にはやはり気持ちが感じられなかった。
ロウが詰問するかのように厳しい声音をぶつける。
「そんなこと……本当にできると思っているのか」
「できるとも。我々には神の力があるのだから」
言って、ニゲルは腰に佩いた剣の柄を握った。
「人間は愚かだ。どれだけ平和を謳ったところで争いがなくならないことは歴史が証明している。ならばどうするか……答えは簡単だ。すべての国をひとつに統一すればいい。そして管理するのだ。このわたしの手で――」
嫌悪感の正体がようやくあらわになった。前々からなにを考えているのかわからない人間だったが……まさかここまでぶっとんでいるとは思いもしなかった。
「争いを否定していながら、あんたがやろうとしてるのは同じことじゃないか」
ヴァネッサは鼻で笑いながら続けて言う。
「大体、そんな夢物語、神に頼んだほうがよっぽど現実的なんじゃないか?」
「もちろん初めはそのつもりだったよ。しかし、無理だと判断した」
唐突にニゲルの目から光が失われた気がした。
彼は無機質な声で語りはじめる。
「きみたちは知らないだろうが、9等級の魔物は恐ろしい力を持っている。おそらく81階を突破できたとしても3年。その先5年以上かけて90階まで辿りついたとして、そこで待ち受けるのは80階をさらに上回る主……果たしてどれだけの時がかかるだろうか」
ニゲルたちのチームですら通常階を突破するのにそこまでかかるとは。考えたくはないが、よほどの強さなのだろう。
「たとえ装備が万全になったとしても、そのときには体が老いている。おそらく――いや、間違いなく生きている間に攻略することは無理だろう」
まるで自らに現実を突きつけているような口振りだった。
ヴァネッサは確認するように問う。
「塔を昇って神に叶えてもらうことはできない。だから自分の手で願いを叶える……そういうことかい。ギルドのメンバーを使ってまで」
「もとよりそのために集めたメンバーだ」
――管理する。
その気持ちの悪い考えが、ジュラル島での《アルビオン》の振る舞いにつうじるところがあるとは思っていたが……はなから織り込みずみだったわけだ。
「しかし簡単でないことも承知している。だからこそきみたちに助力を頼みたいのだ。改めて問おう。我々アルビオンの傘下に入っていただきたい」
言葉だけを見れば乞われているともとれるが、実際は違う。高圧的で、どこか強制するようなものが含まれていた。それを感じ取ってか、ベイマンズが荒々しく舌打ちをする。
「争いを失くしたいってのは立派だと思うけどな。おい、ロウ」
「ああ、わたしも同じ考えだ」
「俺らはてめぇらの下につくつもりはない。てか、俺らは塔を昇りにきてんだ。んなもん勝手にやってろってんだよ」
ベイマンズが興味がないとばかりに吐き捨てた。
「僕もいやかな。というか島の外には出たくないしね」
これまで沈黙を保っていたレオが言った。
その顔は険悪な空気とは裏腹に笑顔のままだ。
きみたちはどうか、とニゲルがこちらに視線を向けてきた。ヴァネッサは背後で控えるオルヴィ、ドーリエと頷き合ったあと、返答する。
「あたしらも断る。そんな絵空事に乗るのはごめんだね」
世界統一なんてものに興味はないし、そもそもそんなことのためにジュラル島にきたわけではない。仮に興味があったとしても《アルビオン》の傘下に入ることだけは絶対にない。それほどまでにそりがあわないギルドだ。
ニゲルがゆっくりと首を振る。
「解せないな。ここに残っても塔の頂を見ることはできないだろう。ならば、我々に従ったほうが未来は明るいはずだ」
「お前がなにを言おうと答えはかわんねぇよ。大体よぉ、てめぇが無理だって言っても、自分の体で味わってからじゃねぇと納得できるわけねぇだろうが」
ベイマンズが言っているのは塔の制覇についてだろう。
こちらも同じ思いだった。他人から無理だと言われたところで諦められるわけがなかった。諦めるならとっくの昔に諦めている。
「初めて意見があったねえ、ベイマンズ」
「けっ、お前も挑戦者としての誇りがあったみてぇだな」
互いに悪態をつきながら揃ってニゲルを睨んだ。
しかし、当の本人に落ち込んだ様子はなかった。
そればかりか、この結末をわかっていたかのようだった。
「そうか。ではしかたない…………連れてこい」
ニゲルが部屋の外に向かって淡々と口にした。
呼応する形で開けられた扉から3人のアルビオンメンバーが入ってくる。
――拘束された3人の挑戦者を連れて。





