◆第四話『革命の始まり』
いつものごとくベヌスは屋敷のソファに身を預けてくつろいでいた。
眼前には呼び出したミルマ――アイリスが立っている。
彼女はミルマの中でも1、2位を争う美貌の持ち主とあって、どこを切り取っても1枚の絵画のようだった。ただ、今回の絵は穏やかな日常を表現するには少々が無理があるほど彼女の眉が吊り上がっていた。
「わたしは反対です。一介の挑戦者の前に出るなど……」
「無論、姿を見せるつもりはない」
「それでもっ! ……なにかあってからでは遅いのですよ」
「アイリス、なんのためにお前を呼んだのか。その意味を理解せよ」
多くは語らない。
彼女に伝えるのはそれだけで充分だった。
「……承知しました」
言葉とは裏腹に不服まみれの顔だ。
とはいえ、それを咎めるつもりはなかった。
そんな彼女だからこそそばに立つことを許している。
「きたようだな」
ベヌスは部屋の外に気配を感じ取り、扉を見やる。
間もなく、扉がこんこんと小突かれた。「ベヌス様」と外からミルマの声が聞こえてくる。アイリスが代わりに応じると、扉が静かに開けられた。
入ってきたのは白皙の男。
生還者の中で唯一80階を突破した5人のうちのひとり。
ニゲル・グロリアだ。
その身を包むのは8等級の《レガリア》シリーズ。
どうやら防具の新調はまだしていないらしい。
いや、〝していない〟というよりは〝できない〟といったほうが正しいか。
ただ、左腰に提げた武器――長剣のほうは9等級に上げられたようだ。加えて左腕にとおされた腕輪。そこに装着された魔石は9等級の目玉といってもいいものだった。
よくこの短期間で入手できたものだ。
そうして観察をしている間にもニゲルは正面に立った。
間に壁はないが、彼からはこちらが見えないよう細工をしていた。きっと黒い靄がかかっていることだろう。だが、それでも奴に動じた様子はない。
「このたびは謁見をお許しいただき感謝いたします」
「謁見か」
「あなたはこの地を治めているも同然。ならば王と同じです」
顔のほうは硬くてつまらないが……なかなかに面白いことを言う。
ふとニゲルが部屋の隅で控えるアイリスのほうを見やった。
「ただ、ひとつ疑問があります。なぜ彼女がいるのでしょうか?」
「王ならば侍女のひとりやふたり付き添っていても問題ないだろう? なにしろ武器を持った男が会いにきたのだからな。それともなにか、まさかその格好で逢瀬と言うつもりはないだろうな?」
「……無礼をお許しいただきたい」
ニゲルが目を伏せた。
同時に纏っていたかすかな険が解かれる。
果たして本気だったのか、こちらを試したのか。
ベヌスは浮かれた気持ちをそのままに先を促す。
「それで用件はなんだ」
「確認と願い事があります」
「言ってみよ」
こちらの声に応じてニゲルが流暢に話しはじめる。
「では確認から。挑戦者によって作られた組織――ギルドのうちのひとつ、《ルミノックス》。また約4ヶ月前、突如として島にやってきた黒ずくめの集団。この2つの組織が永久追放の処分を受けました。そしてミルマによる挑戦者の保護。これらの件について、わたしはこう感じています」
言い終えてから彼はもったいぶるように間を置いた。
視線を鋭くして告げてくる。
「――あなたはアッシュ・ブレイブに肩入れしているのでは、と」
ベヌスは目を細めてニゲルを見やる。可能性としてはありえることだが、彼がなぜその考えに至ったのか。少し興味が湧いてきた。
「お前が挙げた件には少なくともほかに2人が関わっているはずだ。にも関わらずアッシュ・ブレイブに限定するのはなぜか」
「彼が島にきてから非常に短い。その中であなたがたミルマが今回に限って介入してきた。それも2件。ここに関連性があると考えたまでです」
「……理由としては弱すぎるな」
そんなことはニゲルにもわかっているはずだ。
にも関わらず、こうして確認をしにきた。
であれば真意がほかにあることは間違いない。
――ここはひとつ乗ってやるか。
ベヌスは胸中でそう決めて話を進めることにした。
「先に教えておいてやろう。ルミノックスや黒ずくめの集団の件に関しては他の挑戦者への度重なる妨害が目に余ると判断してのことだ。挑戦者を保護した件もそやつにはすでに戦う力が残っていなかったがゆえ。つまり特例だ」
「ではアッシュ・ブレイブを特別視したわけではない、と」
「無論だ」
この言葉を望んでいたことはわかっていた。
予想どおりニゲルの瞳の色が変わった。
挑戦的で、ひどくぎらついている。
「願い事について、お話ししてもよろしいでしょうか」
「言ってみよ」
いったいなにを言ってくるのか。
この退屈な日々を変えてくれるだろうか。
ベヌスは泰然としながらも期待に胸を膨らませていると、ついにニゲルの口が開かれた。
◆◆◆◆◆
部屋の隅でアイリスが険しい顔をしていた。
その視線は先ほど挑戦者が出て行った扉のほうを向いている。
「よかったのですか、あのような約束をして」
「なに、奴もリスクを負っている」
「ですが、下手をすれば塔の攻略が……」
「これで終わるようならそれまでのこと。人間に塔を攻略するのは無理だったということだ。それに――」
頂は遠い。
人が辿りつくにはいまだ少なくない時が必要となるだろう。
ならば、それまでの余興としてこれ以上のものはない。
ベヌスは視線を上げた。
その先に存在する――天上の舞台を見つめながら舌なめずりをする。
「神アイティエルも望んでいる」





