◆第一話『激震』
「聞いたよ。マキナたちを家に招待したんだって?」
南西の通りにあるこじんまりとした酒場にて。
対面に座るヴァネッサがそう話を切り出してきた。
4日に1度に近いペースで彼女とはふたりきりで飲んでいるが、今回はオルヴィ、ドーリエも同席していた。オルヴィはマスカをちびちびと飲み、ドーリエのほうは豪快に肉をかっくらっている。
アッシュはエールを一口飲み、カップをテーブルに置く。
「ああ。ま、食事を出すだけで大したもてなしはできてないけどな。それなりに盛り上がったぜ」
「あの子たちも楽しかったって言ってたよ」
まるで妹を見守るような優しい笑みを浮かべたかと思うや、ヴァネッサは「ところで」と口にして鋭い目を向けてきた。
「どうしてあたしらには声をかけてくれなかったんだい?」
「そうです! わたくし、ずっと心待ちにしておりましたのにっ」
間髪容れずにオルヴィが声をあげる。
ただ、反射的なものだったらしい。
慌てて口を噤んで目を泳がせていた。
まさか2人がそれほど期待していたとは。
アッシュは彼女たちの不満顔に困惑しつつ対応する。
「いや、そもそも企画したのはクララだしな」
「で、ではアッシュさんが言いだしていたら、わたくしたちにも声をかけてくれたのでしょうか……っ!?」
「もちろんだ。あ、どっちを先になんて質問はするなよ。べつに優劣つけるつもりはないからな」
オルヴィが勢いをそがれたように呻く。
どうやら先んじて忠告して正解だったようだ。
そばではすっかり毒気を抜いたヴァネッサが微笑んでいる。
「意地の悪いことを言ったね」
「まったくだ。俺にとっちゃ同じ仲間なんだからな」
「それでも気にしてしまうもんなんだよ」
彼女は揺らしたカップの中を覗きながら少し寂しげな顔を見せた。そんな顔をされるほうが強く言われるよりもよっぽどこたえる。
「わかったよ。今度、ヴァネッサたちも招待する」
「本当ですかっ?」
「美味いものは出るかい?」
オルヴィが身を乗りだす中、ドーリエが獲物を見つけた獣のような目を向けてくる。
「うちのルナは料理が得意だからな。期待していいと思うぞ」
「なら喜んで行かせてもらうよ」
ドーリエはそう答えると、骨つき肉にむしゃぶりついた。相変わらず食べ物に目がないようだ。将来、彼女とともになる男は大量の食費を覚悟する必要があるだろう。
「楽しみだねぇ。けど、2番目ってのは気に食わないね」
「こればかりはしかたない」
それでもヴァネッサは納得がいかないようだ。
なにやら思案をはじめると、楽しげに口元を吊り上げた。
「アッシュ。今度、あたしの部屋で飲まないか? もちろんふたりきりでだ」
言いながら、前のめりになって上目遣いを向けてくる。少し視線を下げればジュラル島随一とも言えるそのゆたかな胸がテーブルに乗って形が崩れていた。開いた胸元からは深い谷間が覗いている。
彼女自身、その魅力がわかっているようでためらうことなく見せつけてきた。
オルヴィが慌てたように立ち上がる。
「マ、マスター! さすがにそれは――」
「なんだい、だったらオルヴィも呼べばいいじゃないか」
「わ、わたくしも!?」
オルヴィは裏返る寸前の声をあげたのち、両手で顔を隠しながらこちらを見てくる。いま彼女がどんな顔をしているのかは真っ赤な耳を見れば容易に想像できた。
「アッシュさんと……ふたりきり。と、ということはあ、あああんなことや、こ、ここここんなことまでっ! はぅ……」
いったいどんな妄想をしたのか。
オルヴィはふらつきながら椅子に座りなおした。
視点は定まっていないが、とりあえず顔は幸せそうだ。
「オルヴィには刺激が強かったみたいだね。で、返答はどうなんだい?」
「ま、そのうちな」
「えらくあっさりだね。こっちとしてはもう少し動揺して欲しかったよ」
「いまさらな仲だろ」
「まったく……その余裕そうな顔をいつか剥がしてやりたいね」
普段どおりの軽口を言い合いながら彼女と揃ってエールをあおった、そのとき。そばでドーリエが食事の手を止め、ぼそりと口にする。
「あたしは……遠慮しておくよ」
「了解だ」
男勝りな振る舞いに相反して彼女はとてもうぶだ。
果たしてヴァンは彼女と恋仲になれるのだろうか。
まったく想像できないというのが正直な感想だった。
「最近、塔のほうはどうなんだい」
「そろそろ全部60階ってところだ」
「やっぱり早いね。さすがあたしが認めた男だ」
ヴァネッサは買ってくれているが、実際は自分ひとりの力ではない。クララやルナといった仲間の力。それに――。
アッシュはいまも腰裏に刺したスティレットの柄尻に手を当てる。
「っても、やっぱレリックの存在が大きいな。これがなけりゃ間違いなくもっと時間がかかってた」
「けど、もうそろそろ黒の塔以外では使えなくなってきただろう」
「察しのとおり50階からそんな感じだ。魔法を打ち消すにはまだまだ使えるけどな」
レリックの質は7等級。
白の属性石9個分が最大効果となっている。
わかっていたことだが、レリックは最終装備にはなりえない。いまはまだ使えるが、今後さらに上階に進めばいずれ役目を終えるときがくるだろう。
「そっちはどうなんだ?」
「相変わらず80階止まりだよ」
「ヴァネッサたちがそんだけ苦戦するってまったく想像がつかないな」
彼女たちの強さはリッチキング戦で直に見たが、さすが8等級の挑戦者といった感じで凄まじかった。彼女たちが暴れれば大国のひとつやふたつ相手にできるのではないかと思うほどだ。
しかし、それほどの力をもってしても突破できないという。80階の主はいったいどれほどの強さなのか。いまから興味が湧いてしかたない。
ヴァネッサが半ば呆れ気味に息を吐く。
「竜の親玉みたいなのが相手なんだけどね、そりゃもう凄まじい強さだよ」
「挑戦した2回とも惨敗ですね」
そう言ったのはオルヴィだ。
いつの間にか正気に戻っていたらしい。
「というより死にかけたね。ドーリエなんて傷が深すぎて1ヶ月ベッドの上だったよ」
「あれは本当にやばかった……」
ドーリエが自身の胸を押さえながら顔を歪めた。
どうやらよほど苦い思い出だったらしい。
「火力の高さもそうだが、なによりタフなんだ。いまのうちらの火力だと仮に突破できても上限の5人が必要になるだろうね」
試練の間には5人までしか入れないという制限がある。通常階に制限はないが、等級を上げるためには試練の間を突破しなければならないこともあり、5人以下のチームが一般的となっている。
「ソレイユにいないのか? よさそうなメンバーは」
「7等級のチームはひとつだけあるんだけどね」
ヴァネッサが言葉を濁し、オルヴィのほうを見やった。
「あの子たちは少し厳しいと思います。70階も突破できるかどうか……」
下手にメンバーを加えれば足を引っ張られる可能性がある。ヴァネッサたちも好きで3人で攻略しているわけではなく、ただついてこられる仲間がいないのだろう。
「仮に基準を満たしていたとしてもチームを解体させることになるし、色々と難しいね」
ヴァネッサたちのチームは3人。つまり、そのチームが5人だった場合、合流すれば3人が余る形になる。そうなれば多かれ少なかれ人間関係にもひずみが生まれることは間違いないだろう。
上限の5人を揃えるのはなかなか難しそうだ。
そんなことを思いながら、アッシュはカップに口をつける。
だが、いくら倒してもエールが流れてこなかった。
どうやら空になってしまったようだ。
しかたないので立ち上がってカウンターに向かおうとしたとき――。
「大変だ! みんな聞いてくれ!」
そんな声とともにひとりの挑戦者が酒場に駆け込んできた。
突然だったうえに騒がしい音だったからか。
酒場にいた15人程度の挑戦者全員が一斉に彼のほうを向いた。
全員から注目を浴びる中、駆け込んできた挑戦者は息を整え、顔をあげる。
そして大声で叫んだ。
「アルビオンが80階を突破したらしい!」





