◆第十七話『悪魔の使徒』
「やあ、アッシュくん。今朝ぶりだね。あ、でもこんな時間だし、昨日ぶりかな?」
モグスは淡々としていた。
そこに危機感はまったくない。
むしろ口元を緩めて余裕すらみせている。
アッシュは嫌悪感に見舞われ、侮蔑の目を向けた。
モグスが心外だとばかりに眉根を下げる。
「まさかアッシュくんまで僕を疑ってるのかい? 毎朝、顔を合わせる仲なのに」
「煙を吸わせて他者を操る……南西大陸のズィサオークの呪術か」
そう問いかけると、モグスが心底驚いたように目を瞬かせた。
「驚いたな。まさかズィーサを知ってるなんて」
「家族旅行でちょっとな。最高の歓迎をしてもらったぜ」
「さぞかしゆっくりできただろうね」
ズィサオークは辺境地にある街だ。
近くに試練の塔があるために立ち寄ったが……。
完全なる無法地帯だった。
金目のものを求めて誰彼構わず襲いかかる不良者がたくさんいる。幸いこちらは荒事には慣れているので無事だったが、並みの人間なら間違いなく身包み剥がれていただろう。
「きみを襲ったのは間違いだったかな。でも、それだと公平じゃないしね」
「どうしてこんなことをした?」
アッシュは静かに、しかし怒気を込めて訊いた。
追い詰められた現状においても、いまだ平然としているモグスに苛立ちを感じたのだ。
「決まってるじゃないか。アルビオンが目障りだからだよ」
彼は薄気味悪い笑みを浮かべながら、つらつらと話を続ける。
「こんなところにきてまで秩序を守るだなんて笑わせるよね。ただ自分たちが上に立ってふんぞり返りたいだけなのに」
「違う! 我々はそんなことなど考えていない!」
「僕、アルビオンみたいな偽善的な人たち大嫌いなんだ。とくにきみ」
モグスが冷ややかな目でシビラに向ける。
「自分が正義だって疑ってないところが一番気持ち悪いよ」
「わたしはただ、みなが平和に暮らせるようにと――」
「僕はそんなの望んでないんだよ。いや、僕だけじゃない。少なくない人たちが好き勝手にやりたいと思ってる。わかるかな、きみたち邪魔なんだよ」
モグスは感情に任せて発言してこない。
直情的なシビラにはとても相性が悪い相手だ。
案の定、彼女はいまにも踏み込もうとしていた。
「シビラ、相手にするな」
「だが!」
捕縛するには多少、痛めつけるのも手だろう。
だが、モグスの余裕が気になる。
「モグス、大人しく投降しろ」
「ん……どうしてそんなことしないといけないのかな。もしかして自分たちのほうが有利だと思ってるのかな。僕には駒がいるんだよ?」
「その挑戦者じゃ相手にならない」
「そうだね。この女だけなら、ね」
モグスがにやりと笑みを浮かべた、瞬間。
頭上から物音が聞こえてきた。
アッシュはすぐさま見上げると、星空を遮るように3つの人影が映り込んだ。
「シビラ、上だ!」
アッシュはシビラと揃って飛び退いた。
直後、先ほどまで立っていた場所に3人が飛び下りてくる。
2人が長剣に1人が斧だ。
全員が虚ろな目でこちらを見据えている。
おそらくモグスに操られているのだろう。
「3人もっ」
シビラが苛立たしげな声をもらすと、モグスが勝ち誇ったように笑んだ。
「駒がひとつ潰されたんだ! 用心するのは当然だよね!」
その声に応じて、そばの女性挑戦者が剣を拾いなおして向かってきた。これで操られた挑戦者は4人だ。
ただ路地とあって横幅は広くない。
せいぜい3人並べるかどうかといったところだ。
相手のひとりが血気盛んに飛び込んできた。
その手に持った長剣を思い切り振り下ろしてくる。
シビラがその一撃を受け止めるが、あまりの威力に苦悶していた。
「まともに撃ちあうな! 奴らの力は人間の域を越えてる!」
武器を振り回すことを考えればまともに戦えるのはひとりずつといったところだろう。そう思ったとき、斧の挑戦者がこちらの頭上を飛び越えてきた。一瞬にして背後をとられてしまう。
「マジかよっ」
デモニアで大幅に上がった身体能力。
それをまさに体現するような動きだ。
裏手に回った挑戦者が豪快に斧を斜めに振り下ろしてくる。
相手は馬鹿力。ましてやこちらは短剣。
アッシュはたまらず後ずさる。
と、シビラの背中とぶつかった。
「す、すまないっ」
「悪いっ」
まともに得物を撃ちあえないうえに、この狭さ。戦いづらくてしかたない。
「ちょうどいいや! きみをデモニア漬けにしてアルビオンを中から壊してやろう! それならあのお高く止まってるニゲル・グロリアも簡単にやれそうだ!」
こちらが不利だと判断したのか、モグスはすでに勝った気でいるようだった。たしかに戦いづらくはあるが、決して不利なわけではない。
シビラが敵と戦闘を再開しはじめたとき、斧の挑戦者もまた動きだした。その斧を横に振ってくる。こちらの胴体を上下に両断せんとする勢いだ。速さも並ではない。だが、予備動作があまりに大きすぎる。
アッシュは敵の攻撃を予測し、その場で軽く跳躍。最小限の動きで斧を躱すと、そのまま着地と同時に前に転がって敵の足下に辿りついた。一方の足をソードブレイカーで斬り、もう片方の足にはスティレットで刺して機動力を奪う。
崩れた相手が雑に斧を振るってきたところ、さらに右、左手の甲と順に斬りつけて戦闘不能に追いやった。
「う、うそだ……僕の駒がこんなあっさりやられるなんて」
「モグス、そこで待ってろ。すぐに行ってやるからな」
「こんなはずじゃなかったのにっ!」
先ほどの威勢はどこへやら、モグスはこちらに背を向けて駆け出した。操れる人間がもういないとは言い切れない現状、彼を逃がすのは危険だ。
しかし、彼との間には3人の挑戦者が立ちふさがっている。負けることはないが、相手をしている間に逃げられるかもしれない。
「アッシュ・ブレイブ! ここはわたしが引き受ける! 貴様は奴を!」
シビラが自身の頭上に《ゆらぎの刃》を生成した。
アッシュはすぐさまそこへ飛び込んだ。
操られた挑戦者3人の頭上を瞬く間に越えていく。女性の挑戦者がとっさに跳躍して向かってきたが、ちょうど足下だったので顔面を蹴り飛ばした。
ただ、そのせいで体勢を崩してしまった。
アッシュは着地と同時に受身をとり、すぐに跳ね起きる。
顔を上げると、ちょうど二手の分かれ道を右に曲がろうとするモグスの背中が見えた。そちらは入り組んだ路地裏への道だ。スティレットを振って白の斬撃で牽制したところ、驚いたモグスが思いどおりに通りのほうへと逃げていった。
近くまで迫っていることに気づいて慌てたのか、彼は通りに出るなり盛大に転んだ。だが、通りを歩いていたひとりの挑戦者を見た瞬間、その顔が醜悪なものに変貌した。
「いいところにきた!」
どうやらデモニア使用者だったらしい。
新たな挑戦者がモグスによって操られ飛びかかってくる。
デモニアで操られた挑戦者の相手はこれで3度目だ。
すでに対策はすんでいる。
アッシュはわかりやすい予備動作から攻撃の軌道を読み、瞬時に相手を沈めた。
「身体能力が飛躍的に上がっても、こんな単純な動きじゃあな」
1対1ならまず負ける気がしない。
モグスが左手を突きだして《フロストアロー》を放ってくるが、アッシュはスティレットを振って光のカーテンを展開。余裕を持って防ぎきった。
その光景を見てか、モグスの顔が絶望に染まる。
「お、お願いだ、アッシュ。見逃してくれ! 僕たちの仲だろ?」
「見逃すにはちょっとやりすぎたな」
「頼む、このとおりだ!」
モグスが頭を地面につけて謝罪してくる。
小柄で恰幅のいい体とあって、まるで団子のようだ。
そんなことを思っていたら、モグスが腰に携えていた短剣を素早く抜いた。
「なんてね! こんなところで捕まるわけには――」
アッシュは素早く彼の手もろとも短剣を蹴り飛ばした。
さらに胸倉を掴んで持ち上げ、そのもっちりとした頬を思い切り殴る。体のほうは重いこともあってあまり飛ばなかったが、意識のほうはうまく飛んだらしい。そのまま動かなくなった。
「俺のチームに魔物をなすりつけてきたお返しだ」
そう告げたとき、そばで転がっていた挑戦者が呻きはじめた。おそらくモグスが気絶したことで解放されたのだろう。
「アッシュ・ブレイブ!」
路地から出てきたシビラがそばまで駆けてきた。
見たところ怪我はないようで一安心だ。
彼女は近くで転がったモグスを目にしながら言う。
「挑戦者たちの意識が戻ったのでもしやと思ったが……どうやらうまくいったようだな」
「まあ、モグス自体は強くなかったしな」
2等級の挑戦者という話だが、それも怪しいぐらいだった。おそらく試練の塔すらも他者を操ってどうにか攻略したのだろう。
シビラがモグスに厳しい目を向ける。
「ひとまず彼のことはわたしに任せてもらえないだろうか」
「ああ。こっちは怪我人のほうをなんとかしておく」
そばにひとりと路地裏にひとり。
戦闘不能にまで追いやった挑戦者がいる。
彼らはモグスに操られていただけで罪はない。
ヒールで治してもらえるよう、これからクララかオルヴィに頼みに行くつもりだ。
塔昇り中の妨害とデモニアが絡んだ一連の事件。友人だと思っていた男の犯行とあってなんとも複雑な気分だが、無事に解決できてほっとした。
アッシュは武器を収めたのち、夜空を背景にそびえる塔を視界に入れる。
これでまた明日から快適に塔を昇れそうだ。





