◆第十五話『喚く豚』
その日の夜。
塔から帰還したアッシュは、クララとともに宿のロビーで夕食をとっていた。
メニューは焼き魚に野菜てんこもりのスープのみ。
決して華やかなメニューではない。
だが、摂取できる栄養は充分過ぎるぐらいだ。
クララはしきりに「ひもじぃよぉ」と口にしていたが。
アッシュは立ち上がると、受付台で読書中のブランへと声をかける。
「昨日今日と悪いな、ご馳走になっちまって。美味かったよ」
「フンッ。そんなもんで満足するなんて安上がりな舌だね」
「おかげで毎日が幸せだ。食器はどうすれば?」
「昨日と同じで置いときな」
アッシュは返事をしたのち、ブランに背を向けた。
そのまま玄関へ向かうと、「どこ行くの?」とクララが訊いてきた。
彼女はまだ食事中で両頬が大きく膨らんでいる。
「ちょっと外に散歩しに行こうと思ってな」
「ふーん」
興味がありそうな目をしたように見えたが、気のせいだったらしい。
クララは視線を落とすと、その小さな口でスープをちびちび飲みはじめた。
……小動物みたいだ。
そう思いながら、アッシュは今度こそ宿をあとにした。
◆◆◆◆◆
中央広場にはまだ多くの人影が見えた。
少しは静かな夜を楽しめるかと思ったが、それにはどうやらまだ時間が必要らしい。
通りの店は多くが閉まっているが、幾つかは淡い小金の光を漏らしていた。
おそらく酒場だろう。
……目的の場所だ。
アッシュはそのうちのひとつに向かった。
入口にかけられられた看板には『喚く大豚亭』と書かれている。
「……随分といかれた名前だな」
違う酒場にしようかと一瞬迷ったが、これまでろくな酒場がなかったことを思い出して扉を開けた。カランカランという鐘の音が響いた、直後――。
「ブヒィイイイッ!!」
真っ赤な顔の中年男が奇声を発しながら眼前に現れた。
アッシュはとっさに体をそらすと、中年男が地面に倒れ込んだ。
何事かと思ったが、すぐに納得した。
中年男の手にエール入りの木製カップが握られていたのだ。
どうやら先の言葉を訂正しないといけないらしい。
――喚く大豚亭。
なんてぴったりな名前だ。
そうして中年男に気を取られている間にも店の賑わいが騒がしい声となって伝わってきていた。もちろん、むわっとした空気と少しすっぱい臭いもおまけつきだ。
客はざっと見ても30人はいるだろうか。
店内は思った以上に広いが、それでも手狭に感じるほど圧迫感が凄まじい。
ひとまず飲み物を注文しに行きたいところだが、その前に酔いつぶれた中年男をどうにかしなければ扉を閉められない。
早速中年男の足を引っ張ろうとしたが、すぐにやめた。
襟首を掴んで無理矢理に立たせてから閉めた扉に寄りかからせる。
「これでよし」
離れてからすぐに来店があったらしい。
またも威勢の良い豚の鳴き声が後ろであがっていた。
どうやら成功したらしい。
アッシュはしたり顔でカウンターに向かうと、忙しなく客に酒を出している若いミルマに声をかけた。
「一杯いくらだ?」
「お、新人さんすか! エールなら100ジュリーっすけど、初回なんで半額でいいっすよ~っ!」
「そりゃありがたいな」
とはいえ半額でも安くない。
今日の稼ぎはあったものの、武器交換で出費もあった。
余裕はないが、情報収集のためと割り切るしかない。
アッシュはガマルを掴んだ。
「50ジュリー、出してくれるか」
欲しい額を口にしながら、ガマルの柔らかな腹を親指で押す。と、ガマルは「グェ」と呻きながら5個の赤色宝石――50ジュリーをカウンターに吐き出した。
この取り出し方、初めてではないが今後慣れるかどうか心配だ。
「へい、おまち~!」
アッシュはエールを無事購入したのち、空席探しを始める。
が、ぱっと見た感じではどこも席が空いてなかった。
割って入っても良いが、場所を選ばないと邪険にされるだけだ。
……どこに突撃するか。
「おーい、アッシュくん! こっちこっちー」
隅の小さな卓で男が手を振っていた。
貴族の坊ちゃんといったあの風貌は忘れもしない。
初日に知り合ったレオだ。
彼の対面には霞色の地味なローブを着た男が座っている。
レオのところへ行くのは少し気が引けたが、尻を触ってくること以外は基本的に良い人間だ。それにいまは席が空いていない。断る理由もないので厚意に甘えることにした。
「さ、座って座って」
レオは店の隅に積まれていた椅子を勝手に持ってくると、卓の近くに置いてくれた。
「悪いな」
「気にしないでくれ。きみのためなら僕は自分が立ってでも席を空けるよ」
過剰な親切に気持ち悪くなったが、席を作ってくれた手前もあるので我慢した。
アッシュは席につきながら、レオの同席者をちらりと見やる。
歳は30手前ぐらいだろうか。
少し頬はこけているが、覇気がないわけではない。
むしろ刃物のような鋭さを感じるぐらいだ。
「そっちの人はレオのチームメンバーか?」
「いや、違うよ。彼はルーカス。良いお尻なんだ」
レオに訊いたのが間違いだった。
アッシュが嘆息する中、ローブの男――ルーカスが口を開く。
「レオ、彼は?」
「アッシュくん。僕の親友さ」
親友と聞いた途端、ルーカスは見るからに顔を歪ませた。
まるで汚い虫を見るかのような目を向けてくる。
「たぶん、あんたが思ってることは間違ってる」
「安心した。仲良くやれそうだ」
「奇遇だな。俺もだ」
ほっとしたルーカスと握手を交わした。
誤解がとけてなによりだ。
「ちょっとちょっとっ、2人とも僕のときとは大違いじゃないか!」
「「当然だろ」」
「あんまりだよ……」
そうして落ち込むレオをよそに、ルーカスが指で顎をさすりながら思案顔を浮かべる。
「しかし、アッシュってーと……ダリオンに喧嘩売ったっていうあのアッシュか?」
「知ってるのか?」
「一部じゃ良いネタになってるぜ。新人が無謀な賭けに出たってな」
新人の起こしたことだ。
てっきり捨て置かれるかと思いきや、意外に噂が広がっているらしい。
「なになに、どんな賭けをしたんだい?」
いつの間にやら復活したレオが興味津々といった様子で話に入ってきた。
ルーカスがエールをごくごくと飲んだのち、説明する。
「青塔の1階でずっと狩りしてる子の話は知ってるよな」
「もちろん。一時期、《青塔の地縛霊》って呼ばれてた子だよね」
2人の話を聞いて、アッシュは人知れず笑いを漏らした。
どうやらクララは変な意味で有名のようだ。
「そうそう。んで、その子が島に来てからあと少しで1年らしいんだけど、まだ10階越してないらしくてな。それで追放されるかもってんでダリオンが役立たずって煽ったらしんだよ」
「紳士じゃないねぇ」
「で、そこの新人アッシュがダリオンを煽り返したわけだ。『俺がこいつと10階を攻略したら役立たずって言ったのを取り消せ』ってな」
「さすが僕の親友アッシュくん! かっこいいねぇ~!」
レオが上機嫌にバンバンと肩を叩いてくる。
そのままさりげなく手を下げていたので叩き落とした。
油断も隙もない奴だ。
「おおむね合ってるけど……やけに詳しいんだな」
「たまたま近くに居合わせた奴と知り合いだったんだよ」
ルーカスはエールを一気に飲み干すと、「もう一杯注いでもらってくる」と言い残して席を立った。レオが叩かれた手をさすりながら訊いてくる。
「それで、アッシュくんはなにを賭けたんだい?」
「ん? ああ、失敗したら俺も島から出ることになってる」
レオは目を見開いたまま固まってしまった。
やがて長く息を吐き出したのち、哀れみの目を向けてくる。
「アッシュくん、今日は僕が奢るよ」
「なんだよ、その諦めろみたいな顔は」
「だって普通、10階には4人以上……可能なら上限の5人で挑むものなんだよ。足りないときは次の新人がくるまで金策しつつ装備の強化に努めるんだ。まあ、一部例外はいるけど」
例外と聞いた途端、ウルの言葉が脳裏に蘇った。
――ラピスさんはぼっちなんです
きっと彼女のことだろう。
ほかにもひとりで10階を攻略した挑戦者はいるかもしれない。
「俺も例外かもしれないだろ」
「だったら最高だけどね」
「親友を自称するわりに、どうやら俺は信用されていないらしい」
皮肉を言ってみると、レオが衝撃を受けたかのように目を見開いた。
「僕はなんてことをしてしまったんだ。そうだね……親友だったら信じて、そして盛大に送り出すべきじゃないか」
「お、おいレオ? なにを――」
レオは立ち上がるや、店の中央へと躍り出てエールを高く掲げた。
「このレオ・グラント! ここがオトコの見せ所だといま悟った! みんな、好きなだけ飲んでおくれ! 今日は僕の奢りだ!」
店が揺れるほどの歓声が沸き起こった。
もう席なんて関係なくなるほど、挑戦者たちがあちこち行き交いながら酒を荒々しく飲みはじめる。もう無茶苦茶だ。
「なにをどうしたらあんな風になるんだ?」
エールがなみなみに注がれたカップを手に、ルーカスが戻ってきた。
「……俺にもよくわからない。でもレオの奴、全員に奢りって大丈夫なのか」
「その点は問題ない。あいつの到達階、すべて69だから金ならたんまりだ」
70階を突破した挑戦者は10人しかいないとウルは言っていた。
つまりレオはそこにもっとも近い挑戦者というわけだ。
「かなり上位なんだな」
「ああ。島じゃあいつのこと知らない奴はいないぜ」
当の本人は、いつの間にか全裸になって踊っていた。
完全に酔っ払いのノリだ。
「違う意味でも有名そうだな」
「それは否定できない」
男の裸をツマミに酒を飲む趣味はない。
アッシュは視界からレオを追い出して、エールを一口含む。
泡の苦味のあと、ほんのりとした甘味が広がった。
後味もすっきりしている。
冗談ではなく何杯でも飲めそうなほど美味い。
道理で酒場も繁盛するわけだ。
そう思いながら、アッシュはカップを卓に置いた。
「そういや、やけにクララ――さっき話してた奴について詳しいけど、もしかしてあいつがダリオンと組んでたときのことも知ってたりしないか?」
「少しぐらいなら」
「今日、一緒に狩りをしてて思ったんだが、あいつのヒーラーとしての能力は悪くない。まあ、危なっかしいところはあるが……継戦能力だけなら頭抜けてる。それなのに、どうして追放されたのか疑問でさ」
今回、酒場を訪れたのもその情報を得るためだった。
ルーカスが少し言いづらそうに口を開く。
「これはダリオンとこのメンバーから聞いた話だが、『あいつはヒール以外てんでダメだ』だそうだ」
「ヒーラーなんだから、それでいいだろ」
「良くも悪くもダリオンのチームは脳筋なんだよ。だから俺の予想だけど、もしかしたら魔物が後衛に飛んでもお構いなしだったのかもな」
「それでクララはヒールができなくて……役立たず呼ばわりってことか」
その場に居合わせたわけではないから真実かどうかはわからない。
ただ、もし真実だとすればあまりにも理不尽だ。
「聞いてる限りでは、なんともひどい話だねぇ」
そう言いながら、レオが騒ぎの中心から戻ってきた。
エールを片手に呑気な顔をしていたかと思うや、真剣な目を向けてくる。
「でもね、この島の塔は一筋縄じゃいかない。ヒーラーも自分だけで対処することを求められるときもある。これは覚えておいたほうがいいよ」
「あ~……助言は感謝する。けどな――」
アッシュはレオの姿を見ながら、はぁ~と息を吐いた。
「そういうことは服を着てから言ってくれ」





