◆第十六話『ナルジヤゴの裏手』
「ヴァンの協力、断る必要なかったろ」
「これはアルビオンの問題だ。……貴様も帰ってくれてなにも問題ない」
「いまさらだろ。ここまできたら最後まで付き合うぜ」
それにシビラだけだと危なっかしいからな、とアッシュは思ったことを呑み込んだ。
多くの者が寝静まったであろう真夜中。
シビラとともに中央広場から南東に抜ける通りの路地裏にきていた。2人して近くに積まれた木箱に身を隠しながら、ある場所を監視しつづけている。
ある場所とは《ナルジヤゴ》と呼ばれる酒場の裏手だ。
トーレンの話では、そこでデモニアの売買が毎晩行われているという。
「いいか、通りのほうに逃げ道を作れ。路地に逃げられたら追うのが面倒だからな」
「言われずともわかっている」
同じ場所でずっと待機することに苦痛はない。
ただ、ひとつだけ問題があった。
それは近くの木箱から漂ってくる臭いだ。
木箱はどれも空だが、様々な食品が入っていた痕跡がある。中でも魚が入っていたものが多いようでひどく生臭い。デモニアにも負けないほどの臭いだ。
そんな中でもシビラは顔色ひとつ変えずにいる。
さすがに臭いが気にならないわけではないだろう。
本当に真面目な人間だ。
これですぐに剣を抜く癖がなければ文句のつけようがないのだが……。
なんてことを思っていたとき、足音が聞こえてきた。通りのほうからだ。
間もなくして《ナルジヤゴ》の裏手に、だぼっとした外套で身を包んだ者が姿を現した。フードを目深に被っていることや、路地裏特有の暗さもあってその顔はほぼ見えない。
フードの者は肩に担いでいた大きな荷袋を地面に置くと、近くの木箱を椅子代わりにして座った。みしり、と音が鳴る。
おそらくあの者がデモニアの売り手だろう。
とすれば、あの荷袋の中にあるものがデモニアか。
あとは取引現場を確認して――。
と、シビラがいまにも飛び出そうとしていた。
アッシュは彼女の腕をがしっと握って制する。
「待て待て。焦るな」
「なぜ止めるっ」
「間違いだったらどうするんだ」
「こんな時間にこんな場所にくる奴だぞ!? 奴で間違いない!」
「それでもデモニアの取引を確認してからだ」
たとえデモニアを持っていたとしても〝購入したものだ〟ととぼけられる可能性がある。もちろん売り手であれば多数のデモニアを所持しているだろうから厳しい言い訳ではあるが、なるべく言い逃れができない状況を作りたい。
渋々といった様子でシビラが気持ちを抑えてくれた。
代わりに睨まれたが、突撃されるよりはマシだ。
そんなやりとりをしている間にもうひとつの足音が路地裏に響いた。《ナルジヤゴ》の裏手にまたひとり何者かが現れる。
今度はすらりとした長身の女性だった。
特徴的なのは茶褐色の短めの髪、濃い目の化粧か。
中央広場で幾度か見かけたような気がする顔だ。
こんな真夜中の路地裏とあってか、その女性はきちんと装備を身につけていた。《インペリアル》の軽装。腰には1本の剣を剥きだしで佩いている。細身で片刃の形状だ。
その女性が先に座っていたフードの者に声をかける。
「2セット、頼むよ」
「いつもより少なめだね」
「最近、ちょっとチームが上手くいってなくてね。ほとんど稼げてないんだよ」
「休みが多くなったってことかな」
「ああ。ちなみに明日も休みさ」
そんな会話を交わしつつ、フードの者が女性からジュリーを受け取ると、荷袋からくすんだ茶色の紙で包まれたナニカを3つを取り出した。大きさは人間の掌程度といったところか。おそらくあの中身がデモニアなのだろう。
女性が受け取った包みを見て怪訝な顔をする。
「1セット多いよ」
「きみはよく買ってくれるからね。今日はおまけだ」
「悪いね。今夜、相手してやろうか。朝までいけるぜ」
「やめてくれ。きみのような人は趣味じゃない」
「こんなもん売っといてよく言うねえ。後悔すんじゃないよ」
まるで世間話でもするように会話を交わしていた。おそらく、あのようにして操られる者がチーム内で単独行動をとっても不自然ではない時間――つまりチームの休日を聞き出しているのだろう。なんとも巧妙なやり方だ。
「まだか……っ」
隣でシビラがうずうずしていた。
どうやらこれ以上は限界のようだ。
ひとまず現状で確認できることは終えたし、もう待つ必要はないだろう。
「よし、いこう」
アッシュはそう告げて、シビラとともに飛び出した。
いきなり現れたこちらの姿を目にしてもフードの者はさほど動じていなかったが、女性のほうは相手は見るからに驚いていた。
「アルビオンのシビラ……? なんであんたみたいなのがここに……!?」
「安心しろ。お前になにかするつもりはない。用があるのはそいつだ」
シビラが抜いた剣の切っ先とともに鋭い視線をフードの者に向ける。
「アルビオンの名を語って悪事を働いていたのは貴様か?」
「なにを言っているのかわからないな」
「とぼけるな! 貴様がデモニアを吸わせた挑戦者を操っていることはすでにわかっているんだぞ!」
シビラの言葉に、デモニアを購入した短髪の女性が眉根を寄せた。デモニアを一目見たあと、フードの男を睨みつける。
「おい、操ってるってどういうことだ?」
「僕にもわからないよ。あの人、きっとなにか勘違いしてるんじゃないかな」
「まだ認めないと言うのなら!」
シビラが剣を素早く振り下ろし、烈風を纏った斬撃を放つ。なんとも乱暴な手だが、それが決定的な証拠を生む形となった。
フードの者を庇うようにデモニア購入者の女性が割り込んだのだ。
だが、女性は見たところ6等級。8等級であるシビラの斬撃を受けるにはどうやら力が足りなかったらしい。剣を弾かれたうえに軽鎧にも無数の傷をつけられて尻持ちをついた。
そこで斬撃は消滅したが、烈風の勢いはまだ残っていた。
さらに奥に控えていた者のフードをめくりあげる。
「やっぱりか……なんとなくそうなんじゃないかって思ってた」
あらわになったその顔を見て、アッシュは深い失望感に襲われた。
ログハウスに移住してからというもの、毎朝のように《トットのパン工房》で顔を合わせていた男――。
「……モグス、お前だったのか」





