◆第十三話『目指す世界』
シビラが目をぱちくりと開いたまま硬直した。それから無表情で立ち上がると、なめらかに剣を抜いた。上段に構えた剣をためらいなく振り下ろしてくる。
アッシュは身をよじってなんとか躱すが、シビラがまた剣を振り上げていた。
「お、落ちつけ! 俺が悪かったから!」
「わたしは落ちついている! ただ、貴様がおかしなことを言うからだ!」
「じゃあ剣を下ろしてくれ!」
「貴様を切ったあとに収めるつもりだ!」
「ってかあいつらに気づかれるから静かにしてくれ!」
捜査に影響が出ることはさすがに望んでいないらしい。とてつもなく渋々ではあったが、シビラはなんとか剣を収めてくれた。
「そんだけ反応するってことはやっぱ――」
「斬られたいか?」
「……悪かった」
両手を挙げて全面的に降服する。
まさかシビラがここまで純粋だとは思いもしなかった。
「よくニゲルに褒められて口元緩むぐらい嬉しそうにしてるだろ。だから、そうなのかって思ったんだ」
「そ、そんなに顔に出ているのか?」
「ああ、そりゃもう思いっきりな。言っちゃなんだが、たぶん俺だけじゃなくてほかの奴も同じように〝シビラはニゲルが好きなんだろう〟って思ってるはずだ」
周囲からそう思われている状況を想像してか、シビラは顔だけでなく首まで真っ赤に染めていた。頭を抱えて「な、なんてことだ……!」と身悶えている。
「た、たしかにマスターに褒められて嬉しい気持ちになっていることは……否めない。だ、だが本当に恋愛感情とは違うんだ」
彼女が再び顔をあげたとき、頬はまだほんのりと赤に染まっていた。だが、深呼吸をしてなんとか落ちつきを取り戻したらしい。どこか遠くを見るような目をしながら話を継ぐ。
「ただ尊敬し……そして憧れているだけだ。わたしが目指す理想……そのずっと先に立っている人として」
「……目指す理想」
それはいったいどんなものなのか。
アッシュは問いかけるように口にする。
シビラが視線を落とすと、寂しそうな顔をした。
腰に携えた剣の柄を撫でながら静かに語りはじめる。
「わたしには8歳上の兄がいてな。騎士家系でありながら文官の道へと進み、若くして宰相にまで至った……とても優秀な人だ」
彼女の出身国の情勢がどのようなものかはわからない。だが、宰相ともなれば容易に辿りつける立場ではないはずだ。生まれ持った才ととともに、きっと多くの努力をしたのだろう。
「ただ、そんな兄の行動が当時のわたしには疑問でならなかった。そのときはまだ親の言うことは絶対でありすべてだと思っていたのだ。だから、どうして親の反対を押し切ってまで自分を押し通すのかと訊いたんだ。そうしたら兄はこう答えた。『みんなが笑って暮らせる世界にしたいんだ』と」
聞いただけでは彼女の兄の姿はもちろんわからない。
だが、シビラが誇らしげかつ嬉しそうに話すせいか、眩しいほどの笑顔が見えた。
「大好きだったんだな、その兄さんのこと」
「ああ。いつも後ろをついて回っていたぐらいにはな」
「そんな人が島の外にいるなら、たまに帰りたくなるんじゃないか」
「いや、兄は死んでいる。わたしがまだ10歳ぐらいのときだ」
突然の情報にアッシュは言葉に詰まった。
ただ、すんなりと受け入れることはできた。
話をしているとき、彼女がずっと寂しそうな顔をしていたからだ。
「兄は天才だったが……他人の悪意にはとことん疎かった。若くして宰相になったこともあって周囲から妬まれていたのだろう。謀にかけられたんだ。公では夜盗に抵抗して命を落としたことになっているが」
「ジュラル島にきたのは兄を生き返らせるためか?」
「どうだろうか……ただ、たとえ兄を生き返らせても世界が穢れていたらまた同じ悲劇が繰り返されるかもしれない」
シビラは左手で剣の柄をぐっと握った。
「わたしは強き者が弱者からなにかを搾取するのではなく、なにかを与えるような世界にしたい。みなが安心して暮らせる平和な世界にしたい。そして叶うならば兄が目指した……みなが笑顔になれる世界を作りたい」
いまはもういない大好きな兄の意志を継ぐこと。
きっとそれが彼女の正義を形作ったのだろう。
とても立派だ。内容だって……非常に困難なことではあるが、素晴らしいものだと思う。目指すことを否定するつもりはない。ただ――。
アッシュは目を細めながら責めるように言う。
「でも、あんたら……アルビオンっていつもつんけんしてるよな」
「それは……我らは与える側だからで」
「ほとんどの挑戦者が笑顔になるどころか怖がっちまってるじゃねえか」
シビラはばつが悪そうに目をそらした。
どうやら自覚はあるらしい。
「クララ……俺んとこのヒーラーなんてアルビオンのメンバーを見たら反射的に身を隠そうとするぐらいだぜ。まあ、あいつはちょっと異常だけどな」
「そ、そこまでか」
「とりあえず誰かを笑顔にしたいならまずは自分からだろ。ってことでシビラ、笑顔だ笑顔。笑顔作ろうぜ」
アッシュはにっと笑うと、シビラが動揺しはじめた。
予想どおりだが、笑顔を作るのは苦手のようだ。
「ど、どうしてわたしがそんなことを――」
「そんな簡単なこともできないのか? なんだよ、理想ってその程度のものだったのか」
わかりやすすぎる煽りだったかもしれない。
そう心配したが、面白いほどにシビラが反応した。
「貴様……侮るなよ。理想のためならわたしはどんなことだってしてみせる!」
怒り顔でそう宣言すると、早速顔の向きをこちらに固定した。〝笑顔〟のため、口の端をぴくぴくと動かしはじめる。
「こ、こうか?」
「なんだよそれ、ただ口ひくつかせてるだけじゃねぇか」
「わ、笑うな! こっちは必死なんだ!」
真剣に挑戦しているところ悪いが、どうしてもおかしくて笑うのを止められなかった。
「ダメだな。やっぱ硬すぎる」
「貴様、なにを――」
アッシュは我慢できなくなってシビラの頬を両手で掴んだ。そのまま左右に広げるようにむにっと伸ばした。悪戯心もあいまって伸ばしすぎたかもしれないが、いい感じに頬がほぐれている。
「おお、これだ。これを覚えとくといい」
「ふぉふふぁふぁお、ふぁふぁひひひふぁふひふぁッ!」
「なに言ってるかわからないな」
「ふぃふぃははほふぇひふぁッ!」
シビラが剣に手を当てたので素早く離れた。
「とりあえずシビラは元がいいから笑顔を作れるようになったら相手も簡単に笑顔になると思うぞ。少なくとも男は一瞬だ。……ってなんだよ、その顔」
「元がいい? わたしが? なにを言っているんだ貴様は」
馬鹿じゃないのかとでも言いたげだ。
そこに謙遜なんてものはいっさいない。
「俺のほうがなにを言ってるんだって感じだ。自分の顔、鏡で見たことあるのか? 言っとくが、誰に聞いても美人って答えるぐらいには整ってるぞ」
「か、からかうのもいい加減にしろ」
「俺は事実を言ってるだけだ。間違いなくシビラは美人だ」
アッシュははっきりとそう言い切った。
途端、シビラが強張らせた顔を真っ赤に染め上げる。
「アッシュ・ブレイブ……好色家の噂は、やはり本当だったということか……ッ!」
まさかのシビラにまで謂れのない噂が届いていたらしい。彼女に自信を持ってもらうための発言だったが、なんだか大きなものを犠牲にした気がしてならなかった。
はぁ、とシビラが息を吐いた脱力すると、眉根を少し下げて困惑気味に言ってくる。
「不思議だな……きさまと話していると兄を思い出す」
「顔が似てるのか?」
「いや、それはない」
冷めた声で即答された。
シビラが「ただ」と話を続ける。
「……楽しそうによく笑うところはとてもよく似ている」
兄の姿を思い出しているのだろうか。
彼女はとても柔らかな笑みを浮かべていた。
――いつもその顔をしていればいいのに。
そんなことを思ったときだった。
地鳴りのような音が聞こえてきた。
出所は進路の先だ。
マスカルドのチームのほうを慌てて見やる。と、彼らのいる休憩所に向かっていくケンタウロス30体、エント20体。そして、それらを率いるように先頭を走る仮面の挑戦者が視界に映り込んだ。
「きたぞ、シビラ!」
「ああ!」





