◆第十二話『ゆらぎの刃』
少しばかり湿った土と多くの緑で彩られた森林地帯。
アッシュは緑の塔54階へとやってきていた。
大樹に身を隠しながら進行方向の先を確認する。
「……まだ無事みたいだな」
離れたところに4人組のチームがケンタウロスやエントと戦っていた。レッドファングのギルドで見かけたことがある。名前と顔は一致しないが、彼らがマスカルドのチームで間違いないだろう。
先ほどから視界の端――近くの大樹の裏で激しい動きをみせるものがいた。ここまで一緒にきたシビラだ。彼女は厳しい顔つきで何度も何度も顔を出してはマスカルドのチームの様子を窺っている。
一生懸命なのはわかるが……。
アッシュは大きくため息をついた。
「頻繁に確認しすぎだ。そんなんじゃすぐに見つかるぞ」
「ぐっ……」
「交戦開始したら少しはその場に留まるんだ。ある程度、間隔をあけても問題ない」
気になってしかたないようで顔を動かしては引っ込めている。だが、注意を受けた手前か、拳を握って鉄の意志で我慢しているようだった。
シビラがこちらを睨んでくる。
「わたしひとりで問題ないと言っただろう」
「俺も実際に被害を受けたんだぜ。犯人を捕まえたい気持ちは一緒だ」
「それは……そうかもしれないが」
「今日はチームの活動が休みでちょうど暇を持て余してたんだ。だから、せっかくだし協力させてくれ」
受け入れてくれたかはわからないが、それ以上言い返してはこなかった。
話している間にマスカルドのチームが魔物を排除し終えたらしい。チームで足並みを揃えて前へと進みはじめる。
彼らにあわせてアッシュはシビラとともに次の隠れられる大樹へ向かおうとした、その瞬間。シビラとの間にすぅっとエントが湧いた。それも2体だ。
マスカルドのチームに気取られないためにも、速やかかつ隠密に処理しなければならない。アッシュは敵が出現した時点で半ば反射的に動きだしていた。
腰裏の剣帯から素早くダガーを抜く。
赤の属性石を6個装着した緑の塔攻略用だ。
こちらに近い1体のエントに狙いを定め、斬撃を放つ。三日月形の炎が虚空を突き進み、敵の体に激突。怯ませた。その間に肉迫し、エントの弱点――口の穴へとダガーを突き刺して処理する。
ほぼ同時、シビラが残りの1体を上下に両断していた。彼女もまた緑の塔用の長剣に変えていたようだ。その断面が赤い火に彩られていた。
さすがは上位陣だ。
エント程度、敵ではないのだろう。
ただ、もっとも驚くべきは一撃で葬った彼女の攻撃力ではなく加速力だ。こちらのほうが早く動きだしたにも関わらず、同程度に離れていた敵に肉迫したのはほぼ同時だった。
「急ぐぞ。もたもたしていたらどんどん敵が湧いてきてあいつらを見失う」
「言われなくともっ」
新たに湧いてくる敵の群れに呑まれないようマスカルドのチームとの距離を詰める。再び彼らが交戦を開始し、待機の時間となった。その間にアッシュは気になったことをシビラに質問する。
「なあ、さっきの加速って塔の道具かなにかか?」
「いや、わたしの血統技術だ」
シビラが眼前の虚空を薙ぐように斬る。
と、剣閃がそのまま光ったようなものが浮いていた。
「《ゆらぎの刃》。手前側から触れることで加速できる」
シビラは力強く地面を蹴ると、前のめりに《ゆらぎの刃》へと触れた。直後、弾かれるようにしてぐんと加速。瞬く間に遠くのほうに辿りついていた。再び《ゆらぎの刃》を使って戻ってくる。
「もしかして俺もそれに触れたら加速できたりするのか?」
「わたし以外にも影響は及ぶ」
「試しに俺にも使わせてくれないか。ちょっと楽しそうだ」
「構わないが……」
渋い顔をしながらシビラが《ゆらぎの刃》を作り出す。
「そう簡単に扱えるようなものでは――」
シビラが言い終える前にアッシュは勢いよく《ゆらぎの刃》に飛び込んだ。瞬間、触れた《ゆらぎの刃》によって体が引っ張られるような感覚に襲われた。ぐんっと体が前に進み、左右に映る景色が一気に後方へと流れていく。
通常ではありえないほどの距離を飛んだのち、地面を削りながら着地する。正規ルートから外れた場所に飛んだとはいえ、マスカルドのチームに音を聞かれていないか心配になった。慌てて確認したところ、どうやらこちらには気づいていないようで安心した。
それにしても――。
まるで矢になったような気分だった。
初めての感覚にアッシュは思わず胸が躍った。
「ははっ、こりゃあいい!」
「ばかな……1発でだと……!?」
戻ってきたとき、シビラが驚愕していた。
1回目でうまくいくとは思っていなかったらしい。
アッシュはもとの場所へと戻ったのち、実践したことを話す。
「さっきシビラが使ってたときの体勢を真似してみたんだ。あとは触れたときに加速するってわかってるだろ。だから、そんときに体が振られないように重心の位置を調整しただけだ」
すでに感覚は掴んだ。
もう一度同じことをやれと言われてもできる自信はあった。
シビラがやけに真面目な顔になった。
まるで値踏みでもするかのようにじっと見てくる。
「頭で理解していたとしても実践するのは簡単なことではないだろう。とてつもない早さで昇ってこられたのも、その力あってこそというわけか」
「早く昇れたのは間違いなく仲間のおかげだけどな」
もしひとりで攻略していたら装備の過剰強化を余儀なくされていただろう。その時間を考慮すればまだまだ低層であった可能性はかなり高い。そういう意味では、やはり早く昇れているのは仲間のおかげだ。
「にしてもなかなか出てこないな、仮面の奴。あてが外れたか?」
「まだ正午にもなっていない時間だ。いまは気長に待つしかないだろう」
「って、あいつら休憩しはじめたな」
マスカルドのチームがとても大きな切り株に腰を下ろした。あそこは魔物が湧かない安全地帯だ。魔物に感知されない限り戦闘になることはない。
彼らがそこで休憩するのは当然のことだが、こちらにとっては問題だった。
「どこかに移動しないと再湧きした魔物と戦闘になるな」
「つっても安全地帯以外に休めるところなんて――」
アッシュは周囲を見回したとき、視界上部に映り込んだ大樹の枝が目に留まった。
「お、そこの枝の上ならいけるんじゃないか。結構太いし、下からも見られにくそうだ」
大きな葉っぱもあるので身も隠しやすい。
アッシュは言うがいなや、その木のところへ向かった。木肌がでぼこぼこしているので登りやすい。ひょいひょいっと目的の枝に辿りついた。
「っし。シビラ、昇れるか?」
振り返って確認しようとした、そのとき。
びゅんっと跳躍してきたシビラが枝に着地した。
彼女の血統技術、《ゆらぎの刃》を使ったのだろう。
「あ、ずりぃ。俺もそれ使わせてもらえばよかったな」
「これはわたしの特権だ」
得意気な顔で言われた。
あの弾かれるような感覚をもう一度味わいたいが、どうやらそれは叶わなさそうだ。
アッシュは心中で嘆きつつ枝に腰を下ろした。人ひとりを覆えるほど大きな葉がそこかしこにあるので体を隠すのは容易だった。ここなら魔物に見つかる可能性は低い。マスカルドのチームもしっかりと視界に収められているし、絶好の場所だ。
「とりあえず、あいつらが動くまで待機だな」
そうだな、と頷いてシビラもまた枝に座った。
彼女はマスカルドのチームのほうをじっと見ていた。その目は、監視というよりは獲物を狙っているかのような鋭さだ。
べつに無言は嫌いではない。
ただ、シビラが気を張りすぎているせいで空気が重かった。
これでは気も休まらないしなにより息苦しい。
なにか面白い話題でもして彼女の肩の力を抜けないか。そう考えたとき、もっとも適当なものがあったことを思いだした。
アッシュはにやりと口の端をあげながら問いかける。
「なあ、シビラってニゲルのこと好きなのか?」





