◆第九話『朝靄の出会いと滝の道』
アッシュはかすかな寒気に見舞われ目を覚ました。
窓から陽光も射し込んでいるが頼りない。
どうやら早く起きすぎたようだ。
自室をあとにして居間へ。
当然ながら静かだ。少し寂しく感じるのは、昨夜マキナチームと大いに盛り上がったからだろうか。
騒がしくはあったが、楽しい時間だった。
また機会があれば招待したいところだ。
今度はほかの友人を交えるのもいい。
そんなことを考えながらアッシュは外に出た。
少し靄がかかっていて遠くのほうは見えない。
腕をこすって寒さをごまかしつつ、草を狩っただけの簡素な道を抜けると、舗装された道に出た。右に行けば中央広場、左に行けば浜辺に辿りつく。
いまから中央広場に行ったところで《トットのパン工房》は開いていない。それにパンを買いに行くときはクララも連れて行くと決めている。彼女が狩りまでにしっかりと目を覚ますようにとの理由からだ。
散歩がてら浜辺にでも行こう。
そう決めて左の道を進みはじめてから間もなく、前方の靄に小太りな人影が映り込んだ。やがてあらわになったその人物の顔を見て、アッシュは思わず目を瞬かせてしまう。
「モグス……?」
ここ最近、《トットのパン工房》で毎朝顔を合わせている挑戦者だ。彼は身動きのとりやすい皮製の服を着て、肩から荷袋を提げている。
「あれ、アッシュじゃないか? こんな朝早くにどうしたんだい」
「自然に目が覚めちまってさ、散歩がてら浜辺のほうにな。モグスは……そっちからきたってことは浜辺か青の塔だよな」
「察しのとおり青の塔だよ」
彼はそう答えると、腕を軽く持ち上げた。魔石のはまった腕輪たちがじゃらりと音をたてる。どれもオーバーエンチャントずみのようで比較的成功しやすい5つまで属性石で埋められていた。
パンを大量に買い込む姿しか見ていないので知らなかったが、どうやら彼は魔術師型だったようだ。その体型から戦士だと勝手に思っていたこともあり意外だった。
「まさかひとりでか?」
「11階でね。といってもきついからアイテムも使ってだけど」
言って、モグスは荷袋をぱんぱんと片手で叩いた。
おそらく魔力を微量回復する《活力の秘薬》が詰まっているのだろう。
「僕のチーム少しのんびりだからさ。食費を稼ぐのも大変なんだ」
「そりゃ毎朝あんだけ食うんだもんな。夜はどんだけ食うのか心配だ」
「たぶんアッシュが驚くぐらいかな」
「一度見てみたいもんだ」
毎朝、両手に抱えるほどのパンを食べるのだ。
きっと山盛りどころですまないのだろう。
「それじゃ、またあとでトットさんのところで」
「おう、遅れるなよってモグスに限ってそれはないか」
「よくわかってるね。いまから帰ってすぐ飛んで行くつもりさ」
そう言い残すと、モグスは中央広場側へと焦り気味に歩き出した。
いまの彼は間違いなくパンで頭が一杯に違いない。
彼が靄に消えていったのち、アッシュは再び歩き出した。
知人とのまさかの出会いに驚きはしたが、やはり早朝も早朝。その後は誰とも会うことなく静かな浜辺を堪能した。
◆◆◆◆◆
青の塔6等級階層は総じて巨大な川がそばを流れていた。
さらに一定間隔で見上げるほどの滝が配されている。
おそらく俯瞰すれば階段状になっていることだろう。
「ちぃっ、またお前かっ!」
アッシュはカルキノスと対峙していた。
赤々とした甲殻に4本のハサミを持つ魔物だ。
高さはこちらの2倍、横幅は4倍程度とかなり大きい。
見た目こそカニに似ているが、前後移動も可能なうえ機敏だった。いまもカサカサと音をたてながら猛烈な速度で接近してきている。
肉迫と同時、こちらの体を切断せんとハサミが突き出された。アッシュはその下をくぐるように避けると、後方でシャクッと小気味いい音が鳴った。おそらくハサミが地面に突き刺さったのだろう。
敵が硬直している間に懐まで踏み込んだ。得物はカルキノスのためだけに準備した緑属性石6ハメのウォーハンマー。それを横ぶりに打ちつける。
まるで石を叩いたような感覚に手から腕、全身に衝撃が走る。歯を食いしばりながら振りぬくと、敵が後方へ弾き飛んだ。不恰好に転がったのち、川のそばで勢いが止まる。
衝撃が中に徹ったのか、片側の脚に力が入らないようだ。
敵はうまく起き上がれずに体が傾いている。
ただ、打ちつけた顔面付近には傷ひとつついていない。
カルキノスは全身が硬い甲殻に覆われている。
ウォーハンマーを選んだのもそれが理由だ。
「クララ!」
「うんっ」
クララによって《フロストレイ》が放たれる。
敵の脚を凍らせ、傾いたままの体勢で固定させた。
さらにルナが敵の小さな口へと幾本も矢を射続ける。緑の属性石に効果により命中するたび風が渦巻き、その口周辺を刻んだ。敵が甲高い悲鳴をあげてもがきはじめる。
アッシュは敵の側面に回り込んだ。
振り上げたウォーハンマーを叩きつけるが、甲殻には傷ひとつつかない。
ならばと執拗に叩きつづけ、ついに5度目でピシッとひびが入った。トドメとばかりに渾身の一撃を振り落とし、殻を破壊する。と、その身から透明色の液体がぶしゃっと飛び散った。カルキノスが泡を吹いて、どしんと崩れ落ちる。
敵が消滅するよりも早く、アッシュは振り返った。
川の反対側、生い茂る草木を目にしながら叫ぶ。
「クララ、ルナ! 森林側に4! たぶんリザードマンだ!」
予想どおり荒々しい葉擦れの音とともにソレは現れた。
蜥蜴の体を持ちながら二足で立つ魔物――リザードマン。
その身は人よりもひと回り大きく、そして筋骨隆々として逞しい。
51階から出現している青の塔6等級階層の顔とも言うべき魔物だ。
構成は盾持ちの剣型が3に魔術師型が1だ。
ルナが即座に1体の頭部を矢で射抜き、仕留める。が、残り2体の敵は竦むどころかその勢いを増した。丸い盾を前面に構えながら特攻をしかけてくる。
「うわぁっ」
クララが《ストーンウォール》を3枚並べて敵の行く手を阻んだ。
「2人とも下がれっ!」
アッシュは後衛の2人と入れ替わる形で敵との距離を詰めた。眼前の《ストーンウォール》を迂回して両脇から1体ずつファイターが飛びだしてくる。ルナが援護で矢を射るが、敵も学習したようだ。
盾で弾きながら、こちらに向かってきた。
接近と同時、剣を振り上げながら跳びかかってくる。
左右からの攻撃だが、動じる必要はない。
アッシュは敵が近づくのを限界まで待ったのち、ウォーハンマーを勢いよく地面に叩きつける。
と、柄に装着した緑の属性石6つが輝き、地面から岩が刃状となって突き出した。敵の脚を下方から貫き、その場に固定にする。もう1度地面を叩くと、岩石の刃がさらに突き出し、敵の体が持ち上がった。
「ははっ! やっぱこの攻撃、面白いなっ!」
足を泳がせてもがく敵2体に、ルナが2本ずつ矢を見舞う。アッシュは追い討ちにウォーハンマーを振り回し、突き飛ばした。どん、と鈍い音を鳴らして2体が《ストーンウォール》へと激突したのち、ずるずると落ちていく。
すでに2体は消滅しはじめていたが、最後まで見届けることはできなかった。《ストーンウォール》が一瞬にして凍りつき、弾け飛んだ。無数の氷の破片が飛び散る中、向こう側に魔術師型の姿があらわになる。
奴が使ったのは6等級の魔法、《フロストバースト》だ。属性石を6つ装着した威力には遠く及ばないが、それでも充分に致命傷に至る破壊力を持っている。
魔術師型が手に持った宝石つきのワンドをかかげると、その尖端が青い煌きを放ちはじめた。再び《フロストバースト》を放とうとしているのだろう。だが、それが魔法となることはなかった。
敵の周囲に幾つも現れたベルトのような環型の黒い影。
それらはワンドを包み込むと、ぺたりと貼りついた。
クララによる黒の6等級魔法――《サイレンス》だ。
魔法の使用を封じられた敵はすぐに切り替えてワンドで殴りかかってくるが……相手になるわけがなかった。アッシュは接近と同時にハンマーで豪快に叩きつけ、迎撃した。
リザードマンが残したジュリーがあちこちに転がりだした中、後方でばしゃんばしゃんと音が聞こえてくる。振り返れば、リザードマン3体にカルキノス2体が出現していた。
アッシュは舌打ちする。
「キリがない! 迎撃しながら前に進むぞ!」
◆◆◆◆◆
敵の猛攻をしのいだのち、次の滝つぼのそばまで逃げてきた。時折、魔物が出現する滝つぼもあるが、基本的には唯一の安全地帯となっているのだ。
脇の崖にはまるで《ストーンウォール》が刺さったような階段が作られている。ただ連なっていないため、ひとつひとつよじ登らなければならない。そして、ここを登った先に次のルートがあった。
クララが目の前の崖を見上げながら、へなへなと崩れ落ちた。
そんな彼女を見て、ルナが苦笑する。
「疲れてるってわけじゃないみたいだね」
「またここ登らないといけないって思ったら力が抜けちゃって……」
「まあ、今回はまだ敵がいないパターンだし」
「そうだけど~……」
彼女たちが話している間、アッシュは滝のほうをじっと見ていた。滝のちょうど中央辺り。勢いよく流れ落ちる水から手前にかすかに突き出した岩場だ。
「なあ、ルナ。ほかの滝にあんな岩場ってあったか?」
「どうだろ。あったようななかったような……」
あやふやな答えが返ってくる。
これはもう自分の目で見てたしかめるしかない。
ただ、問題はどうやって確認するかだ。
アッシュは唸りながら辺りを見回す。
と、目に入った崖の足場からあることを閃いた。
「なあ、クララ。あの岩場まで《ストーンウォール》で足場を作れないか? こう横向きに出してさ」
「えぇ、行くつもりなの? いいけど……危なくない? 滝の勢い凄いし」
「ま、大丈夫だろ」
心配してか、クララは渋っていた。
だが、ルナが援護してくれる。
「クララ、アッシュのことだから作ってあげないとたぶん自力で行こうとするよ」
「たしかに……じゃあ、作ったほうが安全かな」
なんとも言えない信用のおかげで作ってもらえることになった。
岩場までを繋ぐように5つの《ストーンウォール》が滝から突き出てきた。《ストーンウォール》は決して小さくはないが、それでも滝の勢いが強いために半分以上が水で濡れてしまってる。
「よし、行ってくる」
「気をつけてね」
クララに頷いたのち、アッシュはひとつ目の足場に飛び移った。足が滑らないよう気をつけながら、また次の《ストーンウォール》へと跳ぶ。
すぐ左手側に滝が流れているとあって凄まじい音が常に耳を襲ってきていた。しぶきも大量に飛んできて冷たい。だが、その程度だ。落ちるほどではなかった。
ついに目的の岩場前までやってきた。
流れる水の量があまりに多く、内側の様子はまったくわからない。
「アッシュ、どうー!?」
「勢いが強くてちょっとわからないな! クララ、俺の少し上にも《ストーンウォール》出してくれないか!?」
「わかったー! ちょっと待ってね!」
間もなく頭上にも《ストーンウォール》が出現した。そこに当たった大量の水が左右から流れ落ちはじめる。先ほどまで眼前に流れていた水がなくなったことで内側の様子がはっきりと見えるようになった。
そこに待っていた〝目当てのもの〟を見て、アッシュは叫ぶ。
「やっぱり予想どおりだ! あったぞ、隠し通路!」





