◆第八話『悪魔の嗜好品』
「うんまぁ~~いっ」
乾杯から間もなく、マキナの声が居間に響き渡った。
彼女の頬はすでに大量の料理で膨らんでいる。
「ほら、マキナちゃん。口元についてるわよ」
「もう少しゆっくり食べないとまた喉詰まらせるぞー」
言って、レインとザーラがマキナをたしなめる。
その姿はまさに保護者そのものだ。
アッシュは改めて目の前の料理を見やる。
「なんか聞いてたより豪勢になったな」
魚の蒸し焼きにパイやシチュー等など。
ほかにも細々としたものがたくさんある。
普段では絶対に食べきれないほどの量だ。
女性が多いこともあってか、どの皿にも野菜がたっぷりと添えられている。ただ、そんな大自然から独立して厚みのあるグリルの肉も用意されていた。こういった気遣いは、さすがルナといったところだ。
「レインさんとザーラさんも手伝ってくれたおかげで時間ができたからね。余ってたもので少し追加したんだ」
「手伝ったといっても本当に少しだけね。ほとんどルナちゃんひとりよ」
「なんかその道を極めたって感じですごい手際よかったよな」
「あはは……母に仕込まれたのが役立ったかな」
レインとザーラに褒められ、くすぐったそうに照れ笑いを浮かべるルナ。
ここ10日間、彼女の料理を食してきたが、どれも味、見た目ともに文句のつけようがなかった。どこかの都で店を開けるのではと思うほどだ。
ただ――。
目の前にルナらしからぬ料理があった。
厚手の平たい皿に入ったシチューだ。
「……このシチュー、どの具もでっかいな」
もともと深さはないが、それにしても色んな野菜が飛び出ていた。しかも形が歪で外見的に綺麗とは言いがたい。
クララが「うぅ」と呻いていた。
顔をそらしながら、ちらちらとこちらを窺ってくる。
「クララが切った奴か」
「や、やっぱりバレちゃうよね……」
むしろそのしぐさでどうしてバレないと思ったかを知りたいところだ。
「実はそれ、味付けもクララがしたんだよ」
「お、教えてもらいながらだけどね」
クララが身を縮こまらせながら言った。
どんな感想がくるのか緊張してしかたないといった様子だ。
アッシュはまずスープをすくって口に運ぶ。とろりとした見た目どおりまろやかな味わいだ。ミルクの甘味も感じられる。ただ、ひとつだけ主張の激しいものがあった。
「ちょっと塩っ気が強いな」
「う、間違って多めに入れちゃって……」
クララが落ち込んだように肩を落とす。
そんな彼女を横目にしつつ、アッシュはどでかい具を口に放り込んだ。
できたてとあってまだ少し熱い。冷ますために口内で転がしていると、ほろりと崩れた。ただ、ぱさついているわけではなかった。どれも適度にしっとりとしている。小さくなった身を噛むと、凝縮されたスープの甘味がじわりと滲み出てくる。
アッシュは残りの身も味わったのち、緊張の面持ちで待つクララへと告げる。
「でも、うまい」
「ほ、ほんと……?」
「ああ。具もでかいほうが食べごたえあって俺好みだ」
瞬間、クララがぱあっと顔を明るくした。
そんな彼女を見て、レインとザーラがまるで自分のことのように喜んでいた。
「よかったわね、クララちゃん」
「頑張った甲斐あったじゃんー」
「レインさん、ザーラさんも手伝ってくれてありがとう! もちろんルナさんも!」
「クララが頑張った結果だよ」
まるで試練の間を突破したかのような喜びようだ。
いや、それ以上かもしれない。
そうして盛り上がる中、ユインだけは隅で暗い顔をしていた。心ここにあらずといった様子だ。ザーラが見かねたか、おちょくるように絡む。
「なんだ~、ユイン。自分が料理できなかったこと、まだ拗ねてるのかー?」
「そんなことはありません。……いえ、ありますけど。それとは違います」
言いながら、ユインがこちらに視線を向けてきた。かと思うや、すっとそらした。気のせいというには無理があるほど、その頬は赤く染まっている。
間違いなく先ほどの〝においを嗅ぐ嗅がない〟の件だろう。ただ、あれはユインにとって話題にされたくないはずだ。そっとしておこう、とアッシュは心に留めるが――。
「ああ、ユインちゃんね、拗ねてるんじゃなくて照れてるんだよ」
マキナが平然とぶちこんできた。
悪びれた様子もなく、エールをごくりと飲んでぷはぁと呼気をもらす。
クララが首を傾げる。
「照れてるってどういうこと?」
「うん、さっきアシュたんの匂い――」
席を立ったユインが凄まじい速度でマキナに駆け寄ると、その頬に拳を突きつけた。寸前で止められたが、あまりの勢いに突風が起こった。片側で結われたマキナの髪が荒々しく踊る。
「それ以上言ったらどうなるかわかってますね」
「や、やだなぁユインちゃん。ほんの冗談で――」
「マキナさん」
「口閉じます」
「それが賢明です」
しかと恐怖が刻まれたようだ。ユインから解放されてもなお、マキナはがたがたと体を震わせていた。それでもなんとか酒を飲む手だけは止めていなかったが。
くいくい、とクララがこっそり服を引っ張ってくる。
「ねね、アッシュくん。匂いって?」
「あ~、俺も命は惜しいからな。勘弁してくれ」
「う~気になる……」
クララには悪いが、絶対に話すわけにはいかない。
話せば最後。ユインが一生口を聞いてくれなくなりそうだ。
ユインが席に戻って場が落ちつくと、レインが困り顔で話を切り出した。
「そういえば匂いで思い出したけど……最近、デモニアの臭いを嗅ぐことが多くなってきた気がするのよね」
「それ、うちも思ってた。中央広場の酒場近くとか」
「そうそう。わたし、あの臭い嫌いなのよね……」
レインとザーラが少し憤りながら弾ませた会話。
アッシュはその中の知らない単語が気になった。
「そのデモニアってのはなんなんだ?」
「悪魔の嗜好品と呼ばれるものです。いわゆる葉巻ですね」
答えを教えてくれたのはユインだ。
こんな感じのですね、と自身の小さな指で大きさを示してくれる。
「島の外から持ち込まれてるらしいんだけど……もう本当に臭いの」
「鼻もげそうになるよなー」
レインとザーラが見るからに顔を歪めた。
よほど嫌いのようだ。
「でも、そんなに臭いのにどうして吸う人がいるの?」
クララが純真な質問をした。
「空を飛んでるみたいに気持ちよくなるらしいわ」
「身体能力があがるなんて話も聞いたことがあるな」
レインとザーラの話を聞いて、アッシュはひどく納得した。
「こういうとこだし、もしそれが本当なら吸う奴が増えるのも頷けるな」
「でも、それほどの効果をなんのリスクもなく得られるとは思えないね」
そう見解を口にしたのはルナだ。
「なんらかの副作用があるかもってことか」
そう問いかけると、彼女は険しい顔で首肯した。
デモニアとやらがいったいどんなものか。
現状でははっきりとわからないが、怪しげなものであることは間違いないだろう。
「ま、俺としてはそんなものに頼るのは絶対にごめんだな」
「わたしもです。挑戦者として、あくまでこの島で用意されたものだけで戦いたいです」
ユインが宣言するように力強く同調した。
小柄ながら、その身から感じるものは紛れもなく戦士のそれだ。
「一緒に頑張ろうぜ」
「はい。アッシュさんに追いつくこと、わたしはまだ諦めていませんから」
ユインに追随してレインとザーラも決意に満ちた顔を向けてくる。彼女たちもまた同じ思いなのだろう。
立ち上がったマキナが無言で挙手した。
なにか言いたげだが……。
先ほど口を閉じると約束した手前、喋れないらしい。
まさに《サイレンス》状態だ。
クララが察して言い当てる。
「わたしもわたしもって言ってるのかな?」
「っぽいな。てかユイン、そろそろ許してやったらどうだ」
「そうですね……いえ、やっぱり今日一日はこのままでいてもらいます」
ユインの判断は非情だった。
見るからに絶望した様子でマキナが崩れ落ちる。そんないつも通りといってもいい光景にレインとザーラだけでなく、クララとルナも笑っていた。
父親と旅していたとき、こうして大勢で笑い合う機会なんてなかった。
ときに協力し、ときに競い合う仲である挑戦者。
ただひとり孤独に塔を昇りつづける。
そんな日常になるだろうと島にくるまでは思っていたが――。
……こんな光景も悪くないな。
そう思いながら、アッシュはエールをぐいと飲んだ。





