◆第七話『初めての客』
「そこはこんな感じで切ってくれる?」
「こ、こうかな?」
「そうそう。あとは――」
1階の居間と隣接する台所にて。
ルナがクララを指導しながら調理をしていた。
クララは淡紅、ルナは緑と色こそ違うが、おそろいのエプロンをつけている。そのせいもあってまるで姉妹のようだった。
最近の夜の光景だ。ログハウスに移住して自炊が必須になってからというもの、クララはルナに指導を受けている。
ただ、今夜は客がくる予定とあってか、普段より調理の手間が多いようだった。そのせいかルナの手も急いているように見える。
アッシュは居間のテーブルを拭き終えたのち、彼女たちに声をかける。
「やっぱり俺も手伝うか?」
「だ、だめっ」
クララが振り返って即答してきた。
その顔はひどく必死だ。
「だめって……」
「だって、なんかアッシュくんには見られたくないんだもん」
まさかの名指しとは。
ルナが振り返り、察してあげてと控えめな笑みを向けてきた。
クララは料理が苦手なことを気にしている。
きっと近くで失敗を見られたくないのだろう。
とはいえ、どうしたものか。
シチューを煮込んでいることもあって旨そうな匂いが漂ってきている。おかげで意識が食べることだけに向いて腹が鳴るばかりだ。
早くきてくれないだろうか。
そう思ったときだった。
こんこん、と玄関の扉が小突かれた。
「お、きたみたいだな」
アッシュは玄関へと向かい、扉を開ける。
と、予想どおり本日招待した客が待っていた。
一見して戦いとは縁遠そうな見目麗しい4人の女性。
ギルド《ソレイユ》に所属しているマキナチームだ。
「おっじゃましま~っす!」
マキナが元気な声とともに脇を抜けて中に駆け込んだ。「ひっろーい!」と両手を広げてはしゃぎはじめる。
「……相変わらず元気な奴だな」
「ごめんなさい。あとでわたしから言い聞かせておきます」
そう言いながら、ぺこりと頭を下げたのはマキナチームのマスコット――ユインだ。彼女は目にかかった金の髪をどかしたあと、いつもどおりのなにを考えているのかわからない顔を向けてくる。
「こんばんは、アッシュさん」
「おう、よくきてくれたな」
アッシュは小柄な彼女のために下げた視線を戻し、後ろのレインとザーラに向けた。
「2人もよくきてくれた」
「今日は招いてくれてありがとう、アッシュくん」
「うちら、すっごい楽しみにしてたんだぜー」
レインは上品に、ザーラは快活に笑んだ。
レインのほうはマキナチームのお姉さん的な存在だ。おっとりとして、いつもにこやかな笑みを浮かべている。ほかに特徴的なことと言えば、ヴァネッサにも劣らないほどの豊かな胸だろうか。2つに結った長めの髪をしっかりと受け止めている。
ザーラのほうはからっとした性格の女性だ。髪は肩にかかるほどで背はレインと同じく女性にしては高い。胸は控えめだが、彼女が持つ独特の空気のせいか。ひどく扇情的で気づけば視線を向けてしまうことも少なくなかった。
アッシュは挨拶も程々に3人を招き入れる。
と、彼女たちは揃って感嘆の声をもらしていた。
「ここがアッシュさんの……」
「聞いてたよりずっと綺麗なのね」
「こういうとこ、うちは結構好きだなー」
どうやら好評のようだった。
改修してくれたミルマたちに感謝だ。
「いまルナとクララが料理の準備してくれてるから、とりあえず座って待っててくれ」
「あ、わたし手伝うわ」
「うちも。簡単なのだったらできるし」
レインとザーラが揃って台所へと向かった
クララがいやがるかもしれないと思ったが――。
「いいの? じゃ、じゃあお願いしちゃおうかな」
すんなりと受け入れていた。
どうやら同性の手伝いは問題ないらしい。
「わたしは味見役ー!」
マキナが手をあげて宣言する。
そんな彼女を横目にしつつ、ユインもまた台所へ向かおうとする。
「では、わたしもお手伝いを――」
「ユインちゃんはだ~め」
待ったをかけたのはレインだ。
彼女はにっこりと笑みながら続ける。
「忘れたのかしら。料理に関して自分が壊滅的だってこと」
態度こそ柔らかいが、言葉の裏に圧を感じた。
壊滅的とは言いすぎな気がするが、いったい過去になにがあったのか。詳細はわからないが、反論もできないほどにひどかったことは間違いないようだ。ユインは大人しくレインに従っていた。
そんな彼女へとマキナが嬉しそうに声をかける。
「ユインちゃん、わたしと一緒だね」
「屈辱です……っ」
よほど悔しかったようだ。
ユインはわなわなと全身を震わせていた。
レインとザーラを加えた料理組がすでに作業を始めていた。台所から和気藹藹とした声が聞こえてくる。
その光景をマキナがじっと見たあと、ある提案をしてくる。
「アシュたんアシュたん、待ってる間、暇だしお部屋見せてよ」
「構わないが、面白いことなんてないぞ」
「いいのいいの。どうせここにいてもやることないしね」
そんなあけすけに言うのもどうかと思うが……手持ち無沙汰なまま旨そうな匂いをかがされて空腹に耐えるよりはマシかもしれない。
「わたしも気になります」
意外にもユインが乗ってきた。
となれば拒否する理由はない。
アッシュは2人を連れ、2階へと向かった。
◆◆◆◆◆
居間が吹き抜けになっているため、2階に当てられた空間はそう多くなかった。
左右に2部屋ずつ。廊下を挟んで向かい合う部屋を見て、マキナが訊いてくる。
「4部屋だと1部屋余ってるんじゃないの?」
「まあ、人数に合わせて建てたわけじゃないしな」
「でもちょうどいいかも。いつでもお泊りできるし」
「泊まれること前提か」
「えー、だめなの?」
ぷっくりとした唇を尖らせて拗ねるマキナ。
本当に子供そのものだ。
「どうせくるなって言ってもくるんだろ」
「さすがアシュたん、話がわかるー!」
マキナが抱きつこうとしてくるが、ユインに後ろ襟を掴まれて「ぐぇ」と唸っていた。むせるマキナを押しのけ、ユインが前に立つ。
「そのときはわたしもお供します。マキナさんひとりだとなにをするかわかりませんし」
「わたしそんなに信用ないのっ」
「はい。とても心配です」
断言され、四つんばいになって落ち込むマキナ。
だが、予想どおりというかなんというか。
さすがの回復力ですぐに立ち上がった。
「まあいいや。気を取り直して……早くアシュたんの部屋に行こうー」
「ちょっと待て。どうして俺の部屋なんだ。空き部屋でいいだろ」
「男の人の部屋を見たいという単純な好奇心です!」
マキナがさらりと理由を口にした。
そこに羞恥心はないどころか誇らしげだ。
アッシュは思わずため息をついた。
「ユインからも言ってやってくれ」
「そうですね。わたしもマキナさんに賛成です」
逃げ道はなかった。
「ま、べつにいいけど、ほんとなにもないからな」
アッシュは嘆息しつつ、右手前の自室の扉を開けた。
直後――。
「とうっ」
マキナがベッドに正面から飛び込んだ。
ぼふんっと音を鳴らして着地すると、そのままごろごろと転がりはじめる。
「……それ、男のベッドだってこと忘れてないか」
「そ、そうです! そんなうら――はしたないことするなんて……っ」
珍しくユインが取り乱していた。
ただ、当のマキナにやめる様子はなかった。
「なんでー? べつにいいじゃーん。わたしとアシュたんの仲だし。くんくん……うん、アシュたんのニオイがする!」
シーツに鼻をあてて匂いを嗅ぐさまはまるで動物だ。
ついに仲間の痴態を見過ごせなくなったか。
マキナをベッドから引き剥がそうとユインが手を伸ばす。
「マキナさん、いい加減に――」
「ユインちゃんもかいでみる?」
先ほどまでの勢いはどこへやら。
ユインがぴたりと止まった。
マキナがシーツを引っ張り、ユインのほうへ差し出す。
「アシュたんって匂いするよー! ほら」
「べつにわたしはそんなこと……で、ですが、そこまで言うのなら――」
なにを思ったか、ユインが嗅ぐ気になっていた。
おそるおそるシーツに顔を近づけてく。
やがて鼻がつきそうになるほどまで達した、そのとき。
「そこまでだ」
アッシュはユインからシーツを離した。
彼女が「あっ」と名残惜しそうな声をもらす。
目の前で自身の匂いを嗅がれるなんて気恥ずかしいことこのうえない。
「ほら、マキナもベッドから出ろ」
マキナの体を片手で持ち上げ、ベッドの外におろした。
「もう、アシュたんたら強引なんだからっ」
「はいはい」
そうあしらいながらシーツをもとに戻す。
かすかに漂ってくる甘い匂いは間違いなくマキナのものだろう。彼女の動物的な行動もあいまってマーキングをされたような気分だ。
ベッドを綺麗に整えたのち、振り返る。
と、ユインが俯いていた。
わずかに上向けた虚ろな目をマキナに向けている。
「……マキナさんなんて嫌いです」
「え、なんで!? わたしなにかした!?」
「はい、しました。それはもうとても罪深いことです」
静かながらとてつもない憎悪を感じた。
さすがのお調子者のマキナも危険を感じとったようだ。床に尻をつけながら後ろ向きで扉のほうへ逃げていく。
そんな彼女を助けるように下階から「お~い、誰かちょっと手伝ってくれー」とザーラの声が聞こえてきた。
「よ、呼んでるみたいだし、わたし先行ってるね」
マキナが逃げるように部屋から出て行った。
ばたんと扉が閉まり、ユインと2人きりになる。匂いを嗅ぐ嗅がないなんて変態的なことを問題にしていたからか、なんとも気まずい空気だ。
「あ~……まさかそこまでとは思ってなかった」
「べつにそういうわけでは――」
「みんなには遅れるよう伝えておく」
「え、あのっ」
アッシュはユインを自室に残して扉を閉めた。
果たしてこれでよかったのか。
……いや、よかったのだろう。
そう自身に言い聞かせながら、アッシュは1階へと向かった。





