◆第六話『アルビオンの新鋭』
「結局、こなかったね」
「昨日の今日だし、時間を置いてるのかも」
59階の踏破印を刻んだのち、塔前の広場に戻ってきていた。
クララとルナはほっとした反面、肩透かしを食らった気分のようだ。
アッシュはいまもそばに立つ、チームメンバーでない挑戦者――シビラを横目に見ながら言う。
「怪しい奴がずっと後ろをつけてたから警戒したのかもな」
「くっ……」
ばつが悪そうに彼女は目をそらした。
自身の不甲斐なさを感じてか、下唇を噛んでいる。
「それよりどうだった? 俺たちの戦いは」
「……無駄は多いが、連携は悪くない。互いを信頼し合っているのがよくわかる。噂には聞いていたが、さすが駆け上がっているチームだ」
かなりの高評価だ。
クララとルナも顔を綻ばせている。
そんな中、シビラはこちらをじっと見つめてきた。
ただ、と話を継いだかと思いきや――。
「……いや、なにもない」
「なんだよ、気になるだろ」
「わたしが口を出すべきことではないと思っただけだ。忘れて欲しい」
そんな意味深な発言をされて気にならないわけがない。だが、問い詰めても話してはくれなさそうな雰囲気だ。
ふと帰還用の転移魔法陣が淡い光を発した。
誰かが塔から帰ってきたようだ。
現れたのは5人の挑戦者。
全員が盾の徽章を肩につけたアルビオンのメンバーだった。
あまり見ない顔だが、防具が《フェアリー》や《巨人》シリーズからして7等級の挑戦者で間違いないだろう。
「あれ、先輩じゃないすかっ」
彼らの中で弓を背負った青年がシビラを見て声をあげた。
その身は《フェアリー》シリーズに包まれ、すらりと細い。ただ、筋肉がないというより無駄を省いたといった印象だ。
彼はにこにこと笑みを浮かべながら歩んでくると、シビラの前に立った。
「ナクルダール……偶然だな。いま、帰りか?」
「ええ。って、それより聞いてください! 俺たち70階突破したんですよ!」
その言葉は大きな声で告げられた。
辺りには挑戦者が15人ほどいたが、全員がもれなく彼のほうを向いた。
「な、70階突破だって……!?」
「ラピス以来じゃねぇか!」
「これは一大事だ!」
周囲が一気にざわつきはじめる。
いち早く多くのものに情報を届けようとしてか、幾人かは中央広場に走っていた。
ラピスが70階を突破したのは約2年前だと聞いたことがある。それから長らく突破者が現れなかった中でのことだ。彼らが驚くのも無理はないだろう。
シビラも驚いていたようだが、同じギルドメンバーだからか、喜びのほうが勝ったようだ。柔らかい笑みで応じていた。
「ついにだな。おめでとう。お前たちならやれると思っていた」
「ありがとうございます。ま、正直かなりやばかったんですけどね」
ナクルダールと呼ばれた青年が照れたように笑う。
なんとも微笑ましい光景だが、長くは続かなかった。
「相変わらず上から目線ね」
刺々しい言葉が聞こえてきた。
ナクルダールのチームメンバーのひとり。
腰の左右に長剣を1本ずつ携えた女性が、ぎりりとシビラのことを睨んでいた。
身長はシビラと同程度か。腰ほどまである長く、波打つような髪が特徴的だ。
寝不足なのかは知らないが、目の下にははっきりくまがある。そのせいか、目つきがひどく悪く見えた。何人か呪い殺していそうなほどの負の空気を纏っている。
「ジグラノ……そんなつもりはなかったが、気に障ったのなら謝る」
シビラが目を伏せて軽く頭を下げる。
張り合いがないとばかりにジグラノと呼ばれた女は鼻を鳴らした。
「まあいいわ。これであたしもあんたと同じ8等級よ」
「そうだな。アルビオンを代表する者として、これからもともに頑張っていこう」
シビラが力強い言葉とともに手を差し伸べた。
予想外の対応だったのか、ジグラノが少しの間硬直していた。やがて歩み寄ると、シビラの右手に自身の右手を近づけていく。そのまま握手をするのかと思いきや、パシンッと思い切りはたいた。
「あたしはニゲル様のためにアルビオンに入ったの。あんたと協力する気なんてこれっぽっちもないわ。っていうか死んでもいやよ!」
ジグラノの明確な敵意を受け、シビラはただただ困惑していた。
ナクルダールが間に割って入る。
「はいはい、そこらへんにしとけよ、ジグラノ。先輩が困ってるだろ」
「なに、この女の肩を持つっていうの? あんた、あたしのチームでしょ」
「チームとかの前に同じギルドのメンバーだろ。ったく……おいみんな。ジグラノを連れて先に行っててくれ!」
ほかのメンバー3人がため息交じりにジグラノの体を掴むと、シビラから引き離した。そのまま中央広場へと引きずっていく。
「なにすんのよ、離して! ていうか、どこ触ってるのよ! あたしの体はニゲル様のものなのよ! ちょっとナクルダール、あんたあとで絶対ぶっ殺してやるから! 覚えてなさいよ!」
きんきんと耳に響く声だ。
その凄まじい暴れっぷりにクララとルナが揃ってドン引きしていた。
ただ、シビラとナクルダールは慣れているのか。
大して気にしていないようだった。
「先輩のほうはひとりでどうしたんですか?」
「例の件で、ちょっとな」
「マスターも人が悪いっすね。先輩ひとりに任せるなんて」
「これはわたしが言い出したことだ。マスターは悪くない」
シビラがそう答えた瞬間、ナクルダールがほんの少しだけ笑みを崩したように見えた。だが、気のせいだったか、すぐにその顔はもとの笑顔に戻っていた。
「そういやそっちの人たちは?」
「あ~……彼らには捜査の協力をしてもらったのだ」
「なんかどっかで見たことあるような……」
「アッシュ・ブレイブのチームだ」
シビラがそう答えると、ナクルダールは「ああ」と声をあげた。
以前、クララを巡ってライアッド王国の暗殺部隊が襲ってきた。その際に一度、アルビオンに事態を収拾してもらったことがある。名前を覚えられていても不思議ではない。
「俺はナクルダール。話を聞いてたならわかると思うが、アルビオンのメンバーだ」
「アッシュ・ブレイブだ」
握手を求められたので手を重ねた、瞬間。
とても友好的とは思えないほど強い力で握られた。
ナクルダールが顔を寄せ、潜めた声で話しかけてくる。
「俺の先輩に手を出したらタダじゃ置かねぇからな」
「……なにを言っているのかわからないな」
「とぼけるなよ『女好きのアッシュ』」
知らないうちにまた二つ名が増えていたらしい。
本当にやめてもらいたいものだ。
「それは誤解だ」
「そのメンバー構成でよく言えたもんだな」
それこそ誤解だと反論したかったが、ナクルダールはすっと離れた。先ほどまでの剣呑な空気など微塵も感じさせない爽やかな笑みを浮かべながら、シビラに向かって告げる。
「そんじゃ俺もそろそろ行きますね。これからチームで打ち上げするんで」
「ああ。あまりハメを外しすぎないようにな」
「わかってますってっ」
ナクルダールは快活な笑みを残すと、先に去ったメンバーを追いかけて走り出した。彼がいなくなったのを機にルナが訊いてくる。
「アッシュ、なにか言われたの?」
「あ~……聞いてたとおりすごく真面目な人ですねって感じだ」
あまり話したくない内容だったのでそうとぼけた。
クララから怪訝な顔を向けられる。
「絶対うそでしょ」
「おい、絶対ってどういうことだ」
「だってアッシュくんだよ。ね、ルナさん」
「そうだね、アッシュだからね」
ルナがにやりと笑みながらクララに加勢する。
どうやら早々にうそをついた罰が当たったようだ。
アッシュは肩身の狭い場所から抜け出さんとシビラに声をかける。
「にしても……アルビオンって個性豊かな奴ばっかりだな」
「たしかにそうかもな。だが、みな良い奴だ」
誇らしげな顔とともにそんな言葉が返ってくる。
心の底から思っていることがありありと伝わってきた。
「今日は色々と面倒をかけてすまなかった」
こちらに向きなおったシビラが頭を下げてきた。
いきなりだったために思わず面食らってしまう。
本当に驚くほど真面目な人間だ。
「次からつけるときは言ってくれよ」
「そうさせてもらおう。どうやらわたしに尾行は向いていないようだからな」
言って、シビラは再び顔をあげると少し困ったように笑った。
「では、わたしもこれで失礼する」
「例の仮面の男、こっちでもなにかわかったら報告する」
「よろしく頼む」
そう言い残して、シビラもまた広場をあとにした。
「もっと怖い人かと思ってた」
「なんだか意外だったね」
「すぐ剣を抜く癖はどうかと思うけどな」
そうしてシビラの後ろ姿を見送っていると、クララが目の前に躍り出てきた。なにやら待ちきれないといった様子で目を輝かせている。
「ねね、それより今夜だねっ」
「……今夜ってなんかあったか?」
「え、もう忘れちゃったの!?」
クララが怒ったようにまなじりを吊り上げると、声高々に答えを口にした。
「あたしたちのおうちに初めてお客さんがくる日だよっ!」
 





