◆第一話『押し寄せる魔物』
拳が頬の近くをかすめた。
遅れて付随する赤々とした炎が肌を撫でていく。
ひりつく痛みに襲われ、アッシュはわずかに顔を歪める。
現在、赤の塔を昇っていた。
階は58。すでに塔内部の攻略を終え、いまは柱廊を進んでいるところだ。ちょうど中腹を越えた辺りだろうか。
対峙する魔物は塔ではよく見る人型。
ただ、その身体は特殊だ。
拳ほどの岩石が無数に組み合わさってできている。
さらに全身からは常に噴きあがる炎。
触れれば火傷どころではすまない熱量だ。
スティレットやソードブレイカーでは剣身が短く、どうしても炎に触れてしまう。そのため、6等級の武器交換石を購入。斧――ハンマーアックスを主武器にしていた。
「ったく、暑苦しいんだよっ」
アッシュは深く腰を落とし、得物を後方へ流す。そのまま勢いよく横振りし、ハンマー側を敵の腹に勢いよく叩きつけた。鈍い衝突音に構わず振り抜き、敵の腹辺りの岩石を粉砕する。
あちこちに飛び散った岩石がパンッと炸裂音を鳴らして砕ける中、ごとっと敵の上半身が床に転がり落ちた。下半身とともに纏っていた炎が消えて動かなくなると、その身が明滅しはじめる。
「アッシュくん、下がって!」
クララの声が後方から飛んでくる。
と、眼前の敵とを区切るように氷壁がせり上がった。
青の5等級魔法、《フロストウォール》だ。
かすかに青みがかった氷壁の向こう側で敵の体が閃光を放った。視界が白で埋めつくされる中、腹を直接殴られたかのような轟音が鳴り響く。敵の体が爆発したのだ。
黒煙を乗せた強烈な突風が左右を駆け抜けていく。
幸い《フロストウォール》のおかげで直接的な被害を受けることはなかったが……。
辺りを覆っていた黒煙が晴れると、《フロストウォール》がその上半分を失くしていた。あちこちがどろりと溶け、丸みを帯びている。《フロストウォール》は決して柔らかくない。にも関わらずこのありさまだ。
アッシュは肝を冷やしながら立ち上がる。
「相変わらず凄まじい威力だな……クララ、助かった!」
「えへへ。もう爆発のタイミングはばっちり掴んだから任せてっ」
振り向いた先、クララが腕輪を見せつつ得意気に笑んだ。そのかたわらではルナが険しい顔つきで弓を構えている。
「アッシュ、追加で来てるよ!」
視線を戻すと、奥から火炎を纏った球形の岩石が2つ飛び出てきた。形状こそ違うが、あれは先ほどの人型だ。奴は移動時、あのように体を丸めて跳ね転がってくる。
ルナによって放たれた矢が氷の結晶を散らしながらそばを駆け抜け、1体の岩石に命中した。刺さった箇所を中心に掌ほどの範囲が凍りつく。
敵がたまらず球形型を解いて人型に戻るが、その間にもルナの矢が幾本も射られていた。次々に突き刺さった矢が敵の全身を氷で覆い尽くす。ついに敵は明滅を始めることなく、その場に転がり沈黙した。
「こっちも負けてらんないなっ」
アッシュは武器を構え直すと、残る1体――岩石のまま勢いよく突撃してくる敵に狙いを定めた。タイミングあわせて自ら前へと出て、ハンマー側を思い切りぶち当てる。とてつもない衝撃が手から腕、全身へと伝わるが、力の限り打ち抜いた。
轟音とともに弾き飛んだ敵が空中で人型へと戻ろうとする。が、下半身からぽろぽろと崩れはじめていた。おそらく衝撃が全身に抜けたことで致命傷に至ったのだろう。その身が明滅している。
敵は爆発する前に最後の抵抗を考えたか。なんと自身の左腕をもぎとると、それを投げつけてきた。敵の胴体、投げられた左腕もろとも爆発する――。
直前、腕はルナの矢によって、胴体はクララの《フロストレイ》によって氷漬けにされた。どちらも床に転がると、ジュゥと音を残して溶けていく。
アッシュは安堵の息をもらす。もし爆発の対処に失敗すれば、こちらの身が吹っ飛びかねないほどの威力を持つ攻撃だ。倒すのが容易だからといって気は抜けなかった。それにしても――。
「だいぶ楽になったな」
「《インペリアル》シリーズの恩恵だね」
クララとともに駆け寄ってきたルナが言った。
10日前。黄金都市で得たジュリーを使い、ルナとともに防具を4等級の《ブラッディ》から6等級の《インペリアル》シリーズに一新した。硬度上昇の強化石をすべてはめたこともあって黄金都市で稼いだ分は一瞬にして吹き飛んだが、見合った強化はできた。
《インペリアル》シリーズはセットで揃えると、敵への損傷をわずかに増加させるという付加効果を得られる。斬撃系であれば傷口が広がりやすく、打撃系であれば衝撃が増加し、矢ではより深く突き刺さるらしい。
効果は微々たるものではあったが、それでも実際に使ってみると、違いがはっきりとわかる。
「うし、ここもあと少しだ。一気にのぼりきるぞ!」
そう声をかけたときだった。
奥のほうから人影が飛びだしてきた。
新手の魔物かと思ったが、違った。
挑戦者だ。
逞しい体を《インペリアル》の軽鎧で覆っている。
ただ、白い仮面をつけているために顔を見ることはできなかった。ほかに特徴的なのは肩につけられた盾の徽章。そして、右手の中指にはめられた見たこともない大きな紫の宝石がついた指輪だ。
その者はこちらに目もくれずそばを駆け抜けていく。
魔法の類か、常人ではありえないほどの速度だ。
すれ違う際、葉の焦げたような、鼻の奥につんと抜ける臭いがした。先ほどの仮面の挑戦者のものだろうか。決して良い臭いとは言えない。
「な、なにいまの人……変な仮面つけてたけど……」
「……格好もそうだけど、すごい動きだったね」
仮面の男が去っていったほうを見ながら、クララとルナが呑気な感想をもらした、その直後。柱廊の奥――上のほうから地響きが聞こえてきた。
アッシュは音の正体に瞬時に予想がつき、慌てて叫ぶ。
「2人とも、下に向かって走れ!」
「え、え、なに?」
「いいから早く! 全力だ!」
全員で柱廊を下りはじめてから間もなく、現れたのは先の人型の魔物だ。
ただ、その数は優に30を超えていた。
すべてが移動時の球形型で跳ね転がってきている。
「どうしてこんな数っ」
「たぶん、さっきの奴だ! あいつがつれてきたんだ! あんの野郎……っ!」
注意の一言でも残してくれればまた印象は変わったかもしれないが、これではただなすりつけられただけだ。
クララが振り向きざまに《フロストウォール》を生成する。が、先頭の1体を抑えられても後続の敵が次々に衝突し、いともたやすく破壊してしまう。
「だめ! 数が多すぎて抑えられないよっ」
「アッシュ!」
どうする、とルナから目線で問われた。
5体程度ならまだしも30体はさすがに厳しい。
だが、59階までそう遠くない。
危険を冒して踏破印を刻みにいくか。
それとも離脱してまたの機会に挑戦するか。
アッシュは舌打ちをしたのち、声を張り上げる。
「2人とも飛び下りろ! この数をやり過ごすのはさすがに無理だ!」
ここまで1日かけてようやく辿りついたのだ。
できれば離脱したくはないが、命には換えられない。
クララやルナも悔しそうではあったが、文句を言わずに頷いてくれた。
アッシュは彼女たちとともに左手側の縁から外へと飛び込んだ。
◆◆◆◆◆
「もー、なんなのー!? 苦労してあそこまで行ったのに台無しだよ~っ!」
不恰好に着地したクララが跳ね起きるなり憤慨していた。
彼女の怒りはもっともだ。苦労して辿りついたというのに、また同じ道を歩まされるのは精神的にくるものがある。
「時間もないし、それにまたあいつが出てくるとも限らないからな。悔しいが今日はここまでだ」
「うぅ~~」
夕刻には早い段階での切り上げだ。
普段のクララなら喜ぶこと間違いなしだが、今日に限ってはやりきれない思いがあるようで頬を膨らましていた。
そんな彼女のそばでルナが塔を見上げていた。
なにやら難しい顔をしている。
「あの数、凄かったね。落ちるときに後続も確認したけど50以上はいたよ」
「59階から駆け下りてきたとしても多すぎるよな」
すでに柱廊の中腹を越えていた。
残っていたとしてもせいぜい30体程度だ。
つまり本来の湧きを明らかに超えた数ということになる。
「あと肩の徽章、見た?」
「ああ。アルビオンのだった」
仮面の男が肩につけていたバッジ。
あれは三大ギルドのひとつ。
アルビオンのメンバーがつけているものだった。
「アッシュはどう思う?」
「あいつらがあんなことを進んでやるとは思えないな」
「だよね」
仮にも島の秩序を守ろうとしている集団だ。
ギルドで動いているとはとても思えない。
考えられるのは個人での行動か。
あるいは――。
「とにかくアルビオンのところに行こう。抗議するかはそれからだ」





