◆第十三話『モルバ長男・前編』
整然と煉瓦組みされた紫色の石壁。壁龕に飾られた球形の洒落たランプ。やたらと多い曲がり角。絵画の先には、これまでとは違った趣の通路が続いていた。
「長男はどんな感じなんだろうね」
すぐ後ろを歩くクララがぼそりとこぼした。
「三男や次男と同じで脳筋タイプかもな」
「意外と魔術師型だったりして」
「だったら接近して一気に決めたいところだな」
魔術師型は脆いことが多い。
判明した時点で積極的に接近戦を挑みたいところだ。
「いずれにせよ三男より次男のほうが手ごわかったし、長男が一番強い可能性はあると思うから充分に気をつけないとだね」
最後尾を歩くルナがそう注意を促したとき、ちょうど通路の先に開けた空間が見えた。そこまで辿りついてから、身を潜めながら3人揃って様子を窺う。
広さは試練の間の半分といったところか。左右の壁に沿うように人一人がすっぽり入るほどの透明な円筒形容器がずらりと並んでいる。
中には泡立つ緑の液体と目を閉じたゲイザー。液体がほのかに発光していることもあって、なんとも不気味な光景だ。
クララも「うわぁ……」と嫌悪しつつ顔を歪めている。
広間の奥は灯がないせいか、なにも見えなかった。
ルナが遠くを見つめるように目を細める。
「奥のほうは暗くて見えないけど……あそこにいるのかな、長男」
「入ったら出てくるかもな。行くか」
クララから4種の補助魔法をかけてもらったのち、アッシュは先頭に立って広間に入る。
こちらの侵入を察知したかのように奥の空間が明るくなった。幾つもの石造台が散乱している。台上には様々な色の液体が入った小瓶。まるでなにかの実験室のようだ。
ひとつの台前に、黒いローブを羽織った人型の魔物が立っていた。体つきは成人よりもひと回り大きい。くすんだ青色の肌とへびのようにうねった髪が特徴的だ。
「モゥ、モゥモゥッ」
こちらに気づいた魔物がボロボロの歯を見せながらこもった声を鳴き声を漏らした。
「あの鳴き声……次男、三男と一緒だね」
「あいつが長男で間違いなさそうだな」
そうクララに答えつつアッシュは身構える。
と、敵が懐に手を入れて1本の小瓶を取り出した。
中には紫色の液体が入っている。
いったいそれをどうするつもりかと思いきや、こちらに向かって勢いよく放り投げてきた。だが、小瓶がこちらに届くことはなかった。ルナが矢で撃ち落したのだ。
空中で割れた瓶から紫色の液体が飛び散り、床に落ちた。じゅう、と音を鳴らすと、かすかな煙を残して液体はすぐに消滅してしまう。なんの変化もないように見えるが、液体が乗った床だけが溶けたように軽くへこんでいた。
「……あれに当たったらタダじゃ済まなさそうだな」
一発目を難なく迎撃されたからか、敵が不満そうな声で咆えた。またも懐に手を入れては次々に紫の小瓶を投げつけてくる。それらをルナがことごとく撃ち落してくれるが、的が小さいこともあってか、どんどん酸の飛び散る場所が近づいてきていた。
このままではジリ貧だ。
「前に出るっ!」
アッシュは2本の短剣を構えると、身を低くしながら駆け出した。飛び散る紫の液体を躱しながら敵との距離を詰めていく。
「クララ、《フレイムバースト》!」
すでに準備をしていたのか。指示を出してからほぼ間を置かずにそばを大きな火球が通りすぎていった。慌てて身を横に投げた敵のすぐ近くに《フレイムバースト》は着弾。広間の奥を覆い尽くすほどの爆炎をあげた。
アッシュは爆風に押し戻されそうになりながらも前へと駆け続ける。爆炎が収まると同時、視界に映り込んだ敵めがけて飛びかかった。スティレットを敵の額へと突き出す。が、紙一重のところで躱されてしまった。
不恰好な体勢で転がり、逃げ延びた敵が懐から小瓶を取り出すと、床に叩きつけた。これまでとは違った青色の液体が飛び散る。それはわずかに発光した直後、氷の壁となってせり上がった。
「なっ!?」
追撃の勢いを氷壁によって止められた、直後――。
「アッシュ、上! 避けて!」
後方からルナの声が飛んできた。
促されるまま見上げた先、落ちてくる紫の小瓶。
敵は氷壁で視界を遮るなり投げ入れてきたのだ。
アッシュは飛び込むようにして床を転がり、辛うじて紫の液体から逃れた。先ほどまで立っていた床がジュッと音をたててかすかに溶ける。その光景に肝を冷やす間もなく、敵が壁の脇から飛び出てきた。
また氷壁を生成するのかと思いきや、今度は赤色の瓶を投げつけてきた。アッシュは即座にスティレットを振って斬撃で迎撃する。空中で割れた瓶から赤い液体が散ると、それらは3本の炎の刃となって一直線に向かってきた。
「アローかっ」
アッシュはスティレットを振り、自身を包む形で光のカーテンを生成。3本の矢を無力化した。
さらに敵は緑色の小瓶を投げてくる。あえて撃ち落さずに回避すると、床に落ちたそれが《ストーンウォール》を生み出した。せり上がった壁を越す形でまたも紫の小瓶が投げ入れられる。
アッシュは大きく後退して、一旦体勢を立て直した。
クララが氷壁を《ウインドアロー》、土壁を《フレイムバースト》で破壊する。
「もしかして赤と青、緑の瓶は床に落ちたらウォール系、空中で壊したらアロー系になるのかなっ!?」
「おそらくな!」
そう返答したとき、爆炎の中から紫の小瓶が飛んできた。こちらが後退するたびに追加で投擲される。おかげで後衛組の近くまで下がるはめになった。
「アッシュ、どうする!?」
ルナが切羽詰った声で訊いてきた。
赤、緑、青の三色小瓶の対応についてだろう。
「壁を出されるほうが邪魔だ! 全部撃ち落としてくれ!」
「でも、そしたらアローが――」
「避ける!」
アッシュは今一度、敵に向かって駆け出した。
爆炎が晴れるなり敵が次から次へと三色瓶を投げつけてくる。それらをルナが撃ち落とすたび、色に順じたアローが生成された。こちらに向かってくるアローを回避しつつ敵に向かうが、やはり数が多い。
と、頭上を極太の青い光が貫いていった。クララの《フロストレイ》だ。まるで空間を薙ぐように放たれたそれによって、赤と青のアローが消滅した。緑のアローが残っているが、数は少ないので難なく回避できた。
「緑は無理だけど、赤と青なら消せるっぽい!」
「助かる!」
クララの援護のおかげで敵との距離を一気に詰められた。敵が懐に手を伸ばそうとするが、斬撃を放って阻止。弾かれた敵がこちらに尻を向けながら四つんばいの格好で逃げ惑う。その姿からは魔物の凶悪さなど微塵も感じなかった。
――ここで仕留める。
アッシュは敵にのしかかり、ソードブレイカーを突き刺した。それを支えに今度はスティレットで頸を飛ばす。
ころころと転がる頭部。敵の体も完全に機能を停止したか、動かなくなった。ただ、不気味な相手だったこともあって安心できずに人間の心臓部分にもスティレットを一突きしておいた。
クララが「ひっ」と短い悲鳴を漏らす。
「いつも思うけど、アッシュくんやりすぎなんじゃ……」
「これぐらいやっとかないとな」
中には復活する魔物も存在する。
やりすぎて困ることはない。
敵の体がかすかに発光した。
きっと消滅しはじめたのだろう。
そう思った瞬間――。
敵の体がどろりと溶けて紫の液体となった。





