◆第十一話『モルバ次男』
遠くからでもわかっていたが、目をつけていた大樹はほかよりもひと回り大きかった。階段風に巻きついた枝を伝って上まで辿りついたのち、3人で顔を出して様子を探る。
そこは多少の隙間はあれど、まるで屋内のようだった。群がる枝は床から壁までを埋め尽くし、さらには半球形に天井をも覆っている。
「あれ、なんにもいなくない?」
「もしかして狩られちゃったのかも」
「いや、いる」
かさかさと音が聞こえてきた。
左前方、枝の隙間でなにか蠢いている。
それは枝を押しのけて姿を現した。姿は人間とほぼ同じだが、その肌色は見たことのない緑。身長もこちらとそう変わらないが、どこの筋肉も弾けそうなほど隆々としている。また立った状態でも足に届きそうなほど腕が異様に長い。
おそらくあれがレア種――モルバ三兄弟の次男だろう。「モゥッ、モゥッ」と呟きながら、手に持った紫色の果実をかじっている。股間だけを布で隠しただけの格好もあいまって、なんとも原始的な姿だ。
「なんか……強そうに見えないね」
「ああいう野生的なのは侮れないぜ」
予想外の動きを見せたり、勘を頼りに驚異的な回避力を見せるものもいる。
「アッシュどうする?」
「恒例のクララ先制攻撃で行くか」
「任せてっ」
「ルナはそのあとに追い討ちを頼む」
「了解」
「2人が攻撃してる間に俺が距離を詰めて接近戦をしかける。これで上手く仕留められればいいが……まあ、敵の動きがわからない以上、まずは動きを見てみないとな」
クララが補助魔法4種をかけなおしてくれたのを機に、アッシュは収めていた短剣を抜きなおした。構成は左手にスティレット、右手にダガー。ソードブレイカーを持たなかったのは、いかにも怪力といった敵の姿から〝受け〟は危険だと判断したためだ。
「行くよ、2人とも」
アッシュはルナとともに頷く。
クララが敵に向かって右手を突き出すと同時、眼前の虚空で赤い光が煌いた。展開された魔法陣を通して放たれた大火球――《フレイムバースト》が敵へと向かっていく。その速度たるや恐ろしいほどで瞬く間に敵に接近。向かいの枝一面を覆い尽くすほどの爆炎をあげた。
「やった!?」
「いや、枝の中に潜った!」
着弾の直前に枝の中に潜っていた。
アッシュは足を止め、敵の動きを目で追う。
左回りで枝の中を疾走している。
ルナが幾本もの矢を放つが――。
「枝が邪魔で当たらない……っ!」
ことごとく枝に刺さってしまう。稀に隙間を抜けても敵の動きがあまりに速いために捉えきれていない。クララが《フレイムバースト》を放つが、やはりこちらも枝によって遮られてしまう。
敵は止まらずに枝の中を走りつづけている。攻撃をする気がないのか。そう思ったが、敵は入口側――クララとルナのところを目指して走っていることに気づいた。
「2人とも中央に走れ! 枝の近くは奇襲を受けるぞ!」
そう叫びながら、アッシュは2人と敵の間へと駆ける。
予想どおり敵が枝の中から飛びだしてきた。中央へ向かおうとするクララたちの背後に襲いかかる。アッシュもまた跳躍し、空中で敵と交差。その横腹へとダガーを刺し込み、勢いのまま枝の床に叩きつけた。
離れろとばかりに敵が振ってきた腕を躱し、今後はスティレットで胸部を突き刺す。敵は太い声で悲鳴をあげると、全身を使ってがむしゃらに暴れはじめた。アッシュはたまらず短剣を抜き、後退する。
相当な傷を与えられたのは間違いない。だが、敵は力を振り絞ったように枝の中へと向かっていく。その背中にルナが矢を射て3本を命中させたが、倒しきることはできなかった。敵がまろぶようにして枝の中へと逃げ込んでしまう。
「見た目どおりのタフさだね……っ」
「でも、かなり弱ってたし、あと少しっぽい!」
クララが楽観的な声をあげる中、敵は枝の中から天井へと向かっていた。試しにスティレットとダガーを振って白と赤の斬撃を放ってみるが、やはり枝の壁によって阻まれてしまう。
「2人とも奴の真下には立つなよ! 飛び下りてくる気かもしれない!」
アッシュは後衛2人の位置を意識して立ち回り続ける。
敵が枝の間からひょこっと出てきた。ルナがすかさず矢を放つ。が、敵は腕に矢を受けるのも構わずに近くの果実をもぎ取ると、むしゃぶりついた。
すると、敵の腹に刻まれた傷がみるみるうちに塞がっていった。敵は紫色の果汁で染めた口を満足そうに緩める。
「あの木の実、回復効果があるのかっ」
ただ全快というわけではないらしい。
ほかの傷はまだ残ったままだ。
「ほかの実を落とせ! これ以上回復されると厄介だ!」
ルナは矢で、クララは《ウインドアロー》で次々に果実を次々に落としていく。その間にアッシュは両手の短剣で斬撃を放ち、敵を牽制する。
敵は果実で回復したこともあり、枝の中に退避しては残った果実をとろうと元の機敏な動きを見せる。だが、ルナが上手く行き先を読んでそれを阻んでいた。さすがの仕事ぶりだ。
「これで最後だっ!」
ルナによって残りの果実が落とされる。
と、枝の中から出てきた敵が顔を真っ赤にしながら奇声をあげた。果実がすべて落とされたことに怒っているのかもしれない。
ただ、完全に無防備な状態だ。
クララがここぞとばかりに《フレイムバースト》を放つ。
敵は魔法陣が発動した直後、果実の芯と思しきものを口から取り出し、勢いよく放り投げた。涎まみれの芯が《フレイムバースト》に向かっていく。本来ならあんな芯ごとき呑み込むだろうが、なんの意味もなくするとは思えない。
「クララッ!」
アッシュは短剣を収め、《フレイムバースト》にもっとも近いクララへと飛んで彼女を抱いた。その最中、凄まじい轟音が聞こえてきた。やはり芯と衝突したことで《フレイムバースト》は爆発したようだ。
アッシュは全身を叩かれたような感覚に見舞われ、枝の上を転がった。壁に激突してようやく勢いが止まる。背中を打ちつけたからか、思わずむせてしまう。
「アッシュくんっ」
「……俺は大丈夫だ。それより怪我はないか?」
「う、うん。アッシュくんのおかげでなんとも――」
クララとともに起き上がった途端、そばに黒い影が現れた。敵がすでに近くまで来ていたのだ。アッシュはとっさにクララを横に突き飛ばしたのち、薙ぐように放たれた敵の右拳をしゃがんで回避。その間に両手に短剣を持ち直して敵の懐に潜ろうとする。が、間髪容れずに敵の左拳が向かってきたので回避を余儀なくされた。
鈍く重い音をたてて敵の拳が足場に激突する。その後も敵は息つく間もなく連続攻撃を繰り出してくる。完全に怒りに任せた攻撃だ。おかげで軌道は読みやすい。だが、腕の長さのせいで正面の隙がほぼなかった。せいぜい腕を削る程度しかできない。
「ちぃッ」
回避に専念していると、敵の体が小さく揺れた。ルナが敵の背中に矢を命中させたらしい。その後も続けざまに矢を当てているようだが、敵の動きが鈍る様子はない。
「いつ倒れるんだっ!」
すでに10本以上は刺さっているが、敵の猛攻はいまだ続いている。凄まじい耐久力だが、さすがに無事なはずはない。そのうち必ず崩れるはずだ。
先ほど逃げ延びたクララもルナと合流していた。彼女もまた《ウインドアロー》で敵の背中を執拗に攻撃しはじめる。それから間もなくして――。
敵が右膝をがくりと折った。
どうやらついに限界が来たらしい。
アッシュはその瞬間を逃さずに敵の右手側に回り込んだ。敵はすぐさま体をひねって応戦しようとしてくるが、右足の踏ん張りがきかずに硬直していた。
ダガーを中心に敵の横腹を何度も斬り裂く。最後の力を振り絞ってか、敵が頭突きをかまそうとしてきた。とっさに跳躍して後頭部にダガーを刺し、そのまま突き落とした。
うつ伏せになったまま、ついに敵は動かなくなる。
その背中には凄まじい数の矢が刺さっていた。
何本かを数えようとするが、それよりも早く敵の姿が霧散してしまった。
「いくらなんでもタフすぎるだろ」
アッシュは武器を収め、その場に座り込んだ。
大苦戦といった感じではなかったが、決して楽な相手ではなかった。
ルナが「おつかれ」と言って歩み寄ってくる。
彼女も連続して矢を射続けたからか、疲労が見て取れた。
「ほかのモルバ兄弟もこんな感じだとかなり面倒だね」
「どうだろうな。こいつはいかにも野生児って感じだったしな。耐久力の高さが特徴だった可能性は高そうだ」
モルバ次男のように尖った特徴がほかの兄弟にもあるなら用心して挑まなければならないだろう。
アッシュはそう心に留めながら、いまも戦利品を確認中のクララに声をかける。
「どうだー、いいのあったかー?」
「聞いてたとおりジュリーしか出なかったよ。そのジュリーも少ないし……」
クララから不満な声が返ってくる。
戻ってきたガマルも心なしか食い足りないといった様子だ。
ルナが苦笑する。
「誰も狩りたがらないってのも納得だね」
「だな。ま、とりあえずこれで次男は倒したし、あとは長男と三男か」
長男とは黒の塔56階まで、三男とは赤の塔50階をまず攻略したのちに54階まで昇らなければ戦えない。
難度も上がっているのですぐに辿りつくのは難しいが、いつかは通る道だ。どうせなら、ついでと思って楽しみながら昇りたい。
アッシュは跳ねるようにして起き上がると、短剣を抜いた。
「そんじゃ出口まで行って今日は帰るとするか」





