◆第十話『大樹にかかる橋』
ケンタウロスが足下にどさりと転がった。手からこぼれた弓を拾おうとしているが、それよりも早く首を飛ばす。
その体が消滅しはじめたのを確認したのち、アッシュは周囲に視線を巡らせた。ほかに敵の姿は見当たらない。足音もしないし隠れている様子もない。
「やっと止んだか」
「息つく暇もなかったね……」
「もうすでにくたくただよー」
51階に足を踏み入れてからそれほど経っていない。
だが、絶え間なく魔物を相手にしていたこともあり、すでに長い時間が過ぎたかのような感覚だ。
「かなり進んだし、そろそろ出口が見えてもおかしくないと思うんだが……」
言いながら、アッシュは進行方向を見やる。
「これをどう越えるかだな」
眼前には幅広の川が流れていた。
底は浅く、流れはゆったりしている。
妨害さえなければ問題なく歩いて渡れる川だが、向こう岸には徘徊するケンタウロスの姿が幾つも見えた。
「水で足をとられてるところを狙われるときついね」
「つっても、ほかに道がないんじゃな」
「ねね、あそこから行くんじゃない?」
クララが右方向を指差しながら言った。
その先を辿ると、川を挟んで立つ2本の大樹が互いに太い枝を絡ませあっていた。まさしく天然の橋といった様相だ。
「みるからにって感じだな。行ってみるか」
◆◆◆◆◆
早速、大樹のもとへとやってきた。
橋のところまでよじ登る必要があると思ったが、幹の周りに渦巻くよう太い枝が絡みついていた。おかげで階段を上る感覚で橋の位置まで辿りつけた。
橋は編むように絡み合っているため、かなり頑丈なようだ。人間が10人乗ったところで揺れそうにない。ただ、すぐに橋を渡ることはしなかった。
アッシュは仲間とともに橋の手前で身を屈めながら先の様子を窺う。
橋を渡った先――向こう岸の大樹の中がくり抜かれたように空洞となっていた。入口が狭いのですべてを確認できないが、中で待機するエントの姿を少なくとも3体確認できた。
さらに向こう岸の大樹の根本、両脇を警備する形で1体ずつケンタウロスの弓が配置されている。
「川で戦うよりはマシだが、こっちも面倒そうだな」
「でも、こっちに気づいてないよね」
「……先制できるか」
となれば、もっとも火力があるのは――。
アッシュはルナとともにクララの顔を見やった。クララが「え、なにっ」と言って目をぱちくりとさせる。
「クララ、向こう岸まで《フレイムバースト》届くか?」
「うん。たぶん届くと思うけど……」
「じゃあ3発ストックしてそれぞれ別方向に撃つのは?」
ストックする魔力に関してクララに問題はないだろう。
クララは少し考え込むような素振りを見せながら答える。
「やったことないけど、最初に位置を決めてあとは放つだけって感じにすればいけると思う。どこに撃てばいいの?」
「1発は正面の樹の中、もう2発はあの根本のケンタウロスだ」
「ケンタウロスには当たるかわからないよ……」
「そっちは威嚇が目的だ。当たらなかったらあとで処理すればいい」
ルナが頷いて同意する。
「とにかくいまは安全に橋を渡りきるのが重要だからね」
「そういうことだ」
「わかった。じゃあやってみる」
クララが意気込んで両手に拳を作った。
「クララが撃ったら、俺、クララ、ルナの順で橋を渡るぞ」
アッシュは両手に持った剣を握りなおしながら、すり足で少し前に出る。
「よし、頼む」
合図を送ったのち、クララが右手を突き出したかと思うや、不安な顔で訊いてくる。
「樹、燃えないかな?」
「大丈夫だろ。仮に燃えたら燃えたでべつの道を考えるだけだ」
これまで緑がたくさんある中で《フレイムバースト》を撃ってもいっさい燃え広がることはなかったのだ。いまさら心配する必要はない。
クララが《フレイムバースト》のストックに入った。1つ、2つ。そして最後の3つ目の魔法陣が描かれたとき、それらから大きな火球が飛び出した。猛烈な速度で指定どおりの場所へと向かっていく。
「走れっ!」
アッシュは立ち上がって駆け出した。
クララ、ルナもあとを追ってくる。
間もなく、《フレイムバースト》が着弾し、地鳴りのような音が響き渡った。視界の大半が赤く塗りつぶされる。なんとも凄惨な光景だ。
「やっぱり馬のほうは外れたかもっ」
「いや、爆風で吹っ飛んでた! たぶんやれてる!」
たしかに直撃はしていなかったが、凄まじい風圧に叩かれていた。ケンタウロスは機動力こそ高いが、耐久力は低い。おそらく倒しきれているだろう。
話している間にも橋の半分を越えていた。
3箇所で煙が晴れていく。
正面の樹の中にエントは見当たらない。さすがにあの狭い空間で受ければひとたまりもなかったか。根本のケンタウロスもやはり倒しきったようで姿を確認できなかった。
これなら無事に橋を渡りきれそうだ。
そう思ったとき、根本の左側から影が飛びだしてきた。ケンタウロスだ。しかし、その手に持っているのは剣でも弓でもない。大きなリングを幾つも飾りつけた杖だ。
「魔術師型かっ!」
ルナがすかさず矢を放って仕留めるが、逆側の根本からも魔術師型が飛び出てきた。アッシュは叫ぶ。
「もう1体いるぞ!」
ルナがまたも即座に射殺すが、すでに杖が振られていた。緑色の風が敵のそばから出現し、橋に向かってくる。8等級の魔法テンペストか。いや、そこまでの威力はないように見える。だが、人を吹き飛ばすほどの勢いは充分に秘めている。
アッシュはクララとともに渡りきった。
矢を射ていたこともあり、ルナは少し遅れている。
「急げ、ルナ!」
ルナが飛び込んできた。
アッシュはルナを抱き止め、後ろに倒れ込む。
ほぼ同時、緑の風が橋を呑み込んだ。渦巻くような動きで周囲に猛烈な風を飛ばしながら、たっぷりと時間をかけて通り過ぎていく。
テンペストほどではなかったが、相当な威力だった。当たれば吹き飛ばされる程度かと思ったが、実際はそれだけでは済まないだろう。
アッシュは身を起こし、腕で抱いたルナの様子を確認する。
「無事か?」
「う、うん。ありがとう……」
ルナは目を合わせずに答えたのち、そそくさと離れる。
どうしたのかと思ったが、ほんのりと染まった頬を見て納得した。普段は自分からくっついてくるくせに相変わらずこういった突発的な接触には弱いらしい。
「ねね、見てみて。大樹伝いに橋が続いてるみたい」
外へと続く場所がほかにあったようだ。
クララがそこから少し興奮気味に外の様子を見ている。
アッシュは立ち上がり、ルナとともにクララのところへ向かう。
いましがた川を渡ったような橋が、大樹伝いに幾つもかかっている。橋の長さや形はさまざまで垂れているものもあれば波打っているものもあった。
下には多くのケンタウロスが警邏でもするようにうろついている。橋のかかった樹に上がりなおすことはできるようだが、できるだけ落ちずに進みたいところだ。
橋の先を追っていくと、見覚えのある門を見つけた。
「あれって出口の門だよな」
「ど、どれ……?」
「あそこだあそこ」
指し示してみるが、クララにはわからないようだった。ただ、諦めきれないようで彼女の目はどんどん細くなっていく。一方、ルナには見えていたようだ。
「うん、出口の門だね」
「……2人とも目、良すぎじゃない?」
「マリハバは狩猟民族ばかりだから元々目がいいんだ。アッシュは……まあ、変人だし」
たしかに身体能力は高いほうだと思うが、変人扱いはいかがなものか。そう思っていると、クララが「なるほど」と納得していた。……どうやら変人で間違いないらしい。
「緑の51階――出口から3本目の樹の上……」
ルナが遠くを見ながらそう呟くと、樹を指差しながら数えはじめた。
「モルバ三兄弟の次男がいる場所だったか」
「うん。その情報どおりなら、あそこの樹の上だね」
「ほかの樹より太いし、枝葉も多いな」
いかにも上で戦える場所があるといった感じだ。
「ここから4本渡ったところか……ついでだ。倒していこうぜ」





