◆第九話『緑の塔・6等級階層』
「黒の6等級も異色だったけど、ここも相当だね……」
「ジメジメしててちょっと苦手かも……」
緑の塔51階は密林地帯となっていた。
どこを見ても映り込むほど散在する多くの大樹。見上げればたくさんの枝葉が重なり合い、樹冠を作り上げている。まるで天然の屋根だ。
ただ、そのせいか射し込む陽光は少なく、足場は湿気ていた。歩けないほどではないが、長居すればそれだけ足に負担がかかりそうだ。
アッシュは地面から隆起した大樹の根をまたいだあと、振り返って忠告する。
「クララ、こけないように気をつけろよー」
「もうアッシュくん、心配しすぎ。このぐらい大丈夫だよ――って、うわぁっ」
根をまたいだはいいが、軸にした足をすべらせたようだ。前のめりに倒れてきたところをアッシュは片腕で抱き止める。
「心配してよかったろ」
「うぅ……ありがと」
よほど恥ずかしかったのか。
顔を赤くしてクララは離れた。
「アッシュ、後ろ!」
ルナが切羽詰った声をあげながら弓を構えた。
射線はこちらの頭上に向けられている。
アッシュは背後を窺うのではなく、クララを抱きかかえて身を投げた。直後、どんと鈍い音が聞こえてくる。
振り向いた先、手足を持った樹の魔物――エントが立っていた。全長はこちらの3倍ほど。頭部らしき場所には人の目と口のような穴が開いている。
エントは地面に片手を突きつけた状態だった。先ほど繰り出した攻撃が空振ったためだろう。そこにルナの炎を纏った矢が3本刺さる。
エントがもがき苦しみながら後退する中、クララが動揺の声をあげる。
「ど、どこにいたの!?」
「こいつは大樹の一部として擬態するのが得意なんだ」
アッシュは立ち上がって両手に短剣を構える。先ほどのジン戦とは違って左手にソードブレイカー。右手に赤属性のダガーだ。
「弱点は穴が開いてる目と口だ!」
そう叫びながら駆け出した。敵がこちらに向かって左手を伸ばしてくる。少し距離はあったが、敵の手――枝が一気に伸びた。5本の枝がうねりながら迫りくる。
2本の短剣を振っていなし、斬りきざんで凌ぎきると、一気に敵に肉迫。飛びかかるようにして敵の口へとダガーを刺し込んだ。
ちょうど敵の目にもルナの矢が1本ずつ突き刺さる。エントが低い慟哭をあげ、ずしんと重い音を鳴らして背中から倒れた。
「追加できてるぞ!」
アッシュはすぐさま視線を巡らせたとき、ルナの左方からのそりのそりと迫る1体のエントを見つけた。ルナがエントから少し離れたのち、すぐさま射撃体勢に入る。
「ルナ、もっと距離をとれ! まだ範囲内だ!」
「えっ」
ルナが驚愕する中、エントが右足を地面に叩きつけた。その足先からルナに向かって猛烈な速度で地面が隆起していく。やがてルナを突き上げるように一気に地面が盛り上がると、根が飛び出した。
ルナは弾かれるようにして上空へ投げ出されるが、中空で1本の矢を射た。無理な体勢だったこともあり、彼女は地面に転がる形で着地する。ほぼ同時、エントに矢が命中するが、鼻の辺りで致命傷とはいかなかった。
移動速度こそ遅いが、遠距離攻撃も可能にする伸縮自在の体。エントが厄介なところだ。ただ、地面に根を伸ばす攻撃は厄介だが、その場に固定される。
「クララ、撃て!」
すでに準備していたのだろう。
クララによる《フレイムバースト》がエントに命中。凄まじい爆発を引き起こした。緑の光景には不釣合いな赤が視界を埋め尽くす。燃えないように特別な処置でもされているのか。周囲の草葉にはやはり引火しなかった。
やがて火炎が引くと、そこにエントの姿はなかった。代わりに残っていたジュリーを食べに3匹のガマルたちがぴょこぴょこと跳びはねながら向かう。
「ルナ、無事か?」
「大丈夫、かすり傷程度だよ」
ルナが防具についた土を払いながら立ち上がる。
やせ我慢ではなく、本当に大した傷はないようだ。
ただ、彼女の顔は険しいままだった。
「あんな攻撃もあるなんて……厄介だね」
「ただ、エントが地面に根を伸ばしたらその場に固定された証拠だ」
そばでクララが右掌を突き出して魔法を撃つポーズをとる。
「じゃあ、そのときに攻撃すれば確実に当たるってことだね」
「ああ、ぶちかましてやれ」
そう口にしたとき、どこからか足音が聞こえてきた。人のものでも、巨獣のものでもない。これは……馬の足音。
少し先の大樹から影が飛び出した。
その姿を見たクララが声をあげる。
「う、馬人間っ!」
一見して馬の姿だが、その首から先は人の上半身で構成されている。逞しい男の肉体だ。両手で1本の長槍を構え、こちらへと一直線に向かってくる。
あれほどの速度が乗った一撃を受けるのは得策ではない。アッシュは肉迫寸前に真横に転がって回避を選択した。舌打ちをしながら通り過ぎた敵の背中を見やる。
「今度はケンタウロスかよっ」
大樹や草葉が入り組んだ地形だというのに、敵の移動に淀みはいっさいない。
ルナが矢を放つが、敵はあっさりと槍で弾いてしまう。クララも《フレイムバースト》を撃つが、敵は即座に進路を変えて爆風すらも凌いでみせた。むきになったクララが《フレイムピラー》を放つが、それでも当たらない。
「もう、当たってよーっ!」
クララの苛立つ声が密林に響く中、敵が反転して再びこちらに向かってくる。アッシュは試しに赤の斬撃を放ってみるが、やはり当たってはくれなかった。こうなれば接近戦で仕留めるしかない。
敵が上方から突き出してきた槍。その下をかいくぐる形でアッシュは身を低くしつつ右斜め前方へと駆けた。左肩を敵の槍が掠めていく中、ソードブレイカーで敵の左足を斬り裂いた。
思ったよりも浅い。だが、麻痺が効いたか、敵が体勢を崩して不恰好に倒れていく。
アッシュは麻痺の効果が切れる前に追撃をしかける。敵が槍で反撃をしてくるが、赤の斬撃を放って弾いた。無防備になったその顔面へとダガーを突き刺し、さらに首を飛ばす。
そこまでして敵がようやく消滅をはじめたとき、どこからか矢を射た音がした。ルナのものではなく荒々しい音だ。
アッシュは前方に飛び、転がったのちに跳ね起きた。先ほどまで立っていた場所に2本の矢が刺さっている。緑の属性が宿っているのか、土を軽く巻き上げるように小さな風が起こった。
矢の飛んできた軌道を辿ると、2体のケンタウロスを見つけた。どちらもその手には木造の弓を持っている。試練の間でケンタウロスと戦ったことはあるが、剣タイプだけだ。弓タイプは初めて見た。
「まあ、ここの魔物が普通なわけないよな……って」
そこかしこの大樹が蠢いた。エントたちがめきめきと音をたてて幹から剥がれ、その姿をあらわにする。合計3体。さらに足音が聞こえたかと思うや、ケンタウロスのファイタータイプ2体が遠くからこちらに向かってきていた。
「なかなか歯ごたえのありそうな構成じゃねえか」
アッシュは目を瞬かせたのち、口の端を吊り上げた。装備を強化すればどうとでもなる階層が続いていたが……今回はなんとも戦い甲斐がありそうだ。ひとり敵中へと向かいながら叫ぶ。
「俺が敵の注意を引く! その間にクララはエントを沈めてくれ! ルナはアーチャーを牽制しつつ全体のフォローを頼む!」
「わ、わかったっ」
「了解っ」





