◆第八話『緑の塔50階・ジン戦』
最奥の空間にもうもうとたちこめていた白煙が一気に収縮していく。やがてその輪郭がなめらかな曲線を描いたとき、白煙は足のない人型へと変貌した。
頭はつるつる。髭を生やした自信家な中年男といった顔立ち。肉体は力自慢の挑戦者にも負けないほど筋骨隆々としている。
緑の塔50階の主。
ジンだ。
敵は筋肉を見せつけるように力こぶを作りながら、にかっと満面の笑みを向けてくる。
クララが片足を下げ、いやそうに顔を歪める。
「あれ、前も思ったけど意味あるの?」
「さぁな。自慢の筋肉を見て欲しいんじゃないか」
「煙なのに筋肉……」
クララの疑問はもっともだ。
ただ、敵は構うことなくポーズを変えて筋肉を強調してくる。こちらが仕掛けるまでずっと続けるつもりらしい。
アッシュは短剣を2本抜く。今回はスティレットは左手に持ち、右手にはべつのものを持った。赤の属性石を6個装着した標準的なダガーだ。
一応、ソードブレイカーも持ってきてはいる。だが、前回ジンに挑んだ際、役に立たないことがいやというほどわかった。おそらく今回使うことはないだろう。
「さすがに鬱陶しくなってきたし、そろそろ始めるとするか」
「了解っ」
応じたルナがすぐさま矢を射た。6等級の武器に上がったことで属性石を1つ多めに装着しているからか。纏う炎の勢いはこれまでよりも強い。
敵は腕で自身の体を抱くと捻るように恐ろしい速度で横回転。その身を竜巻へと変化させた。乱れる風にルナの矢が衝突するが、あっけなく弾かれてしまう。前回、散々思い知らされたが、竜巻の状態時は無敵だ。
竜巻の勢いが緩まると、再び敵がその姿を現した。矢をあっさり弾いたからか、勝ち誇ったように低い声で哄笑する。
「苛立たせるのが上手い奴だなっ」
アッシュは敵に向かって駆け出した。
視界の中、敵が人差し指をたて、その先に火の粉を生成。「ボゥ」と息を吹きかけて指先から火の粉を飛ばした。火の粉は瞬く間に人間大まで巨大化し、こちらに向かってくる。
「緑の塔だってのに炎って……相変わらずめちゃくちゃな奴だなっ!」
スティレットを振って襲いくる火球を斬撃で切り裂く。
ジンの主な攻撃は魔法だ。今回、スティレットを左手に持っているのも、それらを迎撃するためだった。
続けて火球が3回向かってくる。それらを迎撃したときには敵との距離がかなり詰まっていた。あと少しで肉迫できる――。
敵が火の粉を吸い込んだ。さらに腹いっぱいに空気を取り込むと、勢いよく顔を突き出してきた。吐き出されたのは竜顔負けの火炎。
アッシュはとっさにスティレットを振り、光のカーテンで自身を囲んだ。周囲が火炎で埋め尽くされ、ほとんどなにも見えない。
レリックがなければ、おそらく近接は青の属性石で防具を強化しなければまともにやりあえないだろう。本当にレリックさまさまだ。
火炎の勢いが弱まりはじめる。
ジンに攻撃できる機会は限られる。
それは火炎を吐いた直後だ。
「クララ、ルナ!」
アッシュは後衛2人に呼びかけながら、前へと踏み出した。いまだ火炎がかすかに残っているが気にしない。多少の熱に体を焼かれたのも一瞬。火炎が晴れ、敵の姿が映り込んだ。
火炎を吐いて満足気味の敵。その裏手へと素早く回り込み、赤の属性石で強化したダガーで背中を斬り裂いた。尻から左肩につけた斬り傷。今度は右肩から刻み、交差させた。煙とあって傷痕は瞬く間に治っていくが、たしかな手応えがあった。
ジンが呻き声をあげながら振動する。おそらく正面からルナの矢を受けているのだろう。ドスドスと重々しい音が幾つも響いてくる。
「アッシュくん!」
クララの声が聞こえ、アッシュは一目散にその場から離れた。肩越しに振り返ると、巨大な火球が敵へと向かっていた。昨日、購入したばかりの《フレイムバースト》だ。見た目こそ赤の1等級魔法、《ファイアーボール》と酷似しているが――。
その火球が敵に接触した瞬間、腹に響くほどの凄まじい轟音とともに火球が破裂。敵を呑み込み、さらに広範囲に渡って火炎を飛び散らした。
6等級の腕輪で魔石分の1個を除いて、あとは属性石を5つ。確定でできる最大強化分だが……なんて凄まじい威力だろうか。これでまだ強化できる余地があるというのだから恐ろしい。
やがて火炎が収まると、敵はぐったりとしていた。先ほどまでの自信に満ちあふれた顔を消し、怒りをあらわにしていた。さらに白に染まったその身も黒へと変色する。敵の攻撃パターンが変化した証拠だ。
「え、もう!?」
「来るぞ! 走れ!」
黒色に変化するまでかなりの時間を要した前回とは段違いの早さだ。間違いなく全員の火力が大幅に上がったからだろう。
敵が竜巻となって中央に移動すると、その身と同様の竜巻を四隅に放った。次はその間を埋める形でまた四方に放ってくる。
全力疾走を余儀なくされたが、どちらも事前に知っていた攻撃とあって危なげなく回避できた。クララ、ルナたちも無事に避けられたようだ。
敵が竜巻の状態を解くと、両手にひとつずつ作った火の粉を口の中に放り込んだ。腹いっぱいに溜め込んだ空気を火炎にして、もっとも近いこちらに吐き出してくる。
アッシュは全力で反時計回りに走るが、火炎が後ろから追ってくる。敵が火炎を噴出させながら体を回転させているのだ。アッシュは背中がひりつくような熱さに見舞われる中、なおも走り続ける。
「まだ攻撃はするなよ!」
この段階でも攻撃はできるが、敵は一瞬にして竜巻に変化してしまう。火炎がすべて吐き終えたあとなら竜巻への変化が遅れるので、より多くの攻撃を加えられる。前回での戦闘で得た情報だ。
敵が火炎を吐き終えると、疲れたようなしぐさを見せた。
「いまだっ!」
アッシュはダガーで斬り刻み、ルナは無数の矢を浴びせ――最後にクララが《フレイムバースト》を撃ち込んだ。
敵もたまらずよろめいていたが、消滅には至っていない。まるで最後の力を振り絞るように体をひねり、またも竜巻となる。
「さすがにまだか……っ」
「けど、いい調子だ! このまま気を抜かずに行くぞ!」
前回はこの段階に至るまでにかなりの時間を要し、損耗がひどかったために撤退を余儀なくされたが……今回は疲労も損傷もほとんどない。
敵による竜巻攻撃に続いて火炎攻撃。
それらを全力で駆けて回避する。
敵は見るからに死に体だ。
おそらく次に攻撃を加えれば仕留められる。
そう思いながら、これまでどおり火炎後に攻撃をしかけようとしたところ、敵が竜巻となり上空へと舞い上がった。瞬く間に天井を覆うほどの雲となり、ごろごろと音をたてる。
いやな予感がしてならなかった。
アッシュはとっさにクララとルナを視界に入れる。距離は離れているが、そう遠くない。すぐさま彼女たちの上空目掛けてスティレットを振るい、光のカーテンを敷いた。ほぼ同時、上空で閃光が走る。
読みどおり降ってきたのは落雷のような光だった。全身に凄まじい衝撃とともに痺れが襲いくる。アッシュは思わず片膝をついてしまう。
予想外の攻撃にさらされ、してやられたが……悪いことばかりではない。
光のカーテンが機能したようだ。
クララとルナの無事な姿を確認できた。
「やれ――ッ!」
彼女たちがこちらを心配しないようにとアッシュは力の限り叫んだ。それが功を奏したか。ルナの矢が勝ち誇ったようににんまりと笑う敵の腹に2本。さらに胸元に2本、額に1本が突き刺さった。敵はよろめくが、まだ消滅しない。
だが、敵には確実に消滅のときが近づいていた。
クララの《フレイムバースト》が接触と同時、発光。轟くような音を鳴らし、敵を中心に一気に膨れ上がった。何度見ても凄まじい光景だ。
やがて熱をともなった風が止み、《フレイムバースト》の炎も消え去る。と、そこにはもうジンの姿はなかった。代わりに大量のジュリーとともに幾つかの属性石が落ちている。
「アッシュくん!」「アッシュっ!」
クララとルナが駆け寄ってくる。
アッシュは立ち上がろうとしたところ、上手くいかずによろめいてしまう。だが、ルナが抱きかかえてくれたおかげで倒れずに済んだ。
「すぐにヒールかけるね」
クララが慌てて杖をかざしてくる。
「悪いな」
「ううん、あたしたちを庇ってくれたからだもん」
クララがヒールをかけてくれるが、なかなか痛みが引かなかった。どうやら敵の最後の攻撃は相当な威力だったようだ。もう一撃食らっていたらどうなっていたことか。
「っつう、まだ痺れるな。にしてもあんな攻撃残してたなんてな……初見殺しにもほどがあるだろ」
「でも、死ななかった。アッシュの判断のおかげだね」
「俺ひとりが助かるより、火力的に2人が助かるほうが確率的に敵を倒しきる可能性は高いと思ってさ。ま、上手くいったみたいでよかった」
話しているうちに痛みが引いた。
アッシュは立ち上がり、軽く体を動かしてみる。
軽い痛みは残っているが、戦闘には支障がない
「もう大丈夫だ。2人ともありがとな」
武器をしまいながら、光射す出口のほうを見やる。
「時間もたっぷりあるし、覗きに行くか」
「前回の黒の51階を覗いたときとは違って、今回は6等級の武器を揃えた状態だからね。突破も視野に入れていいかも」
「うんうん、この際だし突破しちゃおうっ」
ルナの意見にクララが元気に賛成する。
「お、珍しくやる気だな」
「あたしだって、そういう日もあるよ」
「本音は?」
「《フレイムバースト》、撃つのちょっと楽しいなって……」
あれほどの凄まじい威力だ。爽快感を覚えるのも無理はないかもしれないが、敵の間近で戦う近接としては手放しには喜べなかった。
「あれ、範囲広いから注意してくれよ」
「大丈夫大丈夫。ちゃんとアッシュくんの位置見て撃つからっ」
クララが明るい声で言うと、余計に不安が募った。
――敵だけでなく、クララの動きにも注意しながら戦おう。
アッシュはそう心に留めながら上階へと足を向けた。





