◆第十二話『先輩と雑貨屋』
「ほんっと信じられない!」
陽が落ちはじめ、辺りの建物群に赤みが差した頃。
ひと気のない路地に入るなり、前を歩いていたクララが声をあげた。
塔を離れてから無言の間が続いていたが、ついに我慢できなくなったようだ。
くるりと振り返り、彼女は詰め寄ってくる。
「あたしの問題だよ!? アッシュくん関係ないじゃん! なのに、なんであんな馬鹿な約束しちゃうの……!」
「関係なくないだろ」
「関係ないでしょ!」
思った以上に声が出てしまったからか、クララははっとなっていた。
「……ごめん」
一転して勢いを失くした彼女へと、アッシュは気にせず声をかける。
「同じ宿で寝泊りしてる」
「おっきな宿に泊まってる人はみんな友達?」
「道を尋ねたり、肩がぶつかって謝ったりなんて一度きりの関係じゃない。昨日今日と少なくない会話を交わしてる」
説得を試みても、クララは納得いかないといった様子で口を尖らせるばかりだ。
アッシュは嘆息しつつ、少し意地の悪い言葉を吐いてみる。
「どうやら友人だと思ってたのは俺だけみたいだな」
「うっ、そう思ってくれるのは嬉しいけど……たとえ友人でも、あんな無茶な約束するのはやっぱりおかしいよ」
クララはきっと優しい人間だ。
結局のところ友人かどうかなんて関係なく、ただ誰かを巻き込みたくないだけだろう。
「たしかに出しゃばり過ぎたかもな。けど、俺はクララに借りがある」
「借りって……あたし、なにもしてないよ」
首を傾げるクララに、アッシュは自分の右手を見せつける。
「俺の右手、治してくれただろ」
「そんなことで……」
「〝そんなこと〟じゃない。おかげで今日は塔を満喫できたからな」
感謝してもしきれない。
そんな想いを伝えてみたが、いまいち効果は薄いようだ。
いまだ俯いたままの彼女に明るく話しかける。
「ま、いずれは俺も10階越さないといけないんだ。遅かれ早かれって奴だよ」
「早いにもほどがあるよっ」
そう突っ込んでくると、さらに言葉を飛ばしてくる。
「わかってるの? すぐに10階に挑戦できるわけじゃないんだよ? ていうか、そもそも2人で10階まで辿りつけるかどうか……」
うぅ~と唸りながら、ついには頭を抱えて屈んでしまう。
「うぁ~ん、もぅ~っ! どうしたらいいのーっ」
「おい、悩んでるとこ悪いが、俺もう10階まで昇ったぞ」
「こうなったらあたしから謝って、ダリオンに賭けをなかったことにしてもらうしか――って、え……? いま、なんて?」
「ひとまず希望は捨てるなってことだ」
にっと笑いながら、アッシュはそう告げた。
クララが目をぱちくりとさせ、ゆっくり立ち上がる。
「嘘でしょ? もう10階って……」
「信じられないなら管理人に訊いてくればいい」
「8階はどうしたの? あそこ、敵の数すごかったでしょ。とてもひとりで乗り切れるとは思えないんだけど」
「あ~、あそこは面倒になって駆け抜けた。よく見たら弓がいなかったからな」
「処理はどうやって……?」
「最奥の広間にちょうど火噴き床があったから、あれで焼いてやった」
意図してかはわからないが、塔にはのぼれる場所が多い。
おかげでからめ手をよく使う身として大いに助かった。
「めちゃくちゃだよ。なかったらどうしてたの?」
「そんときゃ狭い通路にでもおびき寄せて少しずつ倒すだけだ。面倒だけどな」
「アッシュくんって……もしかしてすごい?」
「さぁな。ただ、魔物を相手にした数なら自信はあるぜ」
なにしろ物心がつく前から父親に連れられて世界各地の試練の塔を回っていたのだ。
経験だけ言えば生半可な戦士よりも上な自信はある。
「も、もしかしていますぐにでもいけちゃったり……!?」
「あ~、それは無理だ。武器がない」
「……はい?」
希望に満ちた顔をしたかと思えば、今度は絶望したような顔。
ころころと表情が変わってなんとも忙しい子だ。
アッシュは両の掌を広げて、なにもないことを見せる。
「だから武器がないんだよ。持ってきた短剣2本とも10階の主に折られちまった」
「そ、そうなんだ……でも、それはしかたないかも」
「しかたないって、どういうことだ?」
そう訊ねると、呆れたようにため息をつかれてしまった。
「あのね、ジュラル島の魔物って物凄く硬くて、外で造られた武器じゃ本来は歯が立たないの」
「でも、9階までは昇れたぜ?」
「それがおかしいのっ」
怒られてしまった。
新鮮な気持ちで塔を楽しむため、ミルマからの説明を最低限に留めたツケが来たようだ。
「でも、だったらほかの挑戦者はどうしてるんだ?」
「通貨とは別に、剣の絵が描かれた宝石拾ってない?」
「あぁ、これのことか?」
ポーチから絵付きの宝石を取り出し、掌に乗せて差し出した。
「これ、交換石って言ってね。中央広場の交換屋で指定の装備と交換できるの」
「それなら10階の主が相手でも折れないのか?」
「うん、たぶん」
たぶんという辺り使い方次第では折れるのだろう。
いずれにせよ、高い強度を持っていることは間違いなさそうだ。
「普通はね、交換石を入手したら一度撤退して。中央広場で武器を交換してもらってからまた挑戦するんだよ」
「それだけ俺の武器が最高だったってことだ」
「でも折れちゃったら意味ないよね」
容赦ない一言にぐうの音も出せなかった。
クララがくすりと笑う。
「とりあえず明日の朝はアッシュくんの武器交換だね」
「お、ようやくやる気になったか?」
「そういうわけじゃっ! ……ただ、アッシュくんまで島を追い出されるわけにはいかないから、なんとしてでも10階を越さないとって……」
自分のためではなく他人のためとは本当に優しい子だ。
「ま、そう気負うなって。これからは1人じゃないんだからな」
「……アッシュくん」
少しは気持ちが楽になったのか、クララがほっとしたように笑みを零した。
「そんじゃ明日からよろしく頼むぜ、先輩」
「う、うん……っ!」
◆◆◆◆◆
翌朝。
アッシュはクララとともに中央広場へとやってきた。
「朝だってのにすごいな……」
陽が昇って間もないにもかかわらず、すでに人とミルマで一杯だ。
思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
「みんな昇る前に広場で準備していくからね。徹夜組もいたりするから、なんとも言えないけど」
クララの言うとおり見るからにひと狩り終えた感じの挑戦者たちが大量の飯をかき込んでいる姿も見られた。以前、レオと一杯飲んだ店だ。
「にしても……ほんとなんでも売ってるよな」
通りの脇にぎっしりと並ぶ多彩な屋根つき露店。
それらの販売品は大国の通りで見かける市場とそう変わらない。
食料から日用雑貨までなんでもありだ。
「沢山のミルマが暮らしてるからかも。おかげで不自由はしないかな」
「まさに夢の国だな」
もっとも島の住人はミルマ以外、いかつい筋肉男が大半なので子どもが訪れても逃げること間違いなしだが。
「おーい、そこのお二人さーん。うちも見てってよー」
ふと威勢の良い声が飛んできた。
近くの露店からミルマが顔を覗かせ、手を振っている。
クララと顔を見合わせたあと、そのミルマの店へと向かう。
「お、見たことない顔だね。新人さんかな?」
「ああ、来たばっかりなんだ」
「ここは雑貨屋だ。塔昇りに役立つものを沢山揃えてるからぜひ見てってくれ」
敷き詰められた大小様々な箱に商品は収められていた。
液体や粒入りの小瓶、瞳程度の小さな宝石。
角ばった石や黒ずんだ巾着等など。
形状も色もまったくといっていいほどまとまりがない。
「へぇ~、色々あるんだな」
気になるものをひとつ手に取った。
ネックレスで先端に変わった形状の小笛がついている。
「これは?」
「噛笛だ。低層に限るけど、周囲の魔物を自分に引きつけることができる。手前に突き出してる平たい管があるだろ。それを噛むようにして吹けば音が鳴るんだ」
ミルマの説明を聞きながら平たい管をまじまじと見る。
「おっと口はつけるなよ。もちろん買うつもりがあるなら話は別だが」
「ちなみに幾らなんだ?」
「3千ジュリーだ」
価格がわかったところで通貨の価値がわからなかった。
それに気づいたか、クララが説明してくれる。
「青が1で赤が10、緑が100、銀が1,000。そして金が10,000だよ」
「青以外見たことないんだが……てか数えるのが面倒そうだ」
「それなら心配ないよ。ガマルの前足を同時に握ってみて。入ってるジュリーがお腹に表示されるから」
太腿にしがみついていたガマルをぐにっと掴み取り、言われた通りにその前足を両手で握ってみる。と、ガマルの白い腹に「563」と赤色の数字がすぅっと浮かび上がった。
「へぇ、こりゃ便利だな。えーと、563ジュリーだ」
「すごいっ。1日でそれはかなり多いよ」
「けど、全然足りないな」
ガマルが後ろ足をブランブランさせながら「グゲェッ」と声をあげた。早く下ろせと言っているのかはわからないが、とりあえず解放することにした。
「ま、高いから新人が無理して買う必要はないさ」
ミルマは落ち込むどころか、目を輝かせながらほかの商品を見せつけてくる。
「それより! この<活力の秘薬>なんてどうだ? わずかだが魔力を回復できるぞ! そうそう、<妖精の眠り粉>なんてものもあるぞ。これを飲めば近くに魔物がいてもぐっすり眠れるんだ!」
「あ~……塔で仮眠するのに最適な道具だな」
「だろー! あとあとっ、灼熱地獄も余裕の<マスピンの涼水>に、凍死とおさらば<ドロピンの温水>も揃えてあるぞ!」
「色々紹介してもらって悪いんだが――」
「備えあれば憂いなし!」
ぐいぐい来る。
普段なら1、2点は購入したかもしれないが、いまはそうもいかない。
「まだ来たばっかで家賃も払えてないんだ。余裕ができたら考えさせてくれ」
「そうか~。それなら仕方ない」
「今度はあっさり引くんだな」
「お客さんが定住したほうが稼ぎは増えるからな」
言って、ミルマはにやりと笑う。
神の使いとあって不自由のない生活をしているかと思ったが、どうやら彼女たちも生きるのに必死らしい。……資金が貯まり次第、また来るとしよう。
雑貨屋をあとにすると、クララが複雑な顔で話しかけてきた。
「アッシュくん、すごいね。あたしなんて最初に色々買わされちゃったよ……」
「小さい頃から自分でやりくりしてたからな」
――どんなに飢えていても食事は自分で用意しろ。
それが一緒に旅をしていた父親の方針だ。
おかげで動物の狩りだけでなく、商人との交渉も慣れたものだった。
「アッシュさ~~んっ!」
懐かしい記憶を思い出していると、覚えのある声が後ろから聞こえてきた。
振り返った先、小柄なミルマ――ウルが手を振りながら走ってくるのが見えた。





