◆第一話『豚男と黄金都市』
「ブヒィイイイッ!!」
エールの入ったカップを片手に酔っ払いの中年男が足下に転がる。騒がしいことこのうえないが、これがなければ《喚く大豚亭》に来たという感じがしない。
アッシュは酔っ払い男を淡々と扉に設置しなおしたのち、カウンターへと向かった。店員のミルマが溌剌とした顔で迎えてくれる。
「お、アッシュさんっすね。いつものでいいっすか?」
「ああ。頼む」
この店には何度も世話になっている。
そのおかげか、もう顔を覚えられていた。
アッシュはエールが入れられる間、カウンターに背を預けて待つ。
「よー、アッシュ。青の塔、何階まで行ったよ?」
近くのテーブルで飲んでいた禿頭の厳つい挑戦者から声をかけられた。彼もまた、この店の常連客だ。
「青ならもう50まで行ったぜ。あとは主を倒すだけだ」
「マジかよ、相変わらずはえーな」
「わかっちゃいたけど、もう追い抜かれちまったか」
彼と一緒に飲んでいたもうひとりの男が悔しそうに言った。彼らが揃って鬱憤を晴らすようにエールをがぶ飲みする中、「アッシュさん、お待ちっす!」と後ろからミルマの声が飛んできた。
少し零れそうになった泡を吸いつつ、カップを受け取る。
「もしかしてレオの奴、まだ来てないのか?」
「あ、今日はいつものとこが空いてなかったんで、あそこに座ってるっすよ」
いつもの角とは反対側――入口に近い側の角を指差した。そちらを見ると、レオが手を振っていた。相変わらず笑顔の絶えない男だ。
アッシュは汗臭い挑戦者の間を通り抜けたのち、レオの対面に座った。
「今日はまだ顔が赤くないな」
「実はさっき来たばかりでね」
「珍しく遅いな」
「久しぶりにがっつり狩ってたからね」
互いのカップを合わせたのち、ごくごくとエールを喉に流していく。喉が渇いていたこともあって体に染みこんでいくようだった。やはり狩り後のエールは最高だ。
「結局、どこの宿にしたんだい?」
カップを机に置くなり、レオが訊いてきた。
「南西の通りだ」
「ソレイユが多いところだね」
「うちにはクララとルナがいるからな。そのほうがいいと思ってさ」
ちなみに保管庫なしの1日300ジュリーの宿だ。本当は保管庫つきの宿にしたかったが、やはり残っている最安値が600ジュリーと高く、中長期的に見た場合、現状では払い続けるのが厳しかった。仕方なしの判断だ。
「紳士だね。でも、それだと男のアッシュくんが住みにくいんじゃないかい? なんだったら僕の部屋に来てもいいんだよ? 保管庫も3つあるしね」
「そっちのがよっぽど住みづらそうだし、なにより危険な気がしてならないな」
「残念だね。もっと深く知り合ういい機会だと思ったんだけど」
レオが目を細めながら言う。
本気か冗談かわからないところが本当に恐ろしい。
「それにしても災難だったね。ログハウスの件」
「色々タイミングが悪かったし……こればかりは仕方ない」
レオには、ログハウス購入を失敗したことについて話していた。
「でもクララくん、すごく落ち込んでたよね。大丈夫かい?」
「あいつが一番楽しみにしてたからな……」
すでに買われていたという話をされたあのあと、クララはショックでしばらくの間放心していた。自棄になってハニーミルクを飲みすぎてお腹を壊したぐらいだ。いまでは狩りができる程度には回復したが、顔には影がまだ残っている。
「くそっ、もう金が尽きそうだ……!」
ふと、近くの席から声が聞こえてきた。
そこでは2人組みの挑戦者が荒々しく酒を飲みながら話している。
「お前オーバーエンチャントやりすぎなんだよ」
「つったってやらねぇとまともに進めねぇんだから仕方ねぇだろ。あー。どっか楽に稼げるとこねぇかなー」
「黄金都市に行ってこいよ。そしたらきっとガマルも腹いっぱいになるぜ」
「おまえ……あの話信じてるのかよ」
「まさか。冗談に決まってんだろ。あんなの信じる奴なんているわけねーだろ」
だよな、と彼らは笑い合う。
べつに聞き耳をたてていたわけではないが、あまりに大声だったために鮮明に内容が聞こえてきた。その中で気になる単語を抜き出し、アッシュはレオに問いかける。
「黄金都市?」
「その場所にひとたび足を踏み入れれば一気にジュリーを稼げるっていう夢の場所さ」
「へぇ、そんな場所があるのか」
「彼らも言っていたとおり、あくまで噂だよ。一時期、島中に広がったんだけど、誰一人としてその場所に辿りついた者はいなかったし」
真実か偽りか。
どちらかは判断しかねるが、なんでもありの島だ。
あったほうが面白いな、と思ってエールを煽ったときだった。
「黄金都市は実在する!」
そんな声とともに、ひとりの男がそばに立った。
いきなりなんだと思ったが、その男の顔を見た瞬間、アッシュは目を見開いた。ぼさぼさの髪に豊かな髭。《喚く大豚亭》では誰よりも見慣れた顔――。
「あんたは入口の豚男……」
「ワシの名はクデロ・ブリンドー。豚男ではないっ!」
◆◆◆◆◆
アッシュは目をぱちくりとさせながら、豚男――クデロに確認する。
「あ~……門番はいいのか?」
「べつに好きでやってるわけではない」
クデロはかすかに眉根を寄せ、ついと視線をそらした。
「の割りにノリノリだったように見えたけどな」
「あ、あれにはやんごとなき理由があるのだ」
いったいどんな理由なのか。
まったくもって想像がつかない。
「それよりおぬしら、黄金都市の話をしておったな」
言って、クデロは話題を変えると、目つきを鋭くした。
「ああ、近くで話してる奴らがいてさ」
先ほどクデロが〝黄金都市は実在する〟と断言していたことを思い出して、慎重に言葉を選んで問いかける。
「噂だって話だけど、違うのか?」
「もちろんだ。あれは噂などではない。なにしろワシが実際に行ったんだからな」
クデロは得意気に胸を張った。
そんな彼を見ながら、レオが少し苦笑気味に言う。
「あの噂――じゃなくて、黄金都市の話を広めたのもクデロ氏なんだ」
レオは古参とあってか、どうやら当時のことを知っているようだった。
アッシュはクデロに気になっていたことを質問する。
「てことは黄金都市への行き方もわかるのか?」
「そ、それは……」
クデロが見るからにうろたえた。
「黄金都市への道は白の塔52階のとある場所に開かれたのだが……一度開いたきり、ずっと閉まったままだ」
「あ~、つまり発生条件がわからないってことか」
どうりで噂話で終わるわけだ。
アッシュはひとり納得していると、クデロがぐいと顔を寄せてきた。
「だが、本当だ! 黄金都市は本当に実在する!」
「べつに疑ってるわけじゃないって」
「嘘だ! これまでワシの話を信じた者は誰一人としていなかった! 半信半疑で探した者も中にはいたが、見つけられずに終わり……あげくの果てにはワシらを嘘つき者呼ばわりしたのだ! あんのクソどもめ! 思い出しただけで腹がたってきたわ!」
しまいにはドンっと机を叩くクデロ。
憤懣やるかたなしといった様子だ。
「おい、落ちつけって。これやるから」
カップを渡すと、クデロは遠慮なくぐびぐびとエールを飲んだ。「うぃ~」と声を漏らして、空になったカップを机に置く。どうやら落ちついたようだが、今度はじっとこちらを見つめてきた。
「おぬしがアッシュ・ブレイブだな」
「そうだけど……なんで知ってるんだ?」
「ふんっ、こんな場所に入り浸っていたらいやでも情報は耳に入ってくる。島に来て瞬く間に5等級に上がった期待の新人。それだけでなく、あのソレイユとレッドファングとも深い親交を築き上げた異例の存在だとな」
所々に持ち上げるような装飾がされているが、基本的に間違ってはいない。と、なぜか対面のレオが自分のことのように嬉しがっていた。
「さすが僕のアッシュくん。ああ、クデロ氏。そこにこう付け足しておいてくれないかな。アッシュ・ブレイブはレオ・グラントと一番仲がいいってね」
「不確定な情報は付け足さない主義だ」
「そんなっ!」
悲しみに打ちひしがれるレオ。
誤解を生みかねない情報とあって、こればかりはばっさり切ってくれたクデロに感謝だ。
「アッシュ、おぬしに頼みがある」
「まさか黄金都市の存在を証明しろって言わないよな」
「ふんっ、話が早くて助かる」
話の流れから予想はできたが、本当にそうくるとは。
「って言われてもな、どう発生させたかはわからないんだろ」
「ある程度までは掴めている。だが、おそらくあとひとつ……なにかが足りないのだ」
そこまで辿りついているならあとは自分だけで解決できるのでは、と思わなくもない。だが、それができないからこそ彼はこうして頼ってきたのだろう。
「話はわかった。ただ、現状じゃ俺があんたに協力する理由がない」
「報酬の話だな。その点はぬかりない。……先ほどログハウスの話をしていただろう」
言い終えると、クデロは懐からなにかを取り出し、机に置いた。
先が中指ほどもある、洒落た金属製の鍵だ。
「これは?」
「南東のログハウスの鍵だ。先日、購入したばかりでまだ使っていない」
「あんたが購入してたのか」
何十年も放置されていたログハウスだ。
あまりにタイミングが悪すぎるとは思っていたが、どうやら偶然ではなかったようだ。
「依頼をこなしてくれたなら、この鍵を譲ろう。もちろんタダでな」
「あんた、いつから俺に目をつけてた?」
「さてな」
「いい性格してるぜ」
「悪いな。だが、ワシにとって黄金都市の証明はなによりも重要なのだ」
クデロの異様なまでの執着。
なにやら深い事情がありそうだった。
なにはともあれ、してやられた感はあるが悪い依頼ではなかった。なにしろ果たせばログハウスがタダで手に入るのだ。クララの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「ひとまず仲間に確認をとってからでも構わないか? 明日にでも返事はできると思う」
「では明日の正午、噴水広場でどうだ? 詳細はそのときに話そう」
「了解だ」
話がまとまるなり、クデロはこちらに背を向けた。「色よい返事を待っている」と言い残して彼は普段の持ち場に戻ると、再び酒場に豚の鳴き声を届けはじめた。……どうやらまだ続けるらしい。
なぜあんなことをしているのか。
黄金都市よりもよっぽど気になる謎だ。





