◆第十三話『さよなら水着』
「アッシュ、どう? 追加で来てる?」
「いや、もう大丈夫みたいだ」
昨夜、ヴァネッサから教えてもらったレア種を討伐するため、アッシュは仲間とともに青の塔49階へとやってきていた。現在は5つ目の空洞に到達し、シレノスの排除を終えたところだ。
「了解。次の沸きが来るまでに急いで探さないとね」
「右手側にほかとは一箇所だけ違う岩がある……か」
壁一面が広いだけにぱっと見ではわかりにくい。
アッシュは入念にひとつずつ確認していると、「ん~」というクララの唸り声が聞こえてきた。なにやら彼女は前のめりになって眼前の岩を凝視している。
「ねね、これじゃない? ちょっと色が薄いし」
「たしかにほかとは違う感じだね」
少し離れたところで壁一面を見渡していたルナが言った。クララが「でしょでしょ」と興奮したように声をあげる。
アッシュは自らも近づいて確認してみた。
たしかに色合いがほかとは違う。
そこにあるのに、まるで存在していないかのような感じだ。
「ただ隠し通路って言っても塞がってるからな。破壊するのか?」
「単純に押してみるとかかも」
と、クララが手を置いた瞬間。
「うわぁっ」
手がすり抜け、どてんと前に倒れてしまった。
上半身が岩の中に入り、下半身だけが見えている状態だ。
ちなみにローブの裾がめくれ、可愛らしい淡紅色の下着がかすかに顔を出していた。下着を見られれば怒ったり、羞恥心に悶える女性がほとんどだが、あいにくと見られたことに気づいていないようだ。こけた痛みで「いたぁ~」と零すだけだった。
「ボクは見てるからね、アッシュ」
食い入るように見ていたわけではないが、ルナから悪戯っ子のような目を向けられてしまった。下手に反論すれば遊ばれるだけなので肩を竦めていなしておいた。
「なにこれー、すご~!」
先ほど痛がっていた姿はどこへやら。
クララが透ける岩を往復しながら感嘆していた。
「ここだけ幻影ってわけか」
「こういうタイプの隠し通路もあるんだね」
「にしても、これを戦闘中に見つける自信はないな」
たまたまかもしれないが、ヴァネッサたちはよく見つけたものだ。レア種の隠れ場所はいくら知っておいても損はない。今後はもっと注意して周囲を見る必要がありそうだ。
「とりあえず敵が沸く前にさっさと入るか」
透ける岩を抜けた先も洞窟といった造りの通路が続いていた。横幅があまりなく、2人並べば肩がぶつかるほど狭い。
アッシュはひとり先んじて進んでいく。
「戦う前に水着に着替えるって話だけど、もしかして水中で戦うのかな」
「だったらあたし泳げないからいやだなぁ……ね、アッシュくん、なにか知ってたり?」
彼女らの会話を他人事のように聞いていると、質問が飛んできた。
「なんとなくあいつじゃないかって思う奴はいるな」
防具を着たままでは不利になる魔物がいるとは考えにくいが、べつの意味で被害が大きくなる、という魔物なら思い当たるものがいた。
「とにかく部屋に近づいたら戦闘が始まる可能性もあるし、いまのうちに脱いでおくか」
ということで水着に着替えた。
すでに着込んでいたので一瞬だ。
「うぅ~、これで戦うのって違和感ありまくりだよ……」
クララが杖を抱きながら、恥ずかしそうにもじもじとしていた。
「ボクは案外平気かも」
ルナのほうはむしろ動きやすいとばかりに弓を構えては試射している。頼もしい限りだ。
アッシュは防具が抜けて緩くなったベルトを締めると、再び先行した。通路は短く、間もなくして箱型の広間に出た。横幅、奥行きはあるが、天井は跳躍すれば届く程度とかなり低い。
「なにもいないね」
辺りを見回しながら、ルナが言った。
途端、奥の地面から噴水のように液体が噴出しだした。それは円を描くように輪郭を作っていくと、ついには水色の液状生物となった。ぐにゃぐにゃと常に歪む肉体。体内の中心部には赤い光を放つ水晶が埋め込まれている。
「な、なにあれっ。うにょうにょして気持ち悪いぃ……」
「やっぱりスライムか……」
アッシュは思わず頭を抱えそうになった。
試練の塔で戦ったことがあるが……。
戦闘能力自体は大したことはないが、厄介な能力を持っているのだ。
突然、スライムが体をへこませたかと思うや、その場で跳躍。どしんと着地した。衝撃で飛び散った幾つもの粘液がこちらに向かってくる。
「避けろ!」
アッシュはそう叫びながら最小限の動きで回避する。すぐさま背後を確認したが、どうやら彼女たちも無事に躱せたようだ。ただ、安心する暇はない。
スライムの攻撃は止まない。
肉体から槍を模した形状の粘液を幾つも伸ばしては突いてくる。
試練の塔にいたスライムはもっと鈍重だったが、ここのはやはり違うようだ。あちこち跳び回って頻繁に位置を変える。そのたびに粘液が飛んでくるので厄介なことのこのうえない。おかげでなかなか接近できなかった。
「アッシュ、あれの特性は!?」
「防具破壊の能力持ちだ! あの粘液に触れるとたちまち防具が溶ける!」
「水着で戦うようにって、そういうことか……!」
ルナはすぐに理解したようだ。
苦労して集めた防具が問答無用で溶かされるのだから恐ろしいことこのうえない。その点、水着なら溶けてもわずかな出費で済む。
「え、ちょっと待って! それって水着もなんじゃ!?」
クララの悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
「たぶんな!」
「じゃ、じゃあ 裸になっちゃうじゃん!」
「それがいやなら絶対にあの粘液には当たるなよ!」
アッシュは敵の槍状粘液を躱しざま、スティレットを振って白の斬撃を放った。敵の肉体に衝突し、その粘液を散らす。赤い水晶が剥きだしになるが、粘液が収縮するようにして空いた穴をすぐに塞いでしまう。試練の塔よりも修復が格段に早い。
アッシュは舌打ちしつつ、敵の情報を叫ぶ。
「核はあの赤い水晶だ。あれを破壊すれば消滅する! ただ、再生に分裂なんでもありだから気をつけろ! ちなみに水っぽいが、奴は火に弱い!」
「じゃあ、一気に焼いちゃう!」
クララが《フレイムピラー》を連発しはじめた。スライムを追い詰めるように幾つもの炎柱があがる。触れた肉体がジュッと音をたてて蒸発したことで危機感を覚えたか、スライムが大きく後退する。
「いいぞ、その調子だ!」
勢いづいたクララが次の一撃を放ったとき、スライムが勢いよく天井に衝突した。その肉体を平べったくし、瞬く間に天井の多くを粘液で覆う。と、あちこちから粘液を垂らしだした。
逃げる場所がほとんどなかったため、アッシュはとっさに斬撃を放って頭上の粘液を吹き飛ばした。直後、後ろから悲鳴が聞こえてきた。
慌てて振り返った先、粘液がクララとルナの体に纏わりついていた。2人とも必死に粘液をはがそうともがいているが、手がからぶって思いどおりにいっていない。その間にも粘液が水着をどんどん溶かしていく。
「落ちつけ! それ自体に攻撃能力はない! すぐに体から離れる!」
「でも、水着溶けてるんだけど!」
防御面を弱体化させたところで先の槍型粘液で肉体を一突きする。それがスライムの戦法だ。危惧していたとおり、地上に戻ったスライムが2本の槍型粘液を体から伸ばしていた。アッシュはそれらをスティレットの斬撃で弾き飛ばした。
「大丈夫か!?」
「だ、大丈夫だからっ!」
「アッシュ、後ろ見るの禁止!」
振り向いて無事を確認した瞬間、責めるような声で叫ばれた。すでに2人とも全裸になっていたので無理もなかった。
戦闘中だというのに意識がそれかけたが、アッシュは意識を前方のスライムに集中させた。槍型粘液を迎撃しつつ、敵との距離を縮める。
粘液が多い状態では敵の核を剥きだしにしてもすぐに再生されてしまう。なら、粘液の総量を減らせばいいだけだ。
「クララ、あいつの体を半分に割るよう撃てるか!?」
「や、やってみる!」
恥ずかしさからか、少し震えた声が返ってきた。
「よくもあたしの水着をぉ~っ!」
恨みとともに放たれたクララの《フレイムピラー》が、5本も連なってスライムに襲いかかる。たまらず逃げたスライムだったが、その先が本命だったらしい。
十字に配置された魔法陣の中心にスライムが下り立った瞬間。一気に炎柱が噴出した。直撃を避けんとスライムが4つに分裂する。
「ははっ、上出来だ!」
分裂した4つのスライムのうち、核のあるものへとアッシュは斬撃を放った。液体が飛び散る。核が剥きだしになっても充分な粘液が足りないからか、修復はやはり遅い。
「ルナッ!」
すでに射られていた彼女の矢が核を撃ち抜いた。パリンと音とたてて四散する核。破片が地面に転がり消えたと同時、あちこちに飛び散ったスライムの肉体も土に染み込むように消えていった。
アッシュは敵の完全消滅を確認したのち、スティレットを収めた。
「やっぱジュラル島のスライムだけあって外のとは別物だな」
「アッシュくんだけずるい!」
後ろからクララが抗議してきた。
声からして口を尖らせているのがよくわかる。
振り向けば裸を見てしまうので背を向けたまま応じる。
「ずるいってなにがだ?」
「あたしたちだけ水着解けてるのにぃ……」
「クララ……そんなに男の全裸が見たいのか?」
「ち、違うよ!」
焦って否定するクララに変わって、今度はルナの声が聞こえてくる。
「でも、クララが言いたくなる気持ちもわかるよ。これはいつかアッシュにもお披露目してもらわないとね」
「そんなこと言ってると後ろ向くぞー」
「だ、だめだ! いまはだめ……ボクが悪かったから」
余裕ぶっていたかと思えばこれだ。
最近、ルナへの上手い対応がよくわかってきた気がする。
「ま、こればかりは経験の差ってことだ。2人とも、さっさと着替えてこいよ」
アッシュは手をひらひらと振りつつ、戦利品の確認に向かった。3匹のガマルが仲良くジュリーを食べる中、ほかのものが混ざっていないかを探す。
「お、青の魔石だ。ってことは《フロストウォール》か。反射が1つに属性石も2つ出てるな」
あとはジュリーがひとり5千。
少し狩れば目標額に届きそうだ。
普通に狩っていたら数日はかかりそうな額を一気に貯められた。
おまけに《フロストウォール》も得られたのは大きい。
貴重なレア種の居場所を教えてくれたヴァネッサに感謝だ。
ただ、彼女のことだからほかにも適当なレア種を知っていた可能性は高い。その中でスライムを選んだことには若干の悪意を感じるが。
なにはともあれ、これでようやくログハウスを購入できる。
――クララに居場所を作ってあげられる。
アッシュは戦利品を握りしめながら、かすかな微笑を浮かべた。





