◆第十一話『海の秘宝④』
「レオの言ってた岩礁ってこれだよな」
アッシュはラピスとともに海面から突き出た岩までやってきた。成人と同程度の高さで、まるで槍の穂先のような形状をしている。
岩礁を支えに一息つきながら、アッシュは浜辺のほうを見やる。挑戦者やミルマたちの姿を確認できるものの、かなり距離があるようで顔まではっきりと捉えることはできなかった。
ひとしきり休憩したあと、ラピスが島とは反対側を指差した。
「南だから、あっちね」
「了解だ」
アッシュは岩礁を蹴って先へ進もうとする。
と、「ねえ」とラピスから呼び止められた。
彼女はばつが悪そうに目をそらしながら言う。
「この間のこと……ごめんなさい。どうかしてたわ」
おそらくラピスが言っているのは、先日、剣を突きつけてきたことだろう。リッチキング戦での空白の時間を問い詰めるため、という理由はあったものの、たしかに物騒ではあった。
「なんだ、気にしてたのか」
「それは……まあ」
彼女が根の優しい人間であることはわかっている。そんな彼女が他人に剣を向けるほどまで焦った理由とはいったいなんなのか。少し興味が湧いてきた。
「仮に俺がなにかすごいことをして、あの時間を凌いだとしたらなにかあるのか?」
「とくになにかあるわけじゃないの。ただ、ひとつだけ気になることがあって……」
そう口にしたとき、彼女の瞳は希望と不安が入り混じったように揺れていた。
彼女の知りたいものがいったいなんなのか。アッシュはますますわからなくなった。ただひとつたしかなのは、彼女がいまはその先に進むことを求めていないということだ。
「ま、いつか気が向いたら聞かせてくれ」
「そうね。いつか……」
ラピスは片手で自身の肩を抱きながら力なく答えた。
アッシュは辛気臭い空気を吹っ飛ばすように明るく声をあげる。
「そんじゃ、気を取り直していくとするか。あんまりもたもたしてると、でかいの見つけても追いつけなくなっちまうからな」
「ええ。急ぎましょう」
2人して岩礁を思い切り蹴って、南のほうへと進みはじめた。息継ぎがしやすいよう海面近くを泳ぐ。底はどんどん深くなっていくが、恐ろしいほどに透き通った水のおかげでいまだはっきりと視認できた。
それから幾度かのサメ型魔物と交戦を経て、崩れた建物のようなものが遠くのほうに見えた。近づいていくと、それがほんの一部であったことがわかる。廃墟だ。それも広大な区域に渡ったものだ。
わざわざ演出のために神が用意したのだろうか。その辺りは判断しかねるが、仮に元からあったなら遥か昔に文明が存在したことの証拠になりそうだ。
抉れた石畳、折れた柱。
散乱する無数の瓦礫。
多くを見渡したとき、柱の位置からなにかの建物が整然と並んでいたことがわかる。規模からして家屋の可能性が高いが――。
そうしてアッシュは廃墟の考察をしていると、ラピスに指でつんと突かれた。彼女はある方向を指差している。それを辿ると、人を軽く呑み込めるほど大きな貝があった。
半開きになった口からは虹色の秘宝が確認できる。おそらく、あれがレオの言っていた巨大な秘宝で間違いないだろう。
貝は、なにやら棺のような台座の上に置かれていた。周囲の床には貝と同程度の大きさの穴が幾つも空いている。
魔物が守っているという話だったが、周囲には見当たらない。どこかに隠れているのだろうか。とにかく待っていても状況は変わりそうにない。アッシュはラピスと頷き合ったのち、貝のほうへ向かう。
と、棺のそばに空いていた穴が地下側からなにかで埋められた。中央に黒点があり、周囲は白で塗りつぶされたそれは、まさしく目だ。
ぐりんと動いた目がこちらを捉えた瞬間、ほかの穴からイカの足のような触手が伸びてきた。その数10。どうやら魔物は地下に隠れていたようだ。触手がうねうねとしなりながら迫ってくる。
あまりに素早い動きに左足をとられてしまったが、スティレットで一刺しすると、触手は痛がるようにうねって離れ、穴に引きこんだ。これで倒したかと思いきや、その触手はすぐに戻ってくる。先ほど刺した傷はもうない。
穴の中に戻ると即再生とは、なかなかに厄介な能力だ。触手が一本だけならまだやりようはあったかもしれないが、触手の数は10本。ラピスと半々で実質5本が相手だが、ほかの4本を相手にしている間に傷つけた触手を再生されてしまうため、一向に先が見えなかった。見れば、ラピスも同様に攻めあぐねているようだ。
このままではいつまで経っても貝まで辿りつけない。ここは一旦、作戦を練り直したほうがよさそうだ。アッシュはラピスに向かって海面を指差した。彼女も同意見のようで、すぐさま頷いてくれる。互いに触手をさばきながら海面まで離脱、ぷはっと盛大に息を吐いた。
「1本1本は大したことなくても、あんだけ多いと厄介だな」
「無視して貝だけ取れたらいいのだけど」
「あの大きさだからな……」
貝を運んでいるうちにうっかり背中を刺されかねない。
「倒す方向で考えるしかなさそうだ。っても、触手は即再生だからなー」
「あの目を狙うしかないのかも」
「やっぱりラピスもそこ狙いか」
「でも確証はないから」
「仮に違ったとしても奴は目で俺らを捉えてから攻撃をしかけてきた。あれがなけりゃ、触手も大人しくなると思うぜ」
「問題はどう攻撃するかね」
それに関しては、すでに考えがあった。
「俺が触手を引きつけるから、その間にラピスが海底から近づいて、あの目に攻撃してくれ」
「……なるほどね。海底に沿って進めば死角になる」
「そういうことだ。目の位置が海底と同じ高さだから近づくまでは気づかれないはずだ」
これでおおよその作戦は決まった。仮に作戦通りにいかなかったとしてもラピスは70階突破者。あらゆる状況に対応するだけの力量はあるはずだ。
「じゃあ、再戦と行くか……!」
「ええ」
頷いたラピスとともに海中に潜りなおした。
ラピスが敵の視界外に離れるまで待ったのち、アッシュは海底に向かった。敵の目がこちらをじーっと見ている。触手の攻撃圏内に入った途端、触手が一斉に向かってきた。先ほど相手にしていた数の倍とあってあまり余裕がない。それでも意識を回避に向けていることもあって致命傷は避けられた。
いい感じに引きつけられている。
ラピスのほうも海底に沿って順調に敵の目との距離を縮めていた。
いいぞ、そのままそのまま……!
アッシュはラピスの同行を横目にしながら、なおも襲いくる触手の攻撃から逃れていく。と、いきなり触手がぴたりと止まった。何事かと思いきや、7本の触手が海底上を掃除するかのように旋回しはじめた。
なにかを探し、排除するようなその動き。
おそらく敵は先ほど2人で向かってきたことを覚えていたのだ。そのうえで今回はひとりしかいないことに気づき、もうひとりが死角に潜んでいると予測したのだろう。
まさかここまでの知能が敵にあるとは思いもしなかった。
ラピスに2本の触手が襲いかかる。廃墟を破壊しながらとあって大量の砂埃が舞っていた。ラピスの姿が隠れ、安否がわからなくなる。やがて砂埃からラピスは無事に姿を現したが、その表情は硬かった。
無理もない。
がむしゃらではあるが、あれだけ広範囲に渡って触手を振り回されればまともに近づくことはできない。当初の作戦は失敗だ。
しかし、まだ手はある。アッシュは対峙する触手を見やった。先ほどの5本相手とは違って、いまは3本のみ。これなら強引に突破できる。
アッシュは3本の触手から逃れながら敵の目へと一直線に向かった。3本の猛追をなんとか凌ぎ、敵の目に肉迫。その黒点に思い切りスティレットをぶっ刺した。
途端、頭に直接響いてくるような奇声が聞こえてきた。敵の悲鳴だろうか。それにあわせて触手が一斉に引っ込んだ。その隙を狙って近くまできたラピスもまた短剣を敵の目に突き刺した。けたたましい敵の悲鳴がまたも海中に響く。
これで倒したかと思いきや、触手が一気に飛び出てきた。四方からの攻撃。アッシュはラピスとともにどちらからともなく動き出し、交差。互いの背後から迫っていた触手を迎撃。さらに背中を合わせながら、さらなる追撃をも凌ぎきった。
とくに打ち合わせをしたわけでもないにも関わらず、示し合わせたような連携に思わず心が躍った。だが、止まない触手の攻撃を前にしてはいまの状況はジリ貧でしかない。
と、背中を合わせていたラピスが急に腰を曲げた。
アッシュは釣られて海面側を向いてしまう。
いったいどうしたのかと彼女の様子を窺うと、その手に持たれた短剣がバチバチと音をたてて明滅していた。その一瞬で彼女が限界突破で勝負を決めるつもりだと悟った。
使えば体力を大幅に消耗することから、決め切れなければ大きな危険にさらされる諸刃の《血統技術》だ。それでも現状を鑑みたうえで彼女は使うしかないと判断したのだろう。
彼女が万全の体勢で放てるように、とアッシュは体を張って襲いくる触手を防ぐ。だが、さすがにひとりで10本相手は無理があった。対応しきれなかった1本が顔面に向かってくる。
直後、背中側から凄まじい轟音が鳴り響いた。
ラピスの攻撃が突き刺さったのだ。
触手たちがぴんと伸びて硬直したあと、力なく海底に倒れていった。そのままずるずると緩やかに穴の中へと引き込んでいく。地下には大きな空洞でもあるのか、敵の目も穴から離れて遠ざかっていった。
塔の魔物と違って消滅することはなかったが、おそらく倒したということで間違いないだろう。アッシュは倒した嬉しさから笑顔でラピスのほうを見る。が、彼女はぐったりとしていた。やはり限界突破の反動は大きいようだ。
アッシュはラピスの手を取った。
彼女は少し驚いていたが、無視して貝のほうへと連れて行く。
一緒に開けようと合図を送ると、戸惑いがちにラピスが頷いた。2人で手を添えて貝の口を開く。と、大きさもさることながら、ほかとは比べ物にならないほどの輝きを放つ秘宝が入っていた。
あまりの美しさに、アッシュは思わず感嘆した。
感情を分かち合いたい。その一心でラピスのほうを見ると、彼女も同じ気持ちだったのか。呆けた顔でこちらを見ていた。だが、はっとしたように彼女は目をそらしてしまう。照れ屋なのは相変わらずのようだ。
なにはともあれ、秘宝は無事に入手できた。
あとはこれを持って帰るだけだ。
◆◆◆◆◆
「ねえ、これはどうかと思うんだけど」
「つっても泳げないぐらい消耗してんだから仕方ないだろ」
「それは……そうだけど」
アッシュは貝の皿を押しながら海面をのんびり進む。
貝の皿上には、先ほど入手した秘宝だけでなくラピスも乗っていた。限界突破により体力を大幅に消耗したことで泳げなくなってしまったためだ。
「これじゃ、とんだ晒し者じゃない……」
彼女は肌をほんのりと赤らませながら愚痴をこぼした。
たしかに注目はされるかもしれないが、その美しい容姿もあいまって絵になる光景となっているはずだ。恥ずかしがることはなにもない。
「これ売ったらどれくらいになるんだろうな」
アッシュは秘宝を見ながら言った。
「あの変態が言ってたように50万ぐらいにはなるんじゃないの」
「だったらかなり大きな収入だな。そういや取り分だけど、貢献度的にラピスが7で、俺が3でいいか?」
ラピスが危険を冒してまで《限界突破》を使ってくれなければ勝てたかわからない戦いだった。割合的にはこれぐらいが適切だろう。
「わたしはいらないわ。もともとあなたが取ってきた話だし」
「つってもこうして付き合ってくれたしな。それにラピスがいなかったらとてもじゃないが倒せなかったぜ」
「それを言うなら、わたしもあなたがいなければトドメをさせなかった」
どうやらあちらも引く気はないようだ。
「じゃあ五分だ。全部ってのは勘弁してくれ」
「……わかったわ」
恵んでもらうようなことはしたくない。
その思いからの最低限の譲歩だったが、彼女が呑んでくれてほっとした。
◆◆◆◆◆
「貝の上に乗って帰還なんてまるで海のお姫様じゃないか、ラピス」
「う、うるさいわね……仕方なかったのよ」
ラピスがヴァネッサにからかわれる中、アッシュは入手した秘宝をウルに鑑定してもらっていた。勝負の関係で最後にまとめて清算という取り決めだったが、あまりに巨大な秘宝とあって特別にいま清算することになったのだ。
鑑定を終えたウルが弾んだ声で結果を報告する。
「アッシュさん、52万ジュリーです!」
その瞬間、周囲で見守っていたソレイユのメンバーが歓喜の声をあげた。
「すごいすごい!」
「やったね、アッシュ」
そばにいたクララとルナも自分のことのように喜んでいた。これも情報を提供してくれたレオと手伝ってくれたラピスのおかげだ。
「これでうちの勝ちも決まったも同然だねぇ」
ヴァネッサが勝ち誇った笑みを浮かべた。
少し離れたところで結果を見守っていたベイマンズが悔しそうに歯軋りをする。
「くそ、まだだ。まだ終わっちゃいねぇ!」
「で、でもボス。もうあんまり時間が……」
「それでもやるしかねぇだろ!」
焦るベイマンズとヴァンとは相反して、そばに立つロウは妙に落ちついていた。
「こうなれば最終手段を使うしかない。みな、退け! わたしが活路を切り開く!」
ロウは声を張り上げたのち、海に向かって右掌を突き出した。直後、レッドファングが縄張りとしていた海域に緑色の風が出現。激しく暴れだした。
雨を降らし、風を巻き起こし、穏やかだった海面に大きな波が立つ。8等級の魔法――テンペストだ。
「こんなところで撃つかよ……!」
「まったく、ぶっ飛んでるね……!」
アッシュはヴァネッサとともに乾いた笑みを浮かべる。
しばらくして浜辺まで届いていた暴風は止み、海上で荒れ狂っていた緑の風も消滅した。
周囲の者たちが呆気にとられる中、ロウが意気盛んに叫ぶ。
「これで近場の魔物は排除できたはずだ……みな、諦めるな! 死力を尽くせば、まだ追いつける!」
合戦に挑む戦士のように大声をあげながら、レッドファングのメンバーが海に飛び込んでいく。が、しばらくしてヴァンがひょこっと海面から顔を出した。
「ロウさん! ほとんどの貝が沖のほうに飛ばされちゃったみたいっす!」
「な、なに……!?」
魔物を排除するために打ったはずの《テンペスト》だったが、どうやら貝まで掃除してしまったらしい。
ロウがその場でくず折れた。
どうやら勝負あったようだ。





