◆第十一話『力なき者は追放』
「久々に死ぬかと思ったぜ……」
アッシュはのろのろ立ち上がり、服についた汚れを軽く払った。
ここはもう主のいた広間ではない。
踏破印を刻むための水晶が置かれた10階の入口だ。
振り返り、紅と金で彩られた壁面を見上げる。
10階の主は強大でまったく歯が立たなかったが、無事に生還できた。
ただ、失ったものは大きい。
右手を背中側に回し、空になった鞘をさする。
破壊された二本の短剣はどちらも特注品だった。
国によっては、あの二本で立派な屋敷が建てられるほどの価値があったぐらいだ。
アッシュは盛大にため息をつきながら、ベルトからポーチを外した。
蓋を開けて中に入っているものを確認する。
表に剣の絵、裏に「1」が刻まれた赤色の宝石が3つ。
同じく赤色で縦長の宝石が1つ。
すべて道中で拾ったものだが、特別な価値があるようには見えない。
「これで釣り合いは……取れねぇよなぁ」
◆◆◆◆◆
浮遊感にとらわれる中、真っ白で満たされた視界が段々と薄れていく。
やがて見覚えのある景色が広がると同時、ずしりと全身に重みが蘇った。
「……本当に戻ってこられるんだな」
アッシュは体を見下ろしたあと、すぐそばにそびえる塔を見上げた。
いましがた塔から飛び下りてきたところだった。
初めこそ恐怖したが、終わってみれば意外にも心地良いスリルだったというのが素直な感想だ。これは病みつきになるのもわかる気がする。
「生還されたのですか」
そう声をかけてきたのは赤髪のミルマ――塔の管理人だ。
誰か帰還してくることを感じとったか、すでにゲートの近くまで来ていた。
「残念そうだな」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。……でも、その姿を見る限りボロ負けしたようですね」
「今度はやけに嬉しそうな顔だ」
「はいっ」
良い返事だ。
おかげで嫌味にすら思えない。
「……ああ、そうだよ。ボロ負けだ」
「潔いですね」
「本当に言い訳もできないぐらい完敗だったからな」
主との戦闘を改めて思い出しても、やはり勝機があったとは思えない。
「それで何階でボコボコにされたのですか? ん~、初回ですから、やはり2階でしょうか? あそこで一度撤退する挑戦者は多いですからね。まあ、アッシュさんはひとりですし、なにも恥じることはありませんよ」
ウンウンと頷きながら、管理人は饒舌に話しはじめる。
励ましてくれるのは嬉しいが、なにやら思い違いをしているようだ。
「10階だ」
「なるほど10階ですか。あそこは多くの新人が1ヶ月は足止めを食らうぐらい鬼門ですからね。無理もないでしょう。……ん? いま、何階と言いましたか?」
「いや、だから10階の主にやられたんだよ」
アッシュは改めて事実を伝えると、管理人がぽかんと口を開けた。
「いやいやいや、ご冗談を」
「ダイアウルフのでかい奴だろ」
「……マジでございますか」
管理人が驚いているあたり初回にしてはハイペースだったようだ。
たしかに飛ばし過ぎた感は否めないが、昇りはじめる前は20から30階まで到達できると思っていたのだ。
それが10階までしか到達できなかったうえ、ボロボロになって帰還する始末。恥ずかしいことこのうえない。
「いや~、ちゃんとあんたの言うこと聞いとくべきだった」
「ということは盃に火が灯るまで逃げ切ったのですか……?」
「あと少しで死ぬところだったけどな」
アッシュは肩をすくめながら応じる。
実際は逃げ回っていただけだ。
誇れることなんてない。
「わたくし、少し用事ができましたのでこれで失礼させていただきます」
「あ、ああ」
急にどうしたのか。
管理人はぺこりと頭を下げると、くるりと背を向けて歩き出した。
去り際、耳に両手を被せながら「ベヌス様! ベヌス様!」と叫んでいるのが聞こえたが、ミルマ同士の通信でも行っているのだろうか。……謎だ。
アッシュは首を傾げると、ちょうど視界の端に花飾りをつけた少女が映り込んだ。
彼女は同じ宿に住む――クララだ。
なにやら物憂げな顔で塔を見上げている。
「よっ、どうしたんだこんなところに突っ立って」
「ア、アッシュくん……?」
声をかけに行くと、やけに驚かれた。
クララは目をそらしながら、ぼそぼそと答える。
「あ~……その、これから昇ろうかなって思ってて。アッシュくんは、いま帰り?」
「ああ、華々しいデビュー戦を飾ってきたぜ」
軽口を叩きながら両手を広げる。
「い、痛々しいの間違いじゃ……ボロボロだね」
「いや~、こっぴどくやられちまった」
「そのわりには楽しそう……」
クララの言うとおりだ。
負けて悔しい気持ちよりも充実感のほうが圧倒的に勝っていた。
「一度負けた相手に勝てたら以前の自分を超えたってことだろ。そんな機会がここにはたくさんある。楽しくないわけがねぇよ」
今日、赤の塔を昇ってみて確信できた。
このジュラル島の塔なら自分という存在を間違いなく高められる。
「……羨ましいな」
クララがぼそりと言った。
先ほど塔を見上げていたときもそうだが、なにか思いつめた表情だ。
一瞬踏み込むべきか悩んだが、ひとまず留まることにした。
「ま、そのうちクララにも追いついてやるぜ」
「それは無理じゃないかなぁ。あたし、なんたって先輩だからね」
「おっ、言うじゃねぇか。そういやクララの到達階って――」
――幾つなんだ。
そう訊こうとしたとき、そばに誰かが立った。
「悪いことは言わねぇ。そいつとつるむのはやめたほうがいいぜ」
その顔には見覚えがあった。
中央広場でレオと話しているとき、絡んできたバンダナの大男だ。
以前とは違って分厚い板金鎧を身に纏い、背中には大きな戦斧を背負っている。これが彼の戦闘用の格好というわけだ。
すぐ後ろには3人の男が控え、こちらを威嚇してきている。
「ダリオン……」
大男を見たクララがこぼした。
なにやら居心地が悪そうに目をそらしている。
そういえば昨日、クララはダリオンのことを知っている風に話していた。
2人はいったいどんな関係なのか。気になるところだが、まずはその前にクララを軽んじる発言をした大男の相手が先だ。
「昨日ぶりだな、でかいの」
「相変わらず生意気な新人だ。潰してやった手はどうしたんだよ」
「おかげでこの通り最高の調子だ」
「ハッ、そのわりにボロボロじゃねぇか」
「ボロボロでも生きてたら明日も昇れるぜ」
軽口を叩きながらも冷静さは失っていない。
きっと相手も同じだろう。
「それで俺が誰とつるんだら悪いって?」
「……なんだ、聞いてねぇのか」
ダリオンは怪訝な顔をしたかと思うや、嘲るように笑う。
「じゃあ、親切な俺が教えてやるよ」
「やめて」
クララが静かに制止の声を漏らすが、ダリオンは構わずに続ける。
「そいつ、もうすぐ1年なのにまだ10階の主を倒せてないんだぜ」
「だからなんだっていうんだ?」
管理人の話では突破するまで1ヶ月程度は苦戦するのが普通という10階。
そこに1年かかっているのはたしかに長いかもしれないが、それまでの話だ。
誰かにとやかく言われる理由はどこにもない。
「……本当になにも知らねぇんだな。挑戦者には1年以内にどの塔でもいいから10階を越すっつう条件が課されてんだよ。それが出来なきゃ挑戦者の資格なしってことで島から追い出される」
ダリオンは顎でクララを指し示す。
「それでそいつに残された時間は、あと3日だ」
クララのほうを見ると、ばつが悪そうな顔をしていた。
信じたくはないが、どうやら事実のようだ。
「にしても、お前やけに詳しいんだな。もしかしてクララに惚れてるのか?」
「ち、ちげぇよ!」
血管を浮き上がらせてまで否定された。
どうやら本当に違うらしい。
ダリオンは舌打ちすると、睨むように横目をクララに向けた。
「昔、そいつは俺のチームにいたんだよ。役立たず過ぎてすぐに追放してやったけどな」
忌々しいとばかりにそう吐き捨てる。
まさかチームを組んでいたとは。
なにしろ一見して町のごろつき風のダリオンと大人しい村娘風のクララだ。
組み合わせ的に意外も意外だった。
いずれにせよ、両者の様子から良い思い出にはならなかったのは間違いないようだ。
「ダリオンさん。そんな奴のことなんて放っておいて行こうぜ」
「おう。……それじゃあな、新人。せいぜいお前はそいつと同じにならねぇようにな」
ダリオンがチームメンバーに催促され、塔のほうへと向かっていく。
その後ろ姿を見ながら、アッシュはクララに問いかける。
「あいつの話、全部本当なのか?」
「……ごめんね。偉そうにしてたくせに、こんな成績なんて……」
「まったくだ」
そう答えながらアッシュは振り向いた。
クララは顔を俯け、両手をぐっと握りながら唇を強く噛んでいる。
「おかげでクララが悩んでることに気づくのが遅れた」
「……アッシュくん?」
「少しここで待っててくれるか」
きょとんとするクララを置いて塔のほうへ向かった。
前を歩く4人組の中で、もっとも大きな背中へと叫ぶ。
「おい、筋肉バンダナ!」
「……あ? 誰が筋肉バンダナだって?」
足を止め、威嚇してきたダリオンにアッシュは宣言する。
「俺、クララと10階攻略すっから。そしたら、さっきの役立たずっての取り消せよ」
「はぁ? なに言って――」
「取り消せよ」
威圧を込めて、もう一度。
ダリオンがじっと睨んでくると、やがて口の端を吊り上げた。
「いいぜ、その話受けてやる。但し、挑戦する10階はあいつが失敗した赤の塔だ。あと失敗したらお前もジュラル島から出て行け。それが条件だ」
「……上等だ」
アッシュは即答した。
もとより失敗するつもりはない。
「そんときゃ去るどころか三日三晩稼いだ俺の金もプレゼントしてやるよ」
「面白ぇ……!」





