◆第七話『男と女』
瞬く間に体が落下を始め、景色が上方へと勢いよく流れていく。見上げた先、縁から身を乗り出したトロルが映ったのも一瞬。視界は真っ白に塗りつぶされる。
再び色が戻ったときには地に足がついていた。
塔前広場の転移魔法陣に出たのだ。
「全員無事か?」
見たところルナに外傷はない。クララのほうは……着地に失敗したか、尻をさすっているが、ほかに怪我はなさそうだ。
「アッシュ~~っ」
ルナが目を吊り上げながら顔を寄せてきた。
なぜ怒っているのかはすぐに理解した。
彼女の反対を押し切ってトロルを引き連れたからだ。
「わ、悪かったって……」
アッシュは両手をあげて降参のポーズをとる。
ルナは頬を少し膨らませるが、すぐに呆れたように息を吐いた。
「もういいよ。でも、できればああいう無茶はしないで欲しいな。心配したんだから」
「あ~……努力する」
塔は危険な場所だ。
しない、とは言えなかった。
それでも満足したのか、ルナが顔から険を解いてくれた。
「でも、アッシュくんだしね。たぶん、これからも無茶ばっかりするよ」
「たしかに、アッシュだし」
クララの疑念たっぷりの言葉にルナが迷うことなく賛同する。なんとも解せない展開だ。
「あのな、俺だって本当に無理なときは撤退も選択肢に――」
――入れるぞ。
そう言おうとしたとき、馴染みのある声が聞こえてきた。
「あれ、ララたんたちじゃん!」
「マキナさんっ」
声の主はギルド《ソレイユ》のマキナだった。
彼女はクララに直行すると、互いの両手をあわせてはしゃぎはじめる。相変わらずの仲良しっぷりだ。
「あら、偶然ねー」
「うちらもさっき戻ってきたところなんだよねー」
そう言ったのは、マキナのチームメンバーであるレインとザーラだ。そばにはユインもちょこんと立っていた。
「よっ」
「こ、こんにちは……」
軽く頭を下げたユインだが、なんだか挨拶がぎこちなかった。
心なしか頬がほんのりと赤いし、目もそらしている。
いったいどうしたのかと思ったが、心当たりがあった。いつぞやに《ブランの止まり木》で酒盛りをした、あの日。彼女から頬にキスをされた。おそらく、ユインはあのときのことを思い出し、意識しているのだろう。
その初々しい態度は愛らしくもあるが……少々表に出しすぎた。
「アッシュ、彼女となにかあったでしょ」
案の定、ルナが気づいたようだった。
こちらにだけ聞こえるよう小声で囁いてくる。
「なにかってなんだ?」
「誤魔化しても無駄だよ」
悟ったようにルナがにやにやと笑っていた。
実際は頬にキスをされただけだが、彼女のことだからもっと大胆なことを想像していそうだ。弁解すべきかしまいか。悩んでいると、マキナの大きな声が思考に割り込んできた。
「ララたんたち、いま何階なのー?」
「さっき49階の踏破印つけてきたところだよ」
「すごー! もう49階なの!?」
「でも、ぎりぎりって感じだったかな……火力不足だった……」
「うへぇ、ララたんたちで苦戦ってことはかなり厳しそうだね」
マキナが片頬を引きつらせながら絶望したような顔をしていた。
「そういうマキナたちはどうなんだ?」
アッシュはふと気になったので訊いてみた。
マキナが急に「ふふん」と言って胸を張る。
「聞いて驚けー! なんと――」
「さっきここの40階をなんとか突破しました」
「ああ、ユインちゃん、わたしのセリフとったー!」
涙目になったマキナがユインの両肩を掴んで揺さぶりはじめた。かなり頭を揺らされているにも関わらず、ユインに堪えた様子はない。落ち込んだマキナが四つんばいになって悲しむ中、アッシュはユインに向かって言う。
「やるじゃねぇか」
「と言っても3回挑戦してようやくです」
「それでも突破したことには変わりない」
「いつか追いつけるように頑張ります」
先ほどとは違ってユインは真っ直ぐな目を向けてきた。その瞳に宿るものはいったいなんなのか。はかりかねるが、強い想いであることは伝わってきた。
「なにはともあれ、これでお祭りに参加できるようになってよかったわねー」
「だなー。マキナ、ずっと参加したいしたいってうるさかったし」
レインとザーラがいまだ落ち込んだままのマキナを見ながら言った。その目はまるで我が子を見守る親そのものだ。
「あっ、お祭りで思い出した!」
マキナがぴょんっと跳ね起きた。
本当に見ていて飽きない人間だ。
「わたしたち、これからお祭りのために水着買いに行こうって言ってたんだよね。よかったらララたんたちも一緒にこない?」
「え、お祭りって水着必要なの?」
「うん。だって海の中に潜るんだし。聞いてなかったの?」
クララがこちらに確認してくる。
「潜るってのは聞いてたけど、てっきり魔法かなんかで解消するのかと」
「そんなのないよー。なので水着が必要なのですっ!」
冗談で言っている様子はない。
どうやら本当に水着で《海の秘宝》とやらの祭りに参加するようだ。
「そういうことなら、あたし行こうかな。水着って聞いたことしかないから、どんなの選べばいいかわからないけど……」
「大丈夫よー。お姉さんたちがぴったりなもの選んであげるから」
「そうそう、うちらに任せとけば大丈夫だって」
レインとザーラにそう言われて、クララはほっとしていた。
その横では、ルナが少し困り顔をしている。
「ボクはどうしようかな」
「ルナさんも行きましょう」
そう声をかけたのはユインだ。
あの2人が話しているところをよく見かけるが、きっと気が合うのだろう。ルナはユインに誘われたからか、硬くしていた表情を和らげた。
「じゃあ、せっかくだしご一緒させてもらおうかな」
となれば全員参加ということだ。
「そんじゃさっさと向かおうぜ」
アッシュはのんびり歩きはじめるが、がしっとマキナに肩を掴まれた。
「アシュたんはだめでーす!」
「だめって……俺だって水着必要だろ。それともなんだ、裸で参加しろってか。さすがにそれは勘弁して欲しいな」
「それはそれでおもしろ――じゃなくて」
マキナはなにかを言いかけた口を閉じると、改めて言い直す。
「わたしたちの水着、いま見ちゃったらお祭りのときの楽しみがなくなるじゃん」
「そ、そういうものなのか」
「そういうものです。ねー!?」
マキナが女性陣に問いかけると、全員が頷いていた。
「ということで、アシュたんはまた今度ひとりで買いに行ってね。じゃあ、みんな行こっか! あ、せっかくだから終わったらみんなでどこか食べに行こーよー!」
中央広場へと歩き出した女性集団。
ひとり残ったユインが、ぺこりと頭を下げてくる。
「ごめんなさい、アッシュさん。でも、選んでるところ見られるのは恥ずかしいので……少しほっとしました。で、ではまたっ」
「あ、ああ」
ユインが走ってマキナたちのあとを追いかける。
彼女らと違って、こちらは男。
この分かれ方はまったくおかしくはないが――。
アッシュは凄まじい疎外感に苛まれた。
……今日はレオと飲むか。





