◆第六話『緑色のデカブツ』
左側には緑色の壁、右側には青色の空。
そして前後にはシレノス、シレノス、シレノス――。
アッシュは仲間とともに緑の塔48階の内部を抜け、塔の外部――緩やかな坂を進んでいた。ここを上がりきった先で踏破印を刻めば48階を制覇したことになるが、いまだ多くの魔物によって行く手を阻まれている。
「アッシュ、後ろ結構来てる!」
塔の内部より外部のほうが魔物の湧きは格段に早い。悠長に進んでいたわけではないが、あっという間に後方から魔物に詰められてしまう。いまも後ろで湧いた4体が駆け上がって来ていた。
「後ろは2人に頼めるか!? 前は俺だけで処理する!」
「了解!」
「が、がんばる!」
クララ、ルナが応じたのを機にアッシュは一気に敵中へと飛び込んだ。前方のシレノスは5体。すでに何度もやりあっていることもあり、手こずることはない。酒を飲ませないようスティレットを振り、斬撃で牽制。その間に着実に1体ずつ仕留めていく。
すべてを処理したかと思えば、またも奥のほうから5体が追加で駆け下りてくる。肩越しに背後を確認したところ、クララとルナが走ってくる。どうやら後ろの処理は終わったようだ。ただ、さすがの湧きの早さで、駆け上がってくるシレノスの姿が見えた。
「踏破印まであと少しだ! 踏ん張れ!」
その後もシレノスを処理しながら少しずつ進んでいく。これまでの経験からして、そろそろ踏破印が見えてくる頃だ。そう思ったとき、前方のシレノス湧きが止んだ。
「急に来なくなったね」
「いまのうちに進もう」
3人揃って駆け出すが、すぐに足を止めることになった。地鳴りのような足音が聞こえてきたのだ。間もなくして駆け下りてきた1体の人型魔物。その姿を見た途端、クララが怯えた声を漏らす。
「な、なにあのでかいの……!」
それは人の4倍ほどの高さ、幅を持った魔物だった。肌は苔のような緑。皮は乾燥し、見るからに厚そうだ。
腫れぼったい目から覗かせた光のない青い瞳に反して、その口は凶暴だった。黄ばんだ牙を剥き出し、餌を求めて涎を垂らしている。
「トロルだ。最後の最後に面倒な奴が来たな……!」
とある試練の塔の頂を守っていた魔物だ。
「つ、強いのっ!?」
「タフなんだ! ちょっとやそっとじゃ倒れてくれない!」
トロルは雄叫びをあげながら、止まることなくこちらへ走ってくる。その大きな足が地面を踏みつけるたび、ドシドシと重い音が響く。得物はなにも手にしていないが、トロルには必要がない。その強靭な肉体こそが最大の武器だからだ。
「2人とも攻撃しつつ壁際に寄れ!」
そう叫びつつ、アッシュは標的になるために前へと出た。ルナの矢が次々にトロルの体へと突き刺さる。さらにクララの《フレイムピラー》が放たれるが、トロルは構わずに突っ切った。
矢が刺さった箇所からは血が出ているし、炎柱で焼かれた肌は焦げている。それでも勢いは衰えるどころか、むしろ増していた。
アッシュは外縁側に位置どりながら敵と交差。股下を通り抜ける格好で敵の右脛を斬り裂いた。
通りすぎていったトロルが5歩ほど進んだところで盛大に頭から転がった。倒したのかと思いきや、ただ転身するためだったらしい。起き上がるなり荒々しく猛り、またもこちら目掛けて駆けてくる。
「えぇ、それで終わりじゃないのっ!?」
「それどころかまったく堪えてないね……!」
ルナは容赦なく、矢を放ち続ける。クララも今度は2発の《フレイムピラー》を2連で放つが、やはりトロルの勢いは衰えない。
再びの交差――アッシュは敵の左脛を斬り裂いた。通り過ぎたトロルがまたも5歩ほど進んだところで転んだ。今度は顔面からだ。先ほどよりも痛々しい転び方だが、きっとまた起き上がるだろう。そう思っていたが、一向に起き上がろうとしない。
「あ、あれ? 起き上がらないね」
クララが怪訝な顔をしながら首を傾げた、そのとき。
トロルの全身が急激に紫へと変色し、無数の燐光となって弾け飛んだ。
「ルナの毒矢が効いたみたいだな」
「タフなトロルには有効みたいだね。それでもかなりの本数が必要みたいだけど」
ルナが肩を竦めつつ、少し得意気に弓を持ち上げた。
高価な毒の強化石を5つも装着した甲斐があったというわけだ。
ただ、安堵している暇はなかった。
またも大きな足音が響いていたのだ。
駆け下りてきたのはやはりトロル。その数は3。かなり幅広な道だが、トロルたちのせいで狭いと錯覚してしまいそうだ。
「……さすがに3体相手は厳しそうだね」
そう漏らしたルナの言葉を、アッシュは訂正する。
「いや、5体だ」
3体の奥からさらに2体が向かってきている。ルナの毒矢が効果的とはいえ、倒すのは決して早くない。倒したところでまた新たなトロルが湧く。まともに相手をしていたら絶対に処理が間に合わないだろう。
右手側の縁から飛び下りればすぐにでも塔から脱出することはできる。だが、せっかくここまで辿りついたのだ。この際に49階の踏破印を刻んでおきたい。
ならば道はひとつ――。
アッシュは坂を駆け上がりつつ、叫ぶ。
「俺があいつらを引き連れて上まで行く! 2人はあとからついてきて踏破印を刻んでくれ! 標的にされないよう攻撃はするなよ!」
「危険だ!」
すぐさまルナが反対してくるが、アッシュは構わずに3体のトロルに接近した。注意を引くためにスティレットで斬撃を食らわせる。繰り出された敵の拳を最小限の動きで躱しながら通り抜ける。
「大丈夫だ! 避けるのは得意だからな!」
そう叫んだと同時、先ほど交戦した3体のトロルがこちらに向きなおった。どうやら標的を完全に固定できたようだ。追加の2体にも斬撃を放ち、注意を引いたあと、脇を通り抜けて後方のトロルたちと纏めあげた。
もみくちゃになったトロルたちが後ろから追いかけてくる。離れすぎるとクララやルナに標的が移る可能性がある。適度に攻撃が届く距離を維持。飛んでくる拳を避けながら坂を上がっていく。
どうやらこの5体が最後の区画を守る魔物だったようだ。坂の先、踏破印を刻むための水晶が置かれた平坦な広場が見えてきた。
アッシュは踏破印の水晶の前を通り過ぎ、49階の内部に続く門前までトロルたちを連れて行った。トロルたちは我先にと荒々しい攻撃をなおも繰り出してくる。
動き自体は遅いが、その威力は馬鹿にできたものではなく。ひとたび地面に突き立てられれば凄まじい轟音が響いた。そのたびにいやな汗が背筋を伝う。
「踏破印、終わったよ!」
「アッシュ、急いで!」
クララとルナの声が飛んでくる。
アッシュは眼前のトロルの股下を潜り抜け、全速力で走る。クララは《ウインドアロー》を、ルナは毒矢を放ちはじめた。後方からトロルたちの呻き声が聞こえてくる。だが、一向に足音は遠ざからない。
「先に行け!」
悔しそうな顔をしていたクララとルナだが、こちらに背を向けて走り出した。
アッシュは水晶が乗せられた腰高の台に辿りつくなり手をかざした。踏破印が刻まれるのはほんの一瞬。だが、その間にかなり距離を縮められていた。
ほのかな緑の光が発せられたのを確認したのち、アッシュは再び駆け出そうとする。が、トロルの一撃がすぐそばまで近づいていた。転がるようにして間一髪のところで回避。飛び起きてすぐさま走り出した。
視界の中、クララとルナが縁の上に立って待っている。
「アッシュくん!」「アッシュ!」
「飛び込めッ!」
アッシュは彼女たちの間に向かって跳躍。
縁を飛び越えて塔の外へと身を投げた。





