◆第四話『宿捜し・前編』
「あ、みなさんおかえりなさいです!」
ブランの止まり木に戻ったとき、そんな明るい声に迎えられた。もちろんブランがこんな声を出すわけもなく。
声の主はジュラル島の案内人――ウルだ。彼女は座っていた椅子から立ち上がると、相変わらずの眩しい笑みを向けてきた。
「来てたのか。こっちから向かう予定だったよな」
「せっかくですから、おばあちゃんの顔を見ようと思って」
言いながら、ウルがカウンターのほうへ目線を向けた。そこでは普段どおり無愛想な顔で本を読むブランが座っている。
「ウルってブランさんの孫だったのか」
「あ、えとえと……血の繋がりがあるわけではないんです。ただ、小さい頃によく面倒を見てもらっていたので」
「ほんと手のかかる子だったよ」
ブランは口を挟んでくると、本のページをめくった。
えへへ、とウルが恥ずかしそうに笑う。
温度差はあるが、2人の間にはしっかりと繋がりがあるように見えた。
「つまり家族ってことだね」
ルナがそう言うと、ウルは「はいっ」と満面の笑みで答えた。ブランのほうは「ふんっ」と鼻を鳴らしていたが、悪い気はしていなさそうだ。
クララが耳打ちをしてくる。
「でも性格は全然似てないよね。ブランさんすぐ怒るし」
「なにか言ったかい?」
「ううんっ、なにも言ってないよ! あ、あははー……」
ブランに睨まれてクララは麻痺状態だ。
見慣れた光景にアッシュは嘆息しつつ、階段のほうへ向かう。
「それじゃさっさと準備してくるか。ウル、悪いけど少しだけ待っててくれ」
「はいっ」
◆◆◆◆◆
アッシュはブラッディ防具を外し、楽な格好で戻ってきた。ちなみに重量的に支障の少ない2本の短剣は携帯している。荒くれ者が少なくないジュラル島では必須の装備だ。
全員が揃ったのち、通りへと出る。
「さて、どこから回りましょうか。なにか希望があればそこから絞ってみますけど」
ウルが資料らしき書類を開きながら訊いてきた。
アッシュは昨夜、ラピスから受けた助言を思い出す。
「できれば保管庫のあるところがいいな」
「かしこまりましたっ。お値段のほうは……」
ウルの窺うような目を受け、アッシュは仲間の意見を求めた。
「あまり高いところは無理だろうけど、今後のために見学するってのもいいかもね」
「はーい、あたしもちょっと見てみたいかもっ」
ルナの提案にクララが手を挙げながら賛成する。
アッシュは視線を戻して、ウルに答える。
「ってことだ」
「わかりました。では、価格のほうは考慮せずに案内していきますねっ」
◆◆◆◆◆
「うわぁ、ひろーい!」
通された部屋の居間に入るなり、クララが両手を広げながら飛び出した。
《ブランの止まり木》の3倍はあるだろうか。
彼女はくるくると回って、その広さを堪能している。
建物は石造だった。どことなく気品があるうえ、洗練された意匠があちこちに施されている。おかげで王侯貴族の一室と言われてもおかしくはない空気感を漂わせている。
「景色も最高だね」
そう口にしたルナの視線先、壁一面がガラス張りとなっていた。
この宿が周辺ではもっとも高いこともあり、ガラスの先に広がるのは紺碧の空。端には赤の塔も映り込み、まるで一枚の絵のように素晴らしい光景だ。
ラピスの部屋と同じく居間から幾つかの廊下が続いている。軽く覗いてみると、やはり寝室や小部屋、トイレと繋がっていた。
アッシュは居間に戻り、ウルに訊いてみる。
「ちなみにここはいくらなんだ?」
「1日1350ジュリーです」
話を聞いていたルナが「やっぱり高いね」と苦笑した。クララにいたっては椅子から静かに立ち上がっていた。大方、壊したら弁償という言葉が脳裏をよぎったのだろう。
と、そのクララが怪訝な顔を向けてきた。
「アッシュくん、あんまり驚いてないね? スカトリーゴ3日分だよっ」
「あ、ああ。まぁそれぐらいするだろうなって思ってたからな」
というのはもちろん嘘で、ラピスの部屋を見て耐性がついていただけだった。
「ちなみにこれと同じタイプの部屋はあと3つありますけど、すべて埋まっています」
「やっぱり70階突破勢か?」
「はい。ニゲルさん、シビラさん、ゴドミンさん……みなさんアルビオンの方々ですね」
ゴドミンは初めて聞く名だった。同じギルドで同じ宿というところからして、おそらくニゲルのチームメンバーなのだろう。
「にしても、こんな広い居間があるってのにさらに寝室に風呂場。おまけに小部屋つきか……正直、俺には持て余すな」
アッシュは改めて部屋を見回しながら言った。
武器を置く空間を考慮に入れても、この居間だけで事足りるだろう。
「ボクも同じかな。調理場があるのは羨ましいけどね」
「ルナ、料理できるのか」
「まあ食べられるものは作れるかな?」
狩りの姿ばかり見ているからか、料理をする印象がまるでなかった。ただ、エプロンをつけて調理場に立つルナを試しに想像してみたところ、なかなかに似合っていた。
なんでもそつなくこなす器用さもある。本人は謙遜していたが、きっと絶品料理を作れるに違いない。いつか機会があれば振舞ってもらいたいところだ。
「ウルさーん。ねね、シャワーつきって1日どれぐらいなの?」
廊下から顔を出したクララがそう訊いた。
資料を確認しながらウルが答える。
「えっと……一番安いところで850ジュリーです」
「た、たかぁ! あたし、無理にシャワーつきじゃなくていいかな……で、でもいつかは……!」
やる気になるのはいいことだ。
たとえ動機が快適な生活のためだったとしても。
「ここはこのぐらいにして、そろそろ次に行くか。色々見回るならあんまりひとつに長居しても仕方ないしな」
「了解です。ではでは、じゃんじゃん案内していきますねっ」
◆◆◆◆◆
幾つかの宿を見回ったあと、南西通りへとやってきた。この通りにはソレイユの本部や彼女たちが贔屓にする酒場もある。おかげで何度も通っているのでいまや馴染み深いところだった。
「可愛い!」
クララの興奮した声が部屋内に響き渡る。
今回、案内されたのは赤みの強い煉瓦造りの宿だ。そんな色合いにあわせたのか、中は淡紅色を基調にした装飾がなされていた。なんというか、まさしく女性の空間といった装いだ。
おおはしゃぎ中のクララに反して、アッシュは凄まじく居心地が悪かった。一目見て、この部屋に住むことだけはありえないと思ったのは言うまでもない。そもそも1日1200ジュリーと高額で無理な話ではあるのだが。
「ルナもこういうの好きだったりするのか?」
「どうだろ。マリハバにはなかったからね」
「あーたしかに。あそこは自然に囲まれてるもんな」
似たような木造家屋ばかりなうえ、衣装も地味目なもので統一されていたように思う。大国の都にあるような洒落た装飾品もいっさいなかった。
「それにこういうのはあまりボクに似合わない気がするし。もちろん、アッシュがこういうので染めて欲しいっていうなら努力してみるけど……」
首をわずかに傾げながら、ルナが上目遣い気味に訊いてくる。可愛いものに目がない女の子といったルナも見てみたい気はするが、強制したところでそれはもう彼女ではない。
「ルナはそのままでいい」
「ん、アッシュが言うならそうする」
ルナは控えめながら嬉しそうに微笑んだ。
結局、ここもほかの高級宿と間取りは大体同じだったので早々に切り上げることにした。もう少し見たいと駄々をこねるクララを連れ、廊下へと出る。
と、ふわっとあくびをする女性が視界に映り込んだ。
髪を後ろで結い上げているうえ、気の抜けた顔のせいで一瞬誰かと思ったが、紛れもなくヴァネッサだった。いきなりの対面に驚いたが、それ以上に驚くべきことがあった。
彼女の身を覆うのが薄い赤の肌着――シュミーズだけだったのだ。その豊満な胸が作り出す谷間や、女性らしい二の腕。しなやかですらりと長い脚があらわになっている。彼女の肌は、とても戦いを生業にする者とは思えないほど肌理細やかで綺麗だった。
その色気のせいか、クララは同性ながら驚きつつなぜか照れている。
アッシュは目をぱちくりとさせながら声をかける。
「ヴァネッサ?」
「ん、アッシュ……? どうしてこんなところにって――」
彼女はそこまで言ってから、慌てて自身の体を腕で抱いた。ただ、すべてを隠せるわけもなく、いまだ多くの肌が露出している。少し困惑気味なうえに頬もほんのりと赤い。それでも大きく取り乱さない辺りはさすがといったところか。
「あ、言い忘れてましたけど、こちらの宿にはソレイユの方々がたくさん住んでらっしゃいます」
ウルが補足するように言ってきた。もう少し早く言ってくれればとは思ったが、聞いていたところで防げるようなものではない。
ヴァネッサがウルを目にしつつ怪訝な顔を向けてくる。状況を説明しろ、ということだろう。
「あー、宿を探してるとこなんだ」
「そういうことか。にしても遅めに出る今日に限って来るなんてね……」
ヴァネッサは静かに息を吐くと、腕で体を隠すのをやめた。腰に手を当てて堂々としはじめる。慣れたのかと思いきや、そういうわけでもないらしい。まだ頬は赤いままだ。
「悪い。でも、さすがに共有んところにそんな姿で来るとは思わなかったからさ」
「うちのメンバーしか住んでないからつい、ね」
「気をつけたほうがいいぜ」
一部の挑戦者なら飛びかかっていたに違いない。
もっとも返り討ちにあうのはわかりきっているが。
「注意するのは良いと思うけど、アッシュは見過ぎじゃないかな」
ルナから細めた目を向けられる。
まったくもってそのとおりで弁解のしようがなかった。
少しばかり居心地の悪さを覚えたとき、かちゃりと正面の扉が開いた。中から出てきたのはソレイユの幹部――オルヴィだ。
彼女もまたシュミーズ姿で多くの肌を露出させていた。ヴァネッサとは違い、完全に目が覚めているようだ。機嫌が良さそうに鼻歌を口ずさみながら出てくる。が、こちらと目が合った瞬間、ぎょっとしていた。
「な、な、なっ。アッシュさんがどうしてっ!」
「宿捜しで見学しにきたそうだ」
ヴァネッサが端的にそう説明した途端、オルヴィが素早い動きで部屋に戻った。ばたんと閉めた扉をまたすぐに開けると、隙間から真っ赤な顔を出してくる。
「せ、責任をとってください!」
「責任って……裸を見たわけじゃないんだ。勘弁してくれ」
「で、では裸を見たら責任をとってくれるのですかっ? だったらわたくし、ぬ、ぬ、ぬ……脱ぎます!」
「いや、そういうわけじゃ――ってほんとに脱ごうとするなよ」
扉の向こう側で本当に脱ごうとしているようだ。止めようにも止められない。どうしたものかと思った矢先、またも扉の開く音がした。今度は右側からだ。
「マスター。オルヴィ。騒がしいけどなにかあったの……か……」
出てきたのは島一番の巨体の持ち主であるドーリエだ。
彼女もまたシュミーズ姿だったが、その隆々とした肉体もあってはちきれんばかりにピチピチだ。あれを破らずに脱ぐのは至難の業だろう。
これまでの彼女を見ている限り、羞恥心とは皆無といった印象があった。だから、ヴァネッサやオルヴィのように気まずい雰囲気にはならないだろう。そう思っていたのだが――。
熱湯風呂にでも浸かったかのようにドーリエは全身を赤く染めると、悲鳴と思しき野太い咆哮をあげた。急いで部屋に戻ると、ドォンと音を鳴らして扉を閉めてしまう。あまりの衝撃からか、取っ手の部分が抜けたように破損していた。
アッシュは予想外の展開に思わず目を瞬いてしまう。
「あ~……ドーリエの奴、ああ見えて実はうちで一番初心なんだよ」
ヴァネッサから告げられた衝撃の事実を記憶しながら、アッシュは思う。
――ヴァンの奴、苦労しそうだな、と。





