◆第二話『キア』
「追い出されて当然でしょ」
その日の夜、アッシュはラピスと《スカトリーゴ》で食事をしていた。以前、約束した奢りが1度残っていたので、それを消化する形だ。
はむ、とラピスは小さな口でサンドイッチをかじって咀嚼。ハニーミルクを一口飲んだあとに話を継ぐ。
「100ジュリー近くの宿はすべて新人用だから。もう5等級まで行ったんでしょ。だったら出て行くべき」
「でもいきなりすぎだろ。1週間以内には出てけって」
ブランから宿を出て行けと言われた一件を話題に出していた。あのあと、一週間の猶予を与えられたが……それまでに次の宿を探さなければならないのはなかなかに面倒だ。
「むしろこれまで利用しすぎだと思うけど。普通、収入が増えたらもう少しマシなところいくでしょ」
「いや、それが意外と住み心地良くてさ。ひと気がないところで静かだし、ブランさんはまぁ……無愛想だけど、ジュリーさえ払えば色々融通は利くしな」
出される料理の味に関しても気にはならなかった。もちろん中央広場の料理店に比べれば質は落ちるが、それでも食べられないほどではない。
「いまにも壊れそうだったけど。色々埃被ってたし」
「色んなとこで野宿した身から言わせてもらえば、まったく問題なしだ」
草や岩の上なんてのはよくあることで、樹の上で寝るなんてこともあった。最悪だったのは、とある試練の塔へ向かう途中にあったとてつもなく臭い沼地だ。鼻がもげそうで一睡もできなかったのをよく覚えている。
思い出したら目の前の肉が不味く思えてきた。
一度、エールをぐいと飲んで頭と喉をすかっとさせた。
ちょうどカップが空になったのでもう一杯頼もうとしところ思わず気まずくなった。目が合った店員がアイリスだったのだ。少し離れていたが、カップを持ち上げるだけで察してくれたようだ。彼女はカウンターのほうへ向かっていく。
「相変わらず嫌われてるのね」
「恒例過ぎてもう慣れてきたけどな」
とはいえ、以前よりもさらに目つきが鋭くなっていたように感じた。最近はとくに関わりがなかったので悪化するようなことをした覚えがまったくない。ベヌスを崇拝する彼女のことだから、おそらくそれ関係だとは思うが。
「なにはともあれ、宿探さないとだなー」
アッシュはため息をついて背もたれに身を預けた。
両手で頭を抱えながら夜空を見上げる。明日も早めに狩りを切り上げて、チームで宿捜しを行うことになっている。案内役はすでにウルに頼んであるのでぬかりはない。
「そういやラピスの宿ってどこなんだ?」
アッシュは体勢を戻すなりそう訊いた。
「ベヌスの館があるところの近くよ」
ちょうど視界の中にベヌスの館が入っていた。
そちら――中央広場の北側通りに集まる建物群はどれもが立派な造りだ。派手さはないものの高級感が溢れている。
「なんか高そうだな……」
「まあ、たぶん一番いいところだし」
「ちなみにいくらなんだ?」
「1日1500ジュリー」
ラピスはさらりと言った。
「……マジかよ。4、5日で属性石1個分じゃねーか」
「その分色々便利だから。防犯だって完璧だし」
「あー、防犯か……」
実際にどこぞのギルドの元小悪党に侵入された身として防犯を挙げられては納得せざるを得なかった。あのときはたまたま防げたが、またいつ誰かが侵入してこないとは限らない。
とはいえ、ひとつ疑問があった。
「でも、防犯って言ってもどんな感じなんだ? 鍵がかかってるとかか?」
ラピスが少し目線を落とした。
なにか考え事をしているようだ。
やがて彼女は視線を戻すと、予想外のことを口にした。
「気になるなら、あとで見にきてもいいけど」
◆◆◆◆◆
中央に瑠璃色の丸水晶が埋まった茶褐色の扉。ラピスが水晶に掌を当てることで、その扉はひとりでに左右へと割れるよう開いた。
「すごいな……勝手に開くのか」
扉の厚さは人の腰幅ほどもある。
おそらく魔石の力を利用したのだと思われるが、不思議なものだ。
「なにしてるの、早く入って」
興味津々に玄関扉を観察していると、先に入ったラピスから睨まれた。
「あ、ああ。でもいいのか? ここまで来といて言うのもなんだが、俺も男だぜ」
「そういうつもりで来たの?」
「もちろん違う」
「だったらいいじゃない」
なんとも淡白なやり取りだ。
信用されているのか、それとも男として見られていないのか。いや、ラピスのことだ。おそらく襲われたら返り討ちにするぐらいの気持ちなのだろう。間違いない。
アッシュは足を踏み出すと、扉がひとりでに閉まった。本当に便利な扉だ。ただ1日1500ジュリーと考えると高い気しかしなかった。
中は扉と似て、深めの茶を基調にした色合いだった。匂いも深い森に入り込んだかのような爽やかなものだ。落ちついていて不思議な安心感がある。
「ここが居間」
広さは《ブランの止まり木》の3部屋分ほどぐらいか。家具や調度品が置かれているが、まったくと言っていいほど圧迫感がない。
「やっぱ広いな……」
「あそこが狭すぎるだけだと思う」
「あれでも充分だけどな」
「普通に暮らすだけならね。装備を置くスペースないでしょ」
「あ~……たしかに」
長得物がたまってきたせいで手狭になった感じはある。最近は床が抜けないか心配になっているぐらいだ。一応、鍛冶屋が引き取ってくれるらしいが、いつか使えるかもしれない、といまでも低等級の装備を置いてしまっている。
「そういや、装備はどこにしまってるんだ?」
「そこ」
ラピスの目線を辿った先、部屋の脇に縦長の黒い箱が置かれていた。玄関扉と同様に丸水晶が埋め込まれている。
「これって」
「保管庫。使用者にのみ開けられる箱ね」
「そんな便利なものがあったのか」
「ある程度の額の宿からしか借りられないから知らないのも無理ないわ」
「幾つでも借りられるのか?」
色んな武器を使う身としては、そういったものがあるなら沢山使いたい。
「宿によって借りられる保管庫の数が決まってる。といっても大体のところが1つで、多くても3つね」
さすがに甘くなかったようだ。
「ちなみにここは?」
「幾つでも」
「さすがは1日1500ジュリーだ」
たしかに凄まじく高い宿だが、やはりそれだけ見合った利益があるというわけか。
「もし次借りるなら保管庫が1つでもあるところにしたほうがいいと思う」
「そうする」
いまは質の関係でレリックがどこでも有効だが、そうでなくなることも今後出てくるだろう。そうなった場合、安心してレリックを置いていける環境にしておく必要がある。
「で、こっちが浴室」
ラピスが居間から繋がる2つの廊下のうち、ひとつに入っていく。わずかな廊下を経て、左右に扉があった。左側を開けて、ラピスが待っている。中に入ると、脱衣所らしき場所に出た。その先にはまた扉があり、中を覗くと木造の湯船が置かれていた。
共有ではあるが、ブランの止まり木にも風呂場はある。ただ、あそこにはないものが、ここにはあった。それは洗い場の壁に設置された細長い管だ。
「シャワーまでついてるのか。外じゃかなりの先進国ぐらいだぜ、これがあるの」
「魔石でどうにかしてるんじゃない?」
「やっぱりそれか」
さすがは神の産物。
万能すぎる。
「こっちの扉は?」
アッシュは廊下まで戻り、浴室の対面にある扉を指差しながら訊いた。
「そこは気にしないで」
「そう言われると気になるな……開けてもいいか?」
取っ手を握ろうとしたところ、ラピスが先に押さえてきた。さらに回り込んで扉を背にすると、しかめっ面を向けてくる。
「だめ。絶対だめ。察して」
「……あぁ、トイレか。って、そんな睨むなよ。俺が悪かったから」
我ながら配慮に欠ける発言だった。
アッシュは両手を上げて降参のポーズをとる。
ラピスは息を吐いて怒気を抜くと、居間のほうへ戻って行った。どうやら許してもらえたようだ。
「ここが最後」
「寝室か」
居間から続くもうひとつの廊下を辿った先に、その部屋はあった。個室といった体でそれほど広くはない。中央にどかっと大きなベッドが置かれているだけだ。木造なうえ宝飾は施されていないが、品を感じられるものだった。
「すげーベッドだな……毛布もふかふかで柔らかそうだ」
「触りたいならどうぞ」
言われるがまま手を置いてみると、吸い込まれるように沈んでいった。こんなところで寝たことがなかったので思わず感嘆してしまう。
ふとアッシュは背後で妙な動きを感じて振り返った。直後、ラピスに押し倒された。体がベッドに沈み込む。毛布に染みついたラピスの匂いか、甘い香気がふわりと漂ってくる。
ラピスのような女性に押し倒されれば、男なら誰でも喜ぶところだろう。だが、いまも首元に突きつけられた短剣の切っ先がそうはさせてくれなかった。
「……これはなんの冗談だ?」
「冗談でもなんでもない」
「のわりには殺気が感じられないな」
早々に悟られたからか、ラピスがばつが悪そうにしていた。
取り繕わないところを見るに、このまま続けるらしい。
「触っていいって言ったのはそっちだよな?」
「話したいのはそれじゃない……リッチキング戦のときのこと」
ラピスが部屋に呼んでくるなんておかしいと思っていたが、すべてはこの質問をするためだったというわけか。
美しい彼女の金髪。
その一束が彼女のこめかみを撫でるようにはらりとこぼれる。
「みんなが昏睡してた、あのとき……なにがあったの?」
「前に説明したとおりだ。ヴァネッサが堪えてくれたんだよ。まぁ、俺も多少は頑張ったけどな」
「嘘」
ラピスは短くそう発言した。
その目は自身の判断を微塵も疑っていない。
「ヴァネッサがいくら頑張ったところで乗り越えられる状況じゃなかった。あなたがなにかしたんでしょ」
「っても俺が戦ってるとこ何度か見てるだろ。それがすべてだ」
互いに見詰め合う時間がしばらく続いた。
どうやらラピスから折れる気はないようだ。
こうなれば仕方ない。
「それよりいいのか? 自分のベッドに男を寝かせても。……これ、ラピスが俺を襲ってるような格好だぜ」
初めのうちは顔をしかめるだけだったラピスだが、やがて意味を理解したらしい。いままでに見たことがないほど顔を赤らめ、飛び退いた。
「ば、馬鹿じゃないのっ!」
彼女は短剣を持っていないほうの手――左手で自身の体を抱くと、抗議の目を向けてくる。そこには普段の毅然とした様子はいっさいない。どこにでもいる少女そのものだ。
「よっと」
アッシュはベッドから飛び起きた。あまりに居心地が良かっただけに名残惜しく感じてしまったが、いつまでも寝ているわけにもいかない。それこそ本気で刺されかねない。
「できればそういうのはなしに欲しかったな。いくらやる気がなくてもな」
「……ごめんなさい。こうでもしないと本当のことを訊けないと思ったの」
「満足したか?」
ラピスは視線をそらすだけで答えなかった。
「もうひとつだけ訊いてもいい?」
「部屋を見せてもらったんだ。答えられることなら答えるぜ」
「……キアって知ってる?」
彼女には珍しい少し不安げな口調だった。
「ラピスの名前のことか? ラピス・キア・バルキッシュ……だったよな。それとも地名のことか?」
「キアのこと知ってるの?」
口振りから地名のほうを言っているのだと思った。
キアには昔行ったことがあるのでよく覚えている。
試練の塔がある場所なのでなおさらだ。
「知ってるぜ。東方大陸ルージャン王国の辺境だろ?」
瞬間、ラピスが目を見開いた。かと思うや俯いてしまった。いったいどうしたというのか。彼女は体を震わしながら胸元で合わせた両手をぐっと握りしめる。
「おい、どうしたんだ? 大丈夫か……?」
「あ、あのっ」
再び上げられたラピスの顔はおどろくほど必死だった。だが、その勢いも見る間にしぼんでしまう。普段の彼女らしくない、
「やっぱりなんでもない。……悪いけど、今日はこれで帰ってもらえるかしら」
「あ、ああ」
なんだかよくわからないが、いまはひとりになりたいのだろう。
アッシュは戸惑いつつ、部屋をあとにしようとする。
「ま、待って。あと1回」
「……1回?」
「家を見せた分」
きっと《スカトリーゴ》で奢れと言っているのだろう。
「それいつまで続くんだ?」
「さあ」
いまだ彼女の目はそらされたままだ。
普段、凛々しい姿ばかりを見ているからか、しおらしい彼女の姿は新鮮だった。それがおかしくて思わずふっと笑みをこぼしてしまう。
「ま、俺も楽しませてもらってるからべつにいいけどな」
「……そう」
「じゃ、またな」
そう言い残して、アッシュは今度こそ部屋をあとにした。





