◆第十二話『新生の赤い牙』
シーサーペントの消滅を確認した途端、どっと疲れが押し寄せてきた。アッシュは長いため息をつきながら武器を収める。
「アッシュの兄貴ー!」
そんな大声をあげながら、ヴァンが駆け寄ってきた。
昂ぶった感情をそのまま吐き出すように喋りはじめる。
「あんたすげぇよ! 何者なんだよ! まさかほんとに無傷で抜けちまうなんて……これからは男としてだけじゃねえ。挑戦者としても崇めていくぜ、アッシュの兄貴!」
「やめろって、まだそっちのが上にいるだろ」
「あんなの見せられちゃ、そんなの関係ないっすよ!」
以前は少しばかり距離を置いていたようだったが、今回の件で完全に懐かれてしまったようだ。実力があるのに三下的な感じが抜けないのは、きっと彼の性分なのだろう。
「てか、いまはそれよりあっちを気にしたほうがいいんじゃないか」
アッシュはロウとベイマンズのほうを見るよう視線で促した。
先ほどは嬉しさのあまりか、ハイタッチを交わしていた彼らだが、わだかまりが完全になくなったわけではないらしい。互いにはっとなって目をそらし、バツの悪い顔をしていた。
「ベイマンズ……わたしは――」
「すまなかった!」
ロウの言葉を遮り、ベイマンズが頭を下げた。
「お前の忠告を無視した結果がこのざまだ。結局、俺は多くの奴らを引っ張る器じゃなかった……そういうことだろう」
「悪いのはあのクズ共だ。きみが責任を感じることはない」
「それでも奴らに好き勝手させていたのは俺だ。そして、それで友人を切り捨てることになった。これまで俺をずっと支えてくれた奴だったってのに……ッ!」
ベイマンズは俯いたまま後悔を吐露していく。
そんな彼をロウは優しい目で見つめていた。
「ベイマンズ、きみは理想を追い求めるべきだ。その力がきみにはある」
「俺もそう思ってた。ひとりでもなんとかなるってな。けど、無理だった。俺にはそんな大した力はないんだって思い知らされた。たぶん、またやったって同じことを繰り返すだけだ。だから、ロウ――」
ベイマンズは顔をあげると、真っ直ぐな目をロウに向けた。
「もう一度、力を貸してくれ。俺にはお前が必要なんだ」
しばらくロウは答えなかった。
顔を崩さずに、こっそりと右手に拳を作る。
「同じようなことがあったらまた手を出してしまうかもしれない」
「そうならないようにする」
「絶対に防げるとは限らないぞ」
「それでもやる」
二度の問いにベイマンズが即答すると、ロウがふっと微笑んだ。
「まったく無茶なことを言う。だが、それでこそわたしが支えたいと思った男だ」
「……ロウ」
「ベイマンズ、わたしからもお願いする。きみの隣を歩かせてくれ」
ロウから差し出された右手を見た瞬間、ベイマンズはなにか感情が込み上げてきたのか。堪えるように大きく息を吸い込むと、力強くロウの手を握った。
「よかった……本当によかったっす」
隣でヴァンが号泣していた。
当事者にもっとも近い存在だ。きっと誰よりも心配していただろうし、無理もない。鼻水を垂らすのは大げさな気もするが。
「そういえばジグたちはどうしたんだ? タイミング的に鉢合わせたんじゃないか」
ベイマンズが思い出したように疑問を口にした。
ロウがわずかに目を鋭くする。
「奴らはダリオンたちのチームを傷つけた。つまりもう仲間ではないということだ」
「ロウ……まさかお前」
「彼らもこの階層まで辿りついた挑戦者だ。テンペストを撃ったが、あれぐらいで死にはしないだろう」
「テンペストって……マジかよ」
その威力のほどを知っているからか、ベイマンズとヴァンが乾いた笑みを浮かべていた。
たしかにジグたちは死んではいないようだったが、瀕死もいいところだ。あれはヒールをかけなければ冗談抜きでそのうち息絶えるかもしれない。
「でも、これからどうすんだ? あの感じだと相当恨み買ってるだろうし、放っておいたら闇討ちでもされるんじゃないか」
アッシュはロウに今後の方針を問うた。
彼が考えていないのであれば、こちらが動く必要がある。直接手を下したわけではないが、ロウと協力関係であったことは知られたのだ。このままでは同じチームであるルナやクララに危険が及ぶかもしれない。
できれば避けたいが、最悪の場合は手を汚すこともやむを得ない。そう覚悟をしていたのだが――。
「それについて心配する必要はない。わたしの仲間に手を出したんだ。徹底的に対処させてもらうさ」
そう口にしたロウは悪魔のような笑みを浮かべていた。
◆◆◆◆◆
アッシュはクララ、ルナとともに島南東に来ていた。
視界の中、浜辺には多くのレッドファングメンバーが集まっていた。その先、夕日で赤く染まった海にはぷかぷかと浮かぶ5隻のイカダ。それらにはジグたち裏切り者20人が縄でくくりつけられていた。それも全裸で。
アッシュは思わず苦笑してしまう。
「ロウの奴、容赦ねえな……」
「あれって逆に恨みを買ってそうな気がするけど」
「だからこその全裸さらしだったんじゃないかな。あれじゃ島に戻ってこられないよ」
ルナが言うと、思い出したクララが赤面した。
ロウはジグたちの装備、ジュリーを没収するだけでなく、アルビオンの不在時を狙ってその全裸を島中にさらさせたのだ。ダリオンのチームが嬉々として手伝っていたのは言うまでもない。
「でも、急いでたのはわかるけど、一言ぐらい知らせてほしかったかな」
「ほんとだよ。時間になっても来ないから心配したんだからね」
ルナとクララが揃って眉根を寄せながら責めるように言ってきた。
当然、事の顛末は彼女たちにはすべて知らせている。
「クララってばアッシュくん後ろから刺されたのかも! どこかで倒れてるかも! ってあちこち捜し回ってたもんね」
「わー、わー! ルナさんそれ言うのなし!」
慌ててルナを制止させたクララだが、こちらを見て沸騰したように顔を赤らませた。口を尖らせながら俯いてしまう。
「うぅ……」
「悪い。次からは気をつける」
シーサーペントの討伐で予期せぬ収入があった。心配をかけた詫びとして今夜は《スカトリーゴ》で奢ろうと思った。
レッドファングのメンバーの多くが中央広場へと退散していく中、ロウはまだ海を見つめていた。豆粒のように小さくなったジグたちを見続けているのかと思ったが、そういうわけではないらしい。
アッシュはひとり彼のもとに向かい、横に並んだ。
波の音が弱まったのを機にそっと話しかける。
「これで一件落着ってとこか」
「……アッシュ、きみには世話になってばかりだったな」
「ま、大したことはしてないけどな。面倒だったのは、せいぜい陰気な空気を当てられまくったことぐらいか」
「ぐっ……それについては本当にすまなかった」
意地の悪いことを言うと、ロウが本気でへこんでいた。
初めは弱点なんてない完璧超人のような印象だったが、実際は凄まじく弱いメンタルの持ち主だった。人間、どんな一面を持っているかなんて関わってみるまでわからないな、と思い知らされたいい例だ。
ロウがこちらを向いて真剣な目を向けてきた。
「なあ、アッシュ。うちのギルドに来ないか?」
「前に断ったはずだぜ」
「あのときとは違う。わたしがきみという人物を知って、そのうえで誘いたいと思った」
彼が冗談を言うような人間でないことは短い付き合いながら充分に理解していた。
「悪いけど、答えは変わらない。あいつらもいるし、それにやっぱ自由にやりたい」
「……そうか」
「えらくあっさり引き下がるな」
「いまならきみらしいと素直に納得できるからな」
言って、ロウは清々しい笑みを浮かべると、海に視線を戻した。
「しかし初めて勧誘をしてみたが、なかなか難しいものだな」
「それをベイマンズはたくさん成功させてるわけだ。ま、外れも引くみたいだけどな」
「それは言わないでやってくれ」
「ま、もう大丈夫だろうけどな」
――お前がいるからな、ロウ。
そう心中で口にしたあと、アッシュはにっと笑う。
「しっかり支えてやれよ」
「言われなくとも。……長い道のりになるだろうがな」
多くの仲間とともに天辺へ。
正直に言って無謀としか言いようがない道のりだ。
時間がかかるなんて問題ではないだろう。
だが、それでも――。
いつか彼らなら成し遂げる日が来るかもしれない。
レッドファングのメンバーと関わった日々を思い出しながら、アッシュはそう思った。
◆◇◆◇◆
ロウは去っていったアッシュの背中を見つめていた。
先ほど彼が口にした言葉を思い出していたのだ。
――じゃ、俺は先に天辺まで行って待ってるぜ。
まだ5等級の挑戦者が口にするには大それたことだ。
本来なら笑うところなのかもしれないが……。
「……アッシュ・ブレイブ。彼なら本当に届きそうだと思えるから不思議だ」
同じギルドでもチームでもない。
だが、彼の動向には注意していこうと思った。
「おーい、ロウ! なにしてんだ! 早く行こうぜ!」
ふとベイマンズの声が聞こえてきた。
彼はギルドメンバーたちと林の近くに立って、こちらに向かって手を挙げている。そばではヴァンが両手で手を振っている。
ロウは浜辺の砂を踏みしめながら進み、彼らと合流した。
「これから本部で飲む予定だが、どうする?」
「ちょっとボス、ロウさんは飲むの嫌いなはずじゃ――」
「いいだろう、今日ぐらいは付き合おう」
そう答えた途端、周囲のメンバーたちがどよめいた。ヴァンに至っては「マジっすか!」と目を見開いているぐらいだ。これまで一度として飲んでこなかったのだ。彼らの反応も無理はない。
「そうこなくっちゃな」
へへ、と笑いながらベイマンズが肩を組んできた。
相変わらずの太い腕に首が潰されそうだ。
「お前ら。今日は朝まで飲むぞ! もちろん俺のおごりでな!」
ベイマンズの景気のいい声に歓声が沸きあがる。
「おい、ベイマンズ。またそんな――」
「いいじゃねぇか。今日ぐらいはよ。お前が戻ってきてくれたんだからな」
それを言われては文句を言えなかった。「ったく……」と零しつつ、ロウは視線を上げた。瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず見とれてしまった。
夕日によって赤く染められたメンバーたちは総じて無邪気な笑みを浮かべていた。はっきり言ってむさ苦しい集団だ。筋肉ばかり。年齢だって若くない。だが、誰もが純真で無垢な少年のように輝いていた。
「……なあ、ベイマンズ。これがきみが目指す光景か」
「ああ。これを天辺で見てやるんだ。どうだ、最高だと思わねえか」
これまで他人を見ようとしてこなかった。
だから、初めての経験だった。
ここまで人が美しく見えたのは。
ただベイマンズの人間性に惚れ、彼のために力を使おうと思っていた。だが、いま、ようやく彼が目指す先を真の意味で知ることができた。知って、彼のためではなく――彼とともに目指したいと思った。
ロウは今一度、〝理想の光景〟を視界に収めた。
そして、そこにある輝きを脳裏に焼きつけながら塔の頂へと目を向けた。
「そうだな……最高だと思う。いや、最高だ……ッ!」





