◆第一話『ジュラル島』
「なあ、どうしてあんな島に行こうと思ったんだ?」
船頭が体を前後させ、櫂を漕いだ。
静かな海面を木造りの小さな船がぐいと進む。
「あそこに行くってこたぁ、あの試練の塔を踏破したんだろ。その肩書きと実力がありゃ、傭兵で一儲けするなり貴族に雇ってもらうなりできる。国によっちゃ騎士にだってなれるはずだ。なのに、どうして?」
――そんな馬鹿なことをするのか。
船頭はそう言いたいのだろう。
さっき会ったばかりとは思えない接し方だ。
アッシュ・ブレイブは思わずくすりと笑った。
「やけに親身な船頭だな。もっと静かな航海になると思ってたよ」
「あいにくと人生の大半を海で過ごしてるんでな。話し相手が家族みたいなもんだ」
「いつも送るときは、こんな話をしてるのか?」
「あぁ。ま、みんな頭イカれてるせいでワシの話を聞こうともしないけどな」
苛立ちを吐き出すように船頭は櫂を漕ぐ力を強める。
黒く焼けた肌に刻まれた無数の皺。
それらがいっそう深まったように見えた。
「自分の力を試したいと思ったこと、おっちゃんにはないか?」
「なんでぇ、いきなり。……30年前、女房にぶん殴られたときからワシの立ち位置なんてものは女の尻の下だよ。それも特大のな」
思い出したくない日常だったのだろう。
船頭は苦々しそうに顔を歪めた。
「あんちゃんはワシみてぇになるんじゃねぇぞ。いいか、最初が肝心だ」
「あ、ああ……心に留めておく」
有無を言わさぬ圧力に頷いて応じる。
船頭の陸の事情は複雑そうだ。
少し気になるが、あえて掘り返さないことにした。
「それで、さっきのが答えか? あんちゃんが島に行く理由」
「ああ。俺は自分の力を試したい。ただそれだけだ」
アッシュは右手に拳を作りながら答える。
と、船頭がじっと目を見つめてきた。
長年の経験がぎっしりと詰まっているのか。
その瞳は黒でありながら沢山の色で彩られているようだった。
「ワシはこれまで多くの挑戦者を送ってきた。騎士や傭兵上がりはザラ。中にはワシでも知ってる有名な奴らもいたし、あんちゃんより強そうな奴なんて腐るほどいた。だが、それでも未だ〝神からの挑戦〟を成し遂げた奴はいない」
「じゃあ、俺が一番乗りってわけだ」
アッシュは臆面もなく口にした。
呆れたか驚いたか、船頭が目をぱちくりとさせる。
「自信満々だな」
「わざわざこんなところまで来るくらいだからな」
「死ぬかもしれねぇんだぞ」
「そりゃいつかは死ぬさ。けど、それはいまじゃない。神からの挑戦を制したあと、柔らかいベッドの上でだ」
アッシュがそう言うと、船頭はぽかんと口を開けた。
櫂を漕ぐのも忘れるほどだったようだ。
船の速度が緩まりはじめたとき、船頭が大声で笑い出した。
馬鹿にされているのか。
一瞬そう思ったが、どうやら違うらしい。
「さっきの話に補足だ。ワシはこれまで沢山の挑戦者を見てきたが、あんちゃんほど馬鹿で真っ直ぐな奴は初めてだ。……応援するぜ」
「ありがとな。俺もおっちゃんが尻を退かせるよう応援してる」
「となると、まずは海で財宝捜しから頑張らねぇとな」
そんな軽口を叩き合っていると、遥か先にうっすらと巨大な影が見えてきた。
アッシュはゆっくりと立ち上がった。
揺れる船の上でバランスを取りながら目を細める。
「あんちゃんみてぇな奴だからこそ、あそこに憧れるのかもしれねぇな」
数えきれないほどの挑戦者を送ってきた経験からか。
船頭は背中を向けていながら、それがもう近くにあることをわかっているようだった。
大自然を蓄えた、とてもとても大きな島。
そこに聳えるのは天にも届くかという五つの塔。
あれこそが。
神への挑戦ができる場所――。
「あの島……ジュラル島によ」