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続山椒魚

作者: ねこち

 山椒魚は蛙の答えを無言のままに心中で反駁した。今でも別にお前のことをおこっていないだって?彼はじっと黙り込んだ。杉苔の花粉はただの棲家の水を汚してしまう疎ましい塵であったのだが、それらが岩屋の中で舞い散る光景は今やうっかり幻想じみて見え彼は狼狽した。

 水底から水面へ勢いよく突進する蛙を見ていた時、確かに蛙は、私など及びもしないほどに自由を浪費している存在であったが、今はどうだ、哀れで小憎い私の運命共同人であるのだ。自由は私がこの手で奪ってやったからだ。

 しかし、そう考えながらも彼はまたもや自分自身がブリキの切屑であるように感じ始めていた。私が蛙であったなら同じように答えるだろうか?いや、答え得ないであろう。ああ、蛙と私は同じ穴蔵に居ながら、全く異なった存在だったのだろうか!

 山椒魚は一気にそのように結論付けたが、不覚にも目から流れそうになった涙に気付き全神経をもってそれを堪えた。彼は悲歎にくれることを思うとおりに辞められることをだんだんと知ってきていた。「私は莫迦なのだろうか」と彼はどこへともなく呟いたが、頭上の凹みからの答えは無かった。

 諸君、山椒魚が、短い間とはいえ運命を共にした蛙の生死に無関心でこのように自己燐憫に苛まれる様子をどうか軽蔑しないでいただきたい。望まない孤独を経験した者がまたもや音もなく近づいてくる孤独の気配に怯え、何にも考えが及ばない様は、例え死という孤独を間近に控えた死刑囚ですら同情するであろう。既に彼は凍えるほど独りの暗黒に浸かり、その結果に蛙を岩屋に閉じ込めるという悪行に及んだのではなかったか。

 


 水中では藻の茎が左右にたゆたい、それらは時々空中からの日光の筋を遮り山椒魚の目をちかちかとさせた。蛙との問答が途絶えると、彼の考えに変化が起こった。彼は、岩屋から出られなくてもいいと思い始めていた。あれ程自分をなさけなく思ったことや、自分だけがこのようなやくざな身の上となるのはいかなることかと神様に不平を漏らし、懇願したことにもどうも合点がいったのだった。人々は現状に悲歎し尽くした後、このようになんとか満足を見出し受け入れることを覚えるものである。

 蛙からはあれから答えがないが時折小さな嘆息が聞こえてきたように思ってはニヤリとした。しかし動けないのは本当の様であるから、岩屋の窓は開けておいてやった。

 既にまた一年の月日が過ぎていた。薄暗い岩屋には外からの光が差し込んでいた。そしてそのことは杉苔や銭苔の繁殖を相も変わらず促していた。外をのぞき見れば谷川の淀みには目高たちが群をなしており、山椒魚は何年か前に彼らを見下し嘲笑したことを思い出した。

 私であったなら、私があの目高どもであったなら、この牢獄の外にいながらなんとも不自由千万なあのような泳ぎはしまい。彼はそう思ったのだった。自由に遁走して、あの群れにも属さない。しかし、と彼は続けた。この世で最も河の世界を縦横無尽に奔走できる自由を華やかに感じるのは私だろう。そして、それは私が目高達ではなく山椒魚として生を受け、この穴倉から出られなくなったからに他ならないのだ。長いこと渇望し続けている自由はどうにも手に入る気配がないが。ここで彼はこの不毛な自問自答を中止した。

 空中と水中の境では水黽達が退屈そうに立ち止まったかと思えば、気まぐれに前に前進した。山椒魚はぼんやりと彼らを眺めていたが、瞬間に突如日光が消え、辺りが真っ暗になったので飛び上がった。河の淀みは渦巻き、水黽は散り、目高達や他の小動物たちもジグザグに逃げ惑った。

 水中は何か大きなもので攪拌され、濁って何も見えない。山椒魚は恐怖で縮こまった。人間である。どうやら魚を捕まえているらしい。あいつらは鮎などを捕まえては空中へひっぱりだすのである。彼は、岩屋のできるだけ岩屋の奥に身体をひっこめた。

 ドーンと音がしたかと思うと長年暮らしていた岩屋が砕け、その破片と舞い上がる泥とで水中は真っ暗になった。山椒魚は叫んだ。固く目をつぶり嵐が去るのを待った。 

 やがて辺りを静寂が支配した。二三度瞬きをすると岩屋は明るい光に満たされていた。愛する憎き我が家は無残にも砕け散っていたが、山椒魚は自分が岩屋の外に出られることに気が付いた。恐る恐る外へ泳ぎ出し、左右のまだ見ぬ景色を堪能すると彼は自分が自由を手に入れたことにも気が付いた。


「なんとまあちっぽけな自由だろう!」。


 少しばかり慎重な気性の持ち主であるならば、彼のつまらなそうに笑う自嘲じみた笑声を聞いたであろう。山椒魚は振り返り岩屋の友を気にするそぶりを見せたが、やがて大きく尾を左右に揺らすと岩屋を背にぐいと進み藻茎の林の中に見えなくなった。



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