いざないの道
真昼の太陽に照り付けられたアスファルトの道は、ぼくの体を容赦なく焼こうとする。山の中にある県道とはいえ、気温を測ればとんでもない数値をたたき出すことだろう。
それでも、街中と比べると幾分か涼しく感じる。人間の感覚と言うものは不思議なものだ。
この時期にもなると、セミの鳴き声が山中によく響く。下手をすると、車の通る音さえもかき消す勢いだ。
そんな真夏の山道で、ぼくは自転車を走らせる。舗装されているとはいえ、アップダウンが激しいこの県道は、自転車ではきつい。特に上り坂は、途中で足を止めると、そこから進めなくなるのではないかと思えるほどだ。
その上り坂を上り切った先で、ぼくは自転車を止めた。頂上からついさっき来た道を見下ろすと、どれほどの勾配の坂を上ってきたのかよくわかる。よくもまあ、こんな坂道を上り切ったものだと、我ながら感心した。
あたりを見渡すと、人工物は何本かある電柱と電線、曲がり角にあるカーブミラー、そして誰が捨てたのかわからない空き缶やペットボトルといったゴミくらいしか見当たらない。他は木々がうっそうと茂るばかりで、一本道なのにまるで天然の迷路に迷い込んだような感覚に陥る。
山の反対側には、斜面を挟んで川が流れている。向こう側にある集落では、この川で遊ぶ子供もいるそうだが、こちらからは急な斜面で降りられない。
「ぼうっとしちゃったな。先を急ごう」
見慣れたはずの光景に思わず見入ってしまい、つい独り言を口走ってしまった。ぼくがペダルに力を入れると、下り坂の重力に引っ張られ、自転車は抵抗なく進んでいく。
しばらく下り坂からの平坦な道を進み、再び上り坂になったところで、一台の赤い車が通りかかった。車種は良く分からないが、高そうな車だ。あまりスピードを出していなかったその車は、僕の近くまで来るとゆっくりと止まった。運転席の窓が開くと、二十代前半だと思われる若い男性が顔を覗かせた。助手席には、その男性の連れだと思われる女性が座っている。
「すみません、部流っていうところに行きたいんですけど、まだ結構かかりますか?」
部流、というのはぼくが住んでいる地区の名前だ。ぼくは自転車を止めて、男性に道を教えた。
「くるまだったらすぐですよ。ここから東にしばらく行って、突き当りを左に、さらに道なりに行ってその突き当りを左に行くとすぐです」
「えっと、東ってことはこの道をずっとまっすぐ行って……あ、わかりました。ありがとうございます」
そう言うと、男性は軽くおじぎをし、窓を閉めながら車を動かした。あきらかに年下に見られていたであろうぼくに、丁寧にお礼を言う人も珍しい。ぼくは車が見えなくなるまで見送ると、再び自転車をこぎ始めた。
道を聞かれて思い出したが、この道は「いざないの道」と言われているらしい。ここらへんの集落に伝わる昔話だ。
死んだ人間は、天国を目指してこの道を進んでいく。しかし、ほぼ一直線であまり分かれ道もないこの道も、方向感覚を失っているからか、死者には複雑に見えるらしい。それゆえに、途中で道を外れることもあるとのことだ。そこで、この道の途中に何人かいる「死神」に、道を尋ねるという。
死神の多くは地獄で仕事をしているらしく、地獄に行く死者が増えると、その分自分たちの仕事が増えてしまう。そのため、そういう事情を知っている死神は、死者に天国へ行く道を教えるのだそうだ。しかし、中には仕事に熱心だったり、新人で何も事情を知らなかったり、あるいは個人的な恨みがあったりする死神は、死者に地獄へ行く道を教えるのだ。
そんな死神に目を付けられたり、騙されたりしないように、日ごろから熱心に勉強し、しっかり働き、人に親切にしなさい、という教訓が込められているらしい。しかし、ぼくにはいまいちこの昔話が理解でいなかった。
どうでもいい昔話のことを考えているうちに、もう一台の車がこちらに向かってきた。今度は白い軽トラックだ。先ほどの車と同じようにぼくの近くで来ると、軽トラックはゆっくりと止まった。窓から出てきたのは、五十代から六十代の初老の男性だ。
「あのぉ、部流には、どうやって行けばいいんかのぉ」
初老の男性が尋ねてきたので、僕は自転車を止めた。
「はい、ここから東へ道なりにまっすぐ行って……」
先ほどと同じように道を案内すると、男性は「ありがとう」と告げて行ってしまった。
この道はところどころ木々で視界が遮られ、特にカーブでは見通しが悪い。時々手入れが入るようだが、それでも車の事故が多発している。元々この道を通る車は少なかったが、その割に事故率が極端に高い。あちらこちらにカーブミラーや「速度落とせ」といった表示をしているのだが、一向に事故は減らない。
そのためほとんどの車は、少し遠回りになっても市街の国道を通って目的の場所へ向かう。今日みたいに、二台も車とすれ違うのは珍しいことだ。
またしばらく進むと、長い上り坂を上り切った先に大きなダムが見える。ここから先は道幅が広くなり、めったに車が通らないこの道にも、工事関係者やダムの関係者の車がよく出入りするようになる。見通しも先ほどよりは良くなり、事故がほとんど起こらない。
それゆえに、このダムは水と同時に、事故で死んだ人の魂をも溜めると言われている。地元民はもちろんのこと、市外からも心霊スポットとして有名だ。
「もう少しで着くかな」
ぼくはダムを見ながらつぶやくと、自転車をこぐスピードを上げた。
「うん……と……」
三つの道に分かれている交差点で、ぼくは自転車を止めた。近くに行先を示す看板はあるものの、ぼくには役立ちそうにない。
「このあたりのはずなんだけど……」
周囲を見渡し、それぞれの道の先を見る。山へ向かう道、市街地へ抜ける道、斜面を下りて川へ向かう道のようだが、目的地へはどの道へ向かえばいいのかわからない。
「のんびりしてはいられないんだけど、どの道へ行けばいいんだろう」
おぼろげな記憶をたどる。どこかで右へ曲がらなければならないのだが、それがどこだったか覚えていないのだ。
困った。誰かに道を尋ねたいのだが、周囲に民家などいないし、車が通る気配もない。さてどうしたものか。
「おや、こんなところでサボりかい? 君はここで一体何をしているんだい?」
突然後ろから声が聞こえたので、ぼくは思わず振り返った。そこには、真っ黒な服、というか布きれをまとった、ぼくと同じ年くらいの少年が立っていた。
「よ、よくわからないけど助かったよ。道を聞きたいんだけど……」
ぼくが行きたい場所を知っているかわからないが、せっかく見つけた人だ。ぼくは少年に思い切って尋ねた。
「おいおい、何を言ってるんだい? 君は人間のふりでもしているのかい?」
道を尋ねたのに、少年はまるで相手にしていないようだ。
「にんげんのふりって、ぼくは人間だよ。人間じゃなかったら、一体何だっていうのさ?」
「何って、僕らの仲間に決まってるだろ?」
「はぁ、言っている意味がよくわかんないんだけど……」
仲間、とは一体何のことだろう。ぼくはだんだん少年が怖くなった。
「あれ、君は新人? そっか。そういえば最近……」
少年は腕を組んで、一人でうわごとを呟き始めた。最近? 何かあったのだろうか?
「まあでも、ちょっと見てたけど、新人にしてはきちんと道案内できてたんじゃないかな。でも困ったな。今僕らは忙しいんだ。あんまりそっちに案内されてもね」
そっち? たしかに道案内はしたが、部流地区で何かあるのだろうか?
「そういえば最近は無意識に案内する奴もいるって聞いたね。一応言っておくと、君が案内した場所は地獄だよ? ちゃんと分かってる?」
「いや、そんなことは……って、地獄?」
ますますわけがわからない。部流地区が地獄? それとも、昔話の話でもしているのだろうか。あるいは、ぼくが……
「まったく、死者も昔と変わってきてるらしくてね。今でこそ車やバイクみたいな、生前好きだった乗り物でこの道を通る死者が多いけど、昔は歩いて通っていたからね。案内する死神も、結構サボってたらしいよ。今はそんな余裕ないはずなんだけどなぁ」
「な、なんだよあんたは!」
あまりに少年が言っている意味が分からず、思わずぼくは怒鳴ってしまった。
「何って、死神だよ、し・に・が・み。君もそうじゃないか。いやあ、それにしても新人でいきなり地獄へバンバン送る死神なんて、やる気が違うねぇ。あ、もしかして自転車で移動してたのも、他の死神に取られる前に、死者を効率よく探そうとしてたから?」
「いい加減にしてくれ! ぼくは死神なんかじゃない! ちゃんと行く場所を探してるんだ!」
ぜいぜいと息を切らしながら、ぼくは可能な限りの大声を上げた。すると、少年は「ああ、なるほど」と手をぽん、と叩いた。
「ああ、君が探してる場所って、そういうことか。僕が連れていってあげるよ」
連れていく? 一体どこへ? そもそもこの少年が、僕が行きたい場所を知っているとは思えない。
「君も分かってるんだろ? 君がしゃべったこと、最初から頭で考えてごらん。頭で、あ・た・ま・で、だよ。なんか違和感があると思ったら、そういうことだよ。君はさっきの言葉で、自分が死んでいるってことに気が付いたんだよね。それに、君の案内。場所や方角を示す言葉を、異国の言葉にして頭で考えたらなるほど、地獄に行くってことになるよね。じゃ、そういうことだから、君の配属先に行こうか」
少年の言葉を聞き、少年について行く途中、ぼくは最初から自分でしゃべったことを思い出した。
そしてそれを頭だけで考えた時、ようやくぼくは思い出した。
ぼくはつい数時間前、カーブを曲がり切れなかった車に自転車ごと轢かれて死んだんだ。
そして、ぼくは知らず知らずのうちに、道を聞かれた人に地獄への道を案内していた。
死んだのも気が付かず、死神としてさまよって、本当は目的地なんてないのに、自転車で先を急いでいたんだ。
君も、ぼくがしゃべった言葉を取り出して、頭だけで考えてごらん。そしたら、ぼくは最初から死んでいたってことがわかるから。
そしてほら、道案内の時に使った、「ここ」「東」「左」「左」。異国の言葉って言っても英語くらいしか知らないから、試しに頭で考えてごらん。
答え合わせは、ずっと下にあるよ。
「ぼ く は も う こ の よ に は い な い」
今回は「言葉遊び」や情景描写を中心として書いたため、ホラーとしては怖さがイマイチだったかもしれません。
「犯人は語り手」的なものを書いてみたかったので、こんな感じで書いてみました。いかがでしょうか。
前回(夏のホラー2013)ががっつりホラーだったので、怖い要素は少ないですが、それでも楽しめていただけたらと思います。
……え、意味が分からない?
まず、「語り手のセリフ」を抜き出してみましょう。地の文ではなくて、会話文のみです。それらの最初の文字を繋げて読んでみてください。
それと、方向を示す単語の変換ですが、
ここ=Here
東=East
左=Left
です。ここまで書けば後はわかるでしょうか。地名も「部流」で「ヘル」ですしね。
あんまり出来がよくなかったかもしれませんが、こんな感じの、言葉遊びを重視した話をどんどん作っていけたらなぁ、と思っています。