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テイルス・オブ・アンタクティカ  作者: せりもも


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おばあさん

 「北」とは何か、聞き忘れた……。


 サンジュが思い至ったのは、再びクラーク山脈を越え(さすがに今度は、比較的標高の低い山を越えた)、ラウルス皇国の領内に入ってからのことだった。

 どうやら、方向を表す言葉のようだが、それにしても、まわりがすべて「北」では、意味をなさないではないか。

 サンジュは、腹時計と太陽で、位置を図っていた。

 それで、十分だった。




 山道は、やがて平らになり、周囲は、柔らかそうな草が生えた平原になった。

 ところどころ、白やピンクの、かわいらしい草花の咲き乱れる草原に、陽の光が、いっぱいに差し込んでいる。

 モードカーク山頂の、あの凍える思いが、嘘のようだ。


 歩く速さもゆっくりになり、サンジュは、のどかな気分になっていた。


 ラウルス皇国の首都、アルスは、美しい都だと聞く。

 優雅な建造物が整然と立ち並び、合い間合い間に、緑の樹木が枝葉を茂らせている。あちこちに、ベンチが置かれ、人々の憩いの場となっている。

 そして、人は優しい。

 けんかやいさかいなど、見かけられることは、決して、ない。

 人々は、静かにほほ笑み、困っている人がいたら、最初に見つけた人から、手を差し伸べる。

 そうした人と町のたたずまいの奥に、王宮が、気高く、美しく、聳え立っている。

 全ての人民を慈しみ、守るように。

 サンジュは、コングラ師から、そう聞いていた。

 聞いて、憧れていた。


 なにしろ、サンジュの家ときたら、とんでもないあばら家で、身近な人と言ったら、コングラ師だったわけだが、この老人ときたら、優しさなど、爪のアカほども持ち合わせていなかったからだ。


 この、のどかな野原の先に、美しい都と、素晴らしい人たちがいるのだな。

 人生は()いものなのだと、サンジュは思った。




 こんなふうに、うらうらと、いい気分で外を歩くことは、サンジュとしては珍しく、人生で、初めてだったかもしれない。

 だから、油断していたのだろう。

 さもなければ……。




 のんびりと王都アルスを目指していたサンジュは、腰を曲げ、杖をたよりによたよたと歩く、老婆の後ろ姿に気が付いた。

 のんびり歩いていたとはいえ、サンジュの方が歩くスピードの方が、はるかに速いので、すぐに追いついた。

 ただでさえ、小柄なばあさんで、体を二つに折って歩いている姿は、なんだか、憐れを誘うものだった。


「もしもし、おばあさん。どちらへ行かれるのですか?」


少し足を速めて横に並びざま、サンジュは、尋ねた?


「あ~?」

ばあさんは足を止め、耳の辺りに手をあてがった。


 顔は、すっかり皺くちゃである。目や鼻は、皺にうずもれており、口もすっかりすぼんでしまっている。

 肌の色は、ジークやカイトと同じようであるが、なにせ、皺だらけなので、判然としない。

 灰色の髪は、後ろでおだんごに結ってあった。何を血迷ったか、真っ赤なかんざしが突き刺してある。

 こんなに暖かいのに、暖色系の毛糸で編んだもこもこしたベストを着用しており、茶色の長い、毛のスカートの下から、グレーの毛糸のタイツがのぞいていた。

 杖の柄に、くすんだピンクの手提げ袋が結いつけられている。

 老婆は、黒に近いこげ茶色の目で、不思議そうに、サンジュの顔を眺めている。


 そのあまりの邪気のなさに、サンジュは、ぼけているのか、と不安に思ったが、すぐに、耳が遠いのだと気がついた。

 サンジュは、ごく優しい性格だったので、にっこり笑って、老婆の前に、背を向けて屈んだ。


 「おお、ありがと、ありがと」


長い人生のどこかに、遠慮というものを振り落してきたと見えて、老婆は、一瞬のためらいもなく、サンジュの背に、のしかかってきた。

 こんなに枯れたばあさんなのに、けっこうな重さだった。

 常に、鍛練を怠らないサンジュだからこそ、背負い上げることができたが、普通の青年だったら、立ち上がることすらできなかったろう。


「あっちは、ハシタメの家へ行くんだにゃ」

 老婆が、耳元でがなりたてた。

 「あっち」が「あたし」のことで、「ハシタメ」が、下女のことだと気がつくまでに、一瞬の間があった。


「道を教えてよ」


 とりあえず、笑顔で、サンジュは尋ねた。

 もっとも、おんぶをしていては、せっかくの笑顔も、老婆には、見えはしなかったろうが。


「あっちだにゃ」


 老婆は即答した。

 左手を伸ばして、指示している。

 あれ、耳はちゃんと聞こえてるみたいだな、と、サンジュは思った。

 耳が不自由かも、なんて疑って、悪いことをしたと、反省した。


 「わかった。その人の家まで、連れて行ってあげる」


 かなりの重さで、足が、地面にめりこむようだったが、サンジュは、笑顔で答えた。

 やはり無駄な笑顔だったわけだが。




 生温かくて、重いものをしょったまま、一歩一歩、サンジュは歩いていく。

 老婆は荷物ではないので、粗雑に扱うわけにはいかなかった。なにより、老婆自身が、揺れるの落ちそうになるのと、ひっきりなしに文句を言うのだ。


 「おみゃーさんのおんぶは、年寄りに、優しくないねえ」


「ごめんよ、おばあさん。俺は、女の人をおぶったのは、初めてなんだ」

というか、女の人に会ったのも初めてだけどね、と、サンジュは心の中で付け足した。


 プリンセス・イガミは、勘定に入れなくていいだろう。パンミアは……あれは、雄・雌、どっちだったのか。いずれにせよ、雌雄を超越している。


「おお、嬉しいことを言ってくれるねえ。あっちが、あんたの初めての女かい。こりゃ、嬉しいねえ」


「いや、それは誤解を招く言い方だけど……」


「あんた、いい若もんだねえ。今どき、珍しいがや。時に、あっちの足に、ごちごち当たる、これは、何だい?」


 サンジュは、腰から、エレメントの剣を吊るしていた。

 ジークは、小さくして持ち歩けと言っていたが、せっかくの戦利品をみせびらかしたい気持ちが、サンジュにはあった。

 老婆の他に、誰がいたわけではないが、サンジュは、剣をそのままの大きさで腰に吊るしていた。

 もちろん、丈夫な鞘に入ってはいたが、それが、内腿の辺りにぶつかって痛いと、さきほどから、老婆は不平を言い続けていたのだ。


 「これはね……」

エレメントの剣、と言いそうになって、危ういところで、言葉を止めた。


 ラウルス皇国では、一般の人は、武器を携帯することも許されていなかった。

 サンジュは守護になったのだから、もちろん、剣の携行許可されている。

 しかし、カイトのように、人を殺すのが好きだから守護になったなどと、とんでもないことを言いだす輩もいる。

 剣を持ち歩いている、ということが知られてしまうのは、あまり好ましいことではなかろうと、ぎりぎりのところで、気がついたのだ。


 「腰を鍛えてるんだにゃ」


続きをいいあぐねていると、老婆が代わりに続けた。


「若い男にとって、腰を鍛えることは、大切なことだからにぃ。これで、この国の将来の人口は安泰。いっひっひ」


老婆は不気味に笑ったが、サンジュは、今ひとつ、意味を取りかねた。


 「ところでおみゃーさん、名前は?」


「お礼なんていらないよ、おばあさん」

あとでお礼をするつもりなのだと、サンジュは思った。


「お礼なんかせんわ、心配しのうても。老人に親切にするのは、当り前だに」


「まあ、そうだけど。俺は、サンジュって言うんだ」


 そういえば、堂々と自分の名を名乗ることができたのは、初めてだったと、サンジュは気がついた。

 ジークもカイトもサンジュの名前を知っていたし、パンミアの時は、ジークに先を越されてしまった。

 今、ようやく、堂々と名を名乗ることができた。

 まあ、見ず知らずのばあさんが相手で、しかも、おぶったままのこの姿勢では、二人とも同じ方向を向いたままであったわけだが。


 「おばあさんの名前は?」


そう聞いたのは、ごく儀礼的な挨拶だった。

 だが、サンジュの背の上で、老婆は身をくねらせた。


 「おばあさん、危ないよ、そんなに動いたら」


「おみゃーさん、あちきの名前を、聞きたいのかや?」


「え? だって、いつまでも『おばあさん』って呼ぶのは、失礼かと思って」


「そうかい、そうかい。あちきの名前を知りたいのかい。難しい名前だよ。いいかい、よーく聞いてちょ」


ひどくもったいぶって、老婆は、言葉を切った。


「あちきの名前はねえ……」


 サンジュは、ぴたりと立ち止まった。

 老婆を背負ったまま、素早く辺りの気を嗅ぎ取る。


 「あちきの名は、ジュス……」


「ばあちゃん、すまん!」


叫ぶなり、サンジュは、大きく跳躍した。

 次の瞬間、今まで二人のいたところに、大きな筋張った足が、どーんと、落ちてきた。

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