妖獣パンミア
「ここでいいよね」
プリンセス・イガミが、サンジュとジークを下ろしたのは、曲がりくねった白い道の真ん中だった。
道の先には、丸い屋根を頂いた、こんもりとしたシルエットの宮殿があった。
竜は、金色に輝く瞳で、サンジュとジークを慈愛深げに見据えた後、ふわりと浮き上がった。
助走も滑空もなく、そのまま真上に昇っていく。
はるか上空で、凝固したように上昇を停止した。
それから、ゆるゆると身を伸ばす。
「じゃあぁ、ねぇ~……。生きて、帰ってねぇ~」
カイトが叫ぶと、それが合図だったかのように竜は典雅に滑り出した。
凄まじいスピードだった。
竜の姿は、あっという間に、広い空の彼方にかき消えた。
「生きて帰れって、さ……」
サンジュとジークは、顔を見合わせた。
ガラス質の砂利を、さくさくと踏んで歩き、まもなく、宮殿についた。
わりとこぢんまりとした宮殿だ。
壁には、色とりどりの貴石が、やたらとたくさん、はめ込まれている。
豪華な素材を使っているわりには、とっちらかった見栄えの宮殿だった。
「ごめん下さい」
「待て」
宮殿の門前で、行儀よく案内を乞うジークを、サンジュは制した。
「あまりに育ちがよすぎる。この場合は、こうだろ。……頼もう!」
サンジュが叫ぶと、門が、大きく開いた。
「なかなか便利なシステムだな」
奥へ進みながら、ジークがつぶやく。
中は、回廊になっていて、その中央は、吹き抜けになっていた。
大きな岩やサボテンが、太陽の光を浴びて、屹立している。下は、白い、さらさらとした砂だ。
真ん中に、立派なじゅうたんが敷かれ、その上に、奇妙なものがいた。
まず、全体的に白い。
しかし、上半身は、顔以外は、黒い。
きょとんとしたまん丸の目、突き出たくちばし。手は羽である。
腹の辺りで、毛並みが劇的に変わっている。色は同じ白だが、上半身の羽毛から、毛皮になっているのだ。
短いながら、ちゃんとしっぽもある。
大きさは人間くらいで、がっしりとした二本足で、直立していた。
ジークが、感心したように言った。
「キメラだな……」
「キメラ?」
「あいのこさ。こいつは、ペンギンと白クマのあいのこ、ってとこかな」
言われてみると、確かに、その間抜け面はペンギンのものだったし、胴体は、白い熊に見えなくもない。
ジークが、ぐっと頭をもたげた。
「僕は、ジーク。エレメノンをもらいにきた」
遅れをとったと思い、サンジュも慌てて、名乗った。
「俺はサンジュ」
そいつは、短い両羽を、ぱたぱたと振って、飛び跳ねた。
「若い男が、礼儀正しいのは、大好き。あたいは、パンミア。エレメノンの守り番。お前たち、惜しかった。もう少しで、遅刻だったのに。エレメノン、もらえないところだったのに」
「惜しかった?」
「ふん。プリンセス・イガミが、また、邪魔したな」
甲高い、舌足らずな声で、パンミアが、叫んだ。
「心が読めるのか……」
「ははん。ジーク、お前、今、遅刻したらどうなったか、って思ったろ? 教えてあげる。喰っちまうんだよ。イキのいい若い男は、おいしいよ」
「心を読まれてる? サンジュ、何も考えない方がいい」
「わっ、グロい映像。両手足を千切って、喰われる図? で、さっきからやたら無口な、そっちのお兄さんは……」
サンジュは、静かにパンミアを見返した。
パンミアが、すっとんきょうな声をあげる。
「あれぇ、お花畑」
何も考えないことは、サンジュには、得意技だった。
というか、普段から、ほとんど、物を考えたことなどない。
空腹のときは、食べ物のことを考えてしまうことが多い。でも幸い今は、腹は減っていない。
「ふん、これだから、単純な男は嫌い。よーし、サンジュとやら。お前からだ」
パンミアは、退化した羽を、ぶるんと振った。
あっという間に、二人と一匹……? は、庭の隅の、ライオンの像の前に立っていた。
白い石膏でできた、頭部だけの像である。
見上げるほどに大きい。
吠えているのか、口を、大きく開けていた。
鋭い牙と、びっしり生えた歯が、奥までのぞけている。
「この口の奥に、エレメノンの剣はある。た・だ・し~」
パンミアは、嬉しそうに、にたりと笑った。
「もし、生まれてから今まで、一度でも嘘をついたことがあったなら、このライオンは、即座に生身となり、お前を、頭から、ばりばりと喰い殺すであろう」
「無茶だ!」
ジークが叫んだ。
「生まれてから、一度も嘘をついたことのないやつなんて、この世の中に、いるはずがない」
「また、血まみれの映像。わあ。サルが、喰われてる。……そういえば、似てるかも」
パンミアはジークから目を離し、しげしげとサンジュを眺めた。
「だから、人の心を覗くな!」
ジークがわめいた。
パンミアは嬉しそうに、にたにた笑った。
「若い上品そうな男が激昂する姿って、ステキ」
「なんたる悪趣味」
「あらら。サルのお兄さんは、相変わらずの、お花畑。どうする? ライオンの口の中に頭を突っ込まないと、エレメノンの剣はあげないよ」
「サンジュ、戻ろう。無理だ」
ジークにつかまれた腕を、静かにほどき、サンジュは、にっこり笑った。
「あいかわらずのお花畑~。黄色い、これは、ひまわりか~」
静かにライオンの像に近づき、サンジュは無造作に、上半身をその口に突っ込んだ。
「あっ!」
ジークが叫んだ。
次の瞬間、サンジュは、にっこりして、牙の間から、上半身を引き抜いた。
その手には、白く輝く剣が、握られていた。
「き、君……。信じられない。今まで嘘をついたことがないのか? 単細胞だとは思っていたが……」
呆然として、ジークがつぶやいた。
「初めてだ、初めてだ!」
けたたましく、パンミアは叫んだ。
「何も考えてなくて、嘘をつくだけの想像力もないやつなんて、初めてだー!」
「なんだか、ほめられた気がしないなあ」
「おそるべき……おそるべき、サル!」
「パンミア、約束だ。この剣は、もらうぞ」
「うーん。さっきも、力づくでミョルニルを持ってかれちゃったしなあ。今日は、ついてない。ま、ミョルニルは、あんま人気がないし、売れ残ってたのだからいいけど、剣は、人気があるからなあ」
「なにをわけのわからんことを……」
「だけど、こいつ、課題をクリアしたからなあ。パンミアは、約束は守る。ちょっと惜しいけど、仕方ないのかなあ」
あきらめの悪いパンミアなど無視して、サンジュは、剣を振ってみた。
太陽の光を浴びてきららかに輝く剣は、かすかに水気を帯び、刀身から水滴が滴ったように見えた。
「佳い剣だ」
サンジュはつぶやいた。
パンミアは、なおも、未練がましく、短い羽をぱたぱたさせながら、サンジュの周りをうろついていた。
「おい。僕のことを、忘れてないかい?」
ひがみがましいセリフを、なかなかさわやかに、ジークが、口にした。
剣を掲げるサンジュを先頭に、一同は、再び、あのじゅうたんのところまで戻ってきていた。
よいしょと、厚いじゅうたんの上に乗り、パンミアが言った。
「でも、剣は、こいつに取られちゃったよ。それにお前は、嘘をついたことがあるんだろう?」
「そりゃ、あるよ。人間だもの」
傍らで聞いていたサンジュは、むっとした。
「どーゆー意味だ」
「別に、お前を、魔物だと皮肉ってるわけではない」
あいかわらず、涼やかに、垂れてきた前髪などを、ふっと吹き飛ばしつつ、ジークが言った。
気を取り直したように、パンミアが言う。
「ま、いい。剣なら、鍛えれば、いいんだから。でも、喰われるとわかっていて、ライオンを試すのは、つまらない。お前には、なぞなぞだ」
「お、頭脳戦だ。大丈夫か?」
サンジュは不安になった。
ジークは、確かにそつのない男だが、あまり頭がいいようには見えない。
だが、マフラーを貸してくれた。
こいつは、いい奴だ。
負けてほしくない。
ジークは、にっこり笑った。
「望むところだ」
「よーし、男に二言はなし。後に引くなよ。ちなみに、正しく答えられなかったら、一生、あたいのペットになる」
思わずサンジュは割り込んだ。
「ちょっと待て。罰則が、俺はライオンの餌で、ジークは、ペットか? 待遇が違いすぎないか?」
「違わない。こんなやつのペットになるくらいなら、ライオンの餌になった方がいい!」
「いみ、ふ~」
パンミアが言った。
サンジュとジークは、また、顔を見合わせた。
「まあ、よい」
パンミアが仕切り直し、ぐいと、貧弱な胸を突き出す。
「では、問題。北を指させ」
「北? 北って、なんだ?」
サンジュは、パニックになった。
「北」なんて言葉、聞いたこともない。
「ああ、わからない。ジーク、かわいそうに。こんなやつのペットになるなんて」
だが、ジークは、まるきり冷静だった。
静かにパンミアを押しのけると、じゅうたんの真ん中に立った。
人差し指を真横に伸ばす。
サンジュは、息をのんだ。
そのまま、ぐるりと一回転した。
「え? どういうこと?」
サンジュには、さっぱりわからない。
しかし、パンミアは叫んだ。
「正解だ! ジークは、あたいの弟子になれなかった!」
「当り前だ。さあ、パンミア。エレメントは、もらうぞ」
「後払いでいい? 鍛えて剣にするのに、時間がかかる」
「あのね。僕の欲しいのは、剣ではない。僕が欲しいのは、エレメントの塊。そう。ここ、ルート・ゼロ・ポールの地下に眠る、エレメントの鉱脈」
「な、なんだって!」
初めて、パンミアが慌てた。
黄色いくちばしをかちかち合わせ、短い羽をはばたかせようとする。
「だめだ、だめだ、そんなことができるわけがない!」
「できるんだな、これが」
遠くから、ぱらぱらという、なじみの音が聞こえてきた。
「あ、へりこぷた……」
それも、一機ではない。十数機は飛んでいる。
「殿下。設営はどこに」
先頭のヘリから、ジークより浅黒い顔の、黒髪の男が顔を出した。
ジークより数歳、年上のようだ。
「あー。僕は、ジークだよ、ユージン」
「失礼いたしました。ジーク様。地下資源採掘のための基地は、どこに設営いたしましょうか?」
「近い方が効率がいいな。宮殿は、壊しちゃうかもしれないけど」
「わーっ、お城を壊すなんてー」
パンミアが泣き叫ぶ。
「大丈夫、あとでちゃんと、建て直してあげる。今度は、白亜の城にしようね」
ばたばたと暴れるパンミアを捕まえて、その頬とおぼしき辺りに、ジークは、軽く唇をつけた。
ぎゃっと叫んで、パンミアは、白目をむいてひっくり返った。
「ジークさま!」
空から、責めるような声が降ってきた。
「ただのあいさつだよ。だって、この……なんだろ、人じゃないし……は、僕の夢をかなえてくれるんだからね。海洋の守護になりたいという、僕の夢を」
「海洋の守護?」
確か、カイトは、天空の守護と言っていた。
そして、ジークは、海の守護を目指している?
しかしそれが、エレメントと何の関係が?
ヘリコプターがあまりにもうるさく、サンジュの頭は、思うように働かない。
もっと、普通に働いていても、腑に落ちる答えを得られたとは思えないが。
「エレメントは、あらゆる性質をもつ、理想の元素さ。僕はそれで、理想の乗り物を作る。海の中にも、自由に潜れるような、ね」
ジークは、ほとんど、なまめかしいとも思える目つきで、サンジュを見つめた。
「剣を貸してごらん」
手に入れたばかりの剣を貸すのはいやだったが、ジークは、何の抵抗もなく、サンジュの腰から、鞘ごと、剣を抜いた。
一振りすると、見る間に剣は小さく縮んだ。
「ごらん。これも、エレメントの特徴のひとつ。君は小柄だから、剣も小さくしておいた方がいいね」
「も、もとの大きさに戻るのか?」
「あたりまえだよ」
ジークはにっこりとほほ笑んだ。
剣は、もとの大きさに戻った。
ジークはそれを、サンジュに返した。
「ただ、心の中で念じればいいんだ。ね。素晴らしい性質だろ? でもね、エレメントには、他に、もっともっとすぐれた性質があるんだ。剣なんかにしてしまうのは、もったいないんだ、本当は」
「ジークさま!」
空からまた、声が降ってくる。
「あれは、誰?」
サンジュは尋ねた。
「ユージン・アムール。優秀な技術者でもある。そういうわけで、僕は、しばらくここに留まることにするよ。君は、ラウルス皇国に戻るんだろ?」
「もちろん。俺は、ラウルス皇国の守護だ」
「森へ帰るのか?」
「いいや。コングラ師は、自分の道を見つけよと言われた」
「そうか」
ジークは頷いた。
金色の髪が、さらさらと風に舞う。
ユージンの乗ったヘリコプターが、威嚇するように、サンジュの頭の上を、飛びぬけていった。
サンジュは轟音に、首をすくめた。
そして、ジークにキスされて、ひっくり返ったままのパンミアを指さした。
「ところで、あれ、どうする?」
「この宮殿は、壊しちゃうからなあ。困ったなあ。とりあえず……」
ジークは、パンミアを、高価なじゅうたんでくるんだ。
「こうしておけば、目が覚めた時、風邪をひかない」
よく気がつく男だな、と、サンジュは、ちょっと、感心した。
空の機影は、さらに数を増している。
そのうちのいくつかは、すでに地上に着陸し、さまざまな機材の梱包を解き始めていた。
機械の動作音、ヘリから降りた人々の声。
騒然とした空気が、辺りを覆っている。
「俺は、もう行くぞ。騒がしいのは苦手だ」
「ああ。ユージンに遅らせようか?」
「とんでもない」
「え?」
「いや、いい。走っていく」
「あいかわらず、人間離れした運動能力だな」
「俺は、魔物じゃないぞ」
くどいと思いつつも、サンジュは、念を押さずにはいられなかった。