湖水を渡る
どうしてそこへ行けば、ジークに会えると思ったのだろう。
確信はなかった。
しかし、少なくとも、湖のほとりで、たったひとり佇むジークを見つけた時、サンジュは、驚かなかった。
「塔から見えるよね。君、ここに、デジレを連れてきてくれたろう? 僕も、来てみたかったんだ」
照れ臭そうに、ジークは言った。
「海の乗り物はどう? うまくいってる?」
「潜水艇のこと? ああ、順調だ」
「本当に、結界を超えるのか?」
「エレメント製なら、それも可能だ」
強い瞳で、サンジュを見た。強い光……だが、じっと見ていると、その底に、かすかなためらいが、たゆたった。
「今、薬草の研究もしている。いつか、デジレを取り戻して……その時は、サンジュ、君も、一緒に来てくれるか?」
サンジュは、ろくに考えなかった。
「もちろん」
ジークは、ふっと、目を伏せた。
「ありがとう。君は……」
言葉を切った。
「やさしい、という言葉は、嫌いだ。やさしさの国・ラウルス皇国、なんて言うけど、この国の人は、誰一人、やさしくなんかない。そばに寄ると、いがいがしたトゲを感じる」
ジークは、石を拾って投げた。
丸いそれは、どぼん、と湖に沈んだ。
兄妹そろって、へたくそ、と、思った。
あ。
ジークとデジレは兄妹ではなかった。
だが、こんなところが、よく似ている。
「サンジュ」
ジークが振り返った。
青い美しい瞳でじっと見据えられ、サンジュはうろたえた。
「なんだよ」
ことさらに、乱暴に問い返す。
「デジレを、君に託したい。君なら、あの子を、幸せにできる」
「な、な、な、」
「君と一緒だと、あの子は、のびのびとできるんだ。皇女であることを忘れることができる。君と一緒なら、あの子は、幸せになれるんだ」
「デジレが好きなのは、君なんだろ?」
やっとのことで、サンジュは言った。
ジークは吹き出した。
「何を言ってる。兄と妹なんだよ?」
「ジーク……」
言いかけて、サンジュはためらった。
カイトもジュスティビエーヌも、クロエでさえも、二人が兄妹であることは、本人たちにも言うべきではない、との意見だった。
もし、ジークがその事実を知ったら、ジークは帝を殺すから、とクロエは言った。
デジレにだけ真実を告げたとしても、いつの日かきっと、ジークにもわかってしまうだろう。
ジークに帝を……実の父親を、殺させるわけにはいかない。
だからサンジュも、この重大な秘密を守ることに同意した。
しかし……。
あれから考えた。
もし、カイトたちが、デジレの心をジークから引き離し、サンジュに向ける為に、そう言ったのだとしたら?
兄妹なら、恋愛はできない。
でも、従兄妹なら……。
サンジュ自身、デジレが好きかと問われたら、なんと答えるだろう。
自分はひとつのことにしか集中できない性質だから。今、自分にとって一番大切なのは、守護の仕事だ。
でも、それは答えになっていない。
皇女と守護。
しかも、忌み嫌われる、黄色い肌の守護。
生まれて初めて、サンジュは臆病になっていた。
デジレへの自分の気持ちを、認めたくない。
自分を守る為に。
勇者にふさわしくないたじろぎだった。
それに、フェアじゃない。
ジークとデジレが、この事実を知らされないということは。
二人は、知るべきではなかろうか。
自分たちは、兄妹ではない、という厳正な事実を。
もし、ジークが……。
サンジュはジークを見た。
「ジーク。あの時……城で、帝を殺さなかったのは、なぜだ?」
「なぜ? 僕は、本気であいつを殺そうと思ってた。でも、ユージンが……」
……あなたは、廃太子。もはや、ラウルス皇家とは、完全に縁が切れているのです。……世界は広うございます。この国、このアンタクティカ大陸の他にも、必ずや、生きる場所はございます……。
「ユージンに言われたから? 違うだろ。臣下に言われたからって、自分を曲げるような君じゃない。君は本当は、帝を殺したくなかったんじゃないか?」
「馬鹿を言え。僕はいつだって、あいつを……」
ジークをさらに怒らせると知りながら、あえて、サンジュは彼の心臓をえぐるようなことばを口にした。
「それは、帝が君の父親だから」
「ちがうっ!」
ジークの頬は、怒りでピンク色に染まった。
恥じらう時のデジレとよく似た、健康的な色だと、サンジュは思った。
実の兄妹でなくても、二人は、よく似ている。
我を忘れたように、ジークは叫んだ。
「それだけは、ありえない!」
「それじゃ、帝がデジレ姫の父君だから?」
「え?」
さっきまでの怒りを忘れたように、ジークは、ぽかんとしてサンジュを見つめた。
「デジレの父君だから、殺せなかった……」
そのままジークは口をつぐんだ。
長い時間が経った。
実際には、ほんのわずかな時間だったのかもしれない。
やがてジークはつぶやいた。
「そうかもしれない。僕はあの子を、悲しませたくない……」
やっぱり、クロエは正しかったのだ。
いまはまだ、デジレが帝の娘ではないということを、二人が兄妹ではないという事実を、ジークに知らせるわけにはいかない。
もし、知ってしまったら、必ずやジークは、帝を殺すだろう。
いやいやをするように、ジークは、激しく首を横に振った。
「せっかく守護になれたのに。人を殺す権利を手に入れたというのに」
「違うだろ」
強い口調で、サンジュは言った。
「君が守護になったのは、海を守る為だ。王宮で、君は、たくさんの人の上にエレメノンのバリアを張った。君は、危険を冒して、結界を超え、大海原へ出て行こうとしている。君は、守護だ。ジーク。君は、海洋の守護なんだ」
はっとしたようにジークはサンジュを見た。
サンジュは続けた。
「廃太子だろうが、デジレの兄だろうが、そんなことは関係ない。君は、ジークだ。そして、自分で望んで、守護となった。だから、俺は、ずっと、君の味方でいるよ」
「サンジュ」
ジークは、目を大きく見開いて、サンジュを見つめた。
吸い込まれるような、青い瞳だ。
その澄んだ輝きを見ているうちに、サンジュは、コングラの口癖を思い出した。
「大きな樹の下では、若木は育たない」
「は?」
「コングラ師の口癖だ。本当は寂しいくせに、あの人は、最後まで、カラ元気をふるって、俺を、送り出してくれた」
「いい師匠だったんだな」
「ああ」
ちょっと考えてから、ジークは付け足した。
「セイタカ師もいい先生だったけど……。あの人は、気の利いたことを言えないんだ」
……帝も、コングラ師と同じだよ……。
サンジュは、そう言いたかった。
でも、言えなかった。
そんなことを言ったら、ジークは、さっきにもまさるほどの、ものすごい剣幕で反論してくるに違いない。
言い合いをして、勝てる自信は、なかった。
確証があるわけでもないし。
ただ、ジークが出て行った後、王座に腰を落とした帝を見た時、サンジュは、直接、胸に、感じてしまったのだ。
……ジークが行ってしまう……。
そう強く感じる、さみしさのような波動を。
結界が揺らいでしまうほど、息子を憎んでいるのに、やっぱりこのひとは……。
サンジュには、親はいない。
育ててくれたコングラがいるだけだ。
それで充分だ。
帝の気持ちは、よくわからない。
ジークの気持ちも、わからない。
高らかに、サンジュは宣言した。
「俺は、弱さの守護になる」
自らを弱いと認める人の、不器用さと善良さ。
それを、サンジュは守りたいと思った。
それが、今のサンジュの、未熟な守護としての、ぎりぎり限界の、想いなのだ。
「弱さの? なんていうか……。守護ってのはさ、海洋や天空や、愛や知、なんかを、守るものだろう? そういう、素晴らしいものを。なのに、サンジュ。君は、弱さを守るの?」
「変でもいい。俺は、弱さの守護になるんだ」
これ以上、踏み込んではいけない。
ジークとデジレが、お互い、兄妹でないと知る日まで。
サンジュは平べったい石を拾った。
軽く投げたように見えるそれは、鏡のような湖水を、小さく弧を描いて滑りながら、はるか向こうへと、渡っていった。
お読みいただき、ありがとうございました。
改稿した結果、魔道書や、グスタフ・ペネロペ兄妹など、拾い切れない伏線が発生してしまいました。そこで、2014年5月から7月にかけて続編を掲載したのですが、これが、全く違った話になってしまいました(こちらまでお目通し頂いた方、本当にありがとうございました!)。
ミステリとなってしまったその物語は、新人賞応募の為、取り下げさせて頂きました。
トリックに、著作権はありません。
そもそも読んで頂ければ天にも昇る幸せ、著作権には、あまりこだわりがありません。
つーか、そもそも、話題になるほどのトリックでもないですし(それを新人賞に……以下略)。
もし、この先、同じようなトリックに行き当たってしまった時、
「でも。でもでもでもっ。このトリックを最初に考えたのは、私だもんね」
と、心の中でつぶやきたい。
ただその為に、次話に、ミステリとなってしまったその物語の、謎解き部分だけ、残させて頂きます。
わがままを、お許しください。




