バッドロード
城門を通過した。
目の端を、城郭の高い塀を見ながら、車はゆっくりと、塔を目指す。
「あ、あ、あー」
変な声を出してから、運転席のジーヴスが注意した。
「ゆ、揺れますので、皆様、し、し、しっかり、お、お、おつかまりを……」
先ほどまでの、なめらかな走行が嘘のようだった。
車は、がたがたと、道なき道を突き進んでいく。
「す、す、すみません、車はもとも……と、ほ、ほ、舗装された、ど、道路をは、は、走るものでございまして……」
運転席で、ジーヴスが必死で説明するが、誰も聞いてはいない。
座席の上で、カイトは毬のようにポンポン弾み、ジュスティビエーヌは、後ろ向きになって、背もたれに抱き着いていた。
クロエも前かがみになって、必死で吐き気を堪えているようだ。
上下左右にひっきりなしに揺れて、サンジュは、おもしろいと思ったのだが、舌をひどく噛んでしまった。
この状況では、話すどころではない。
「すとーっぷ!」
たまりかねて、カイトが叫んだ。
車は土煙を上げて止まった。
「ボクはここで降りる。プリンセス・イガミが迎えに来てくれるからね」
言い終わらないうちに、むくむくと鈍色の雲が湧きあがり、生臭い匂いが、辺りに満ちて行った。
重い雲を二つに割って、恐ろしい竜の顔が現れた。
「あ、来てくれた」
カイトは車から飛び降りた。
空へ飛び上がりかけてから、思いついたように振り返った。車の窓から顔を突っ込む。
「ボクさ、あのことは、絶対誰にも言わないよ。特に、ジークとデジレには。だって、兄妹同士は、恋愛しないものね」
にやりと笑った。
「そしたら、サンジュにも、チャンスは巡ってくるだろう?」
「いや、俺はそんな……」
……守護である自分には、恋にうつつを抜かす余裕なんて、ないんだ……
そう言いたかったのに、カイトは、聞いてはいなかった。
高く飛び跳ね、龍の頭に着地した。
二つの角の間に、ちょこんと収まった。
龍はレモンイエローの優しいまなざしで、サンジュを見た。
それから、隣のジュスティビエーヌに気がついた。
にわかに目の色が、濃い山吹色になった。
ジュスティビエーヌが、にたりと笑った。
縮めてあったミュニエルを、大きくする。
緊張感が漂った。
その時、何食わぬ顔でカイトが立ち上がった。とことこと、龍の首の辺りまで下りて行く。
顎の下を探り、一枚だけ逆さに生えていた鱗を、そっと撫でた。
ぶおーっ、と、強い鼻息を吹きだし、龍は大きく旋回した。
そして、カイトを乗せたまま、あっという間に、雲の間に消えて行った。
空は再び晴れ渡り、小鳥たちが、何事もなかったかのように、また、囀り出した。
ジーヴスは、ため息をついて、エンジンをかけようとした。
が、精密な機械に、土でも入り込んでしまったのか、なかなかかからない。
「あ。待つにゃ」
ジュスティビエーヌが言った。
「あちきも降りる」
「あら、ジュスティビエーヌも? 遠慮しないで、塔まで乗って行けばいいのに」
相変わらず吐き気を無理やり押さえつけた顔で、クロエが言う。
「いやにゃ。腰が痛くなったにゃ。乗り心地が悪すぎにゃ」
大げさに腰を、とんとんと叩く。
肩を竦めて、クロエは言った。
「サンジュは、残るわよね」
「あちきが降りたということは、サンジュも降りるということにゃ」
「え、なんでだよ?」
自分の意志を無視されて、サンジュは少し、むっとした。
車の揺れがおもしろいので、このまま乗って行ってもいいと、思っていたのだ。
しかし、きっぱりと、ジュスティビエーヌはのたまった。
「サンジュには、かよわいあちきを、塔までおんぶしていく義務があるにゃ」
「誰が、かよわい、って?」
言いつつも、サンジュは、車から降りた。
ジュスティビエーヌは、年寄りだ。
それに、魔物との戦闘があったばかりだ。
さぞや疲れているだろうと思うと、気の毒だった。
「ったく、サンジュも人がいい……」
車の中でクロエがつぶやいた。
ふと、こちらへ目を向けた。
「あのね、サンジュ。希望を持っていいわよ。ジークのことを好きなのは、デジレだけじゃないから。強力な恋敵がいるの。……ユージンよ。ユージンの強い愛にジークはほだされ、恋に破れたデジレは、きっとあなたの元に……」
この時、ジーヴスがエンジンをかけることに成功した。すさまじい音をたて、車は、あっと言う間に、砂塵の彼方に走り去っていった。
案の定、ジュスティビエーヌは途中で眠ってしまった。
「しまった。ミョルニルを車に残すように言えばよかった……」
サンジュは、地団太踏んだが、後の祭りだった。
重いジュスティビエーヌをおんぶして、なんとか、塔まで帰り着いた。
鉄のバッファローの姿は見当たらなかった。草原で抜いた覚えもないから、まだ、帰りついていないのだろう。
寄り道でもしているのかもしれない。クロエは、乗り物酔いで具合の悪そうだったから、静かな所へ寄って、休んでいるのだろう。
クロエとジーヴスだけでなく、カイトもまだ帰っていなかった。プリンセス・イガミと一緒に、見回りでもしているのか。
それにしても、重かった。
……ジュスティビエーヌのミョルニルが。
サンジュは、へとへとになっていた。
ジュスティビエーヌの部屋は、塔の上階である。
曲がった階段が、本当に怖かった。
「ナントカと鶏は高い所が好き、って言うよな」
ぶつぶつ言いながらどうにか階段を上り切った。
「ほら、着いたよ」
ジュスティビエーヌは目を覚まさない。
よっぽど疲れてるんだな。
そう思い、サンジュは、そっとジュスティビエーヌをベッドの上に下ろした。
掛布団をかけてやっていると、眠ったまま、ジュスティビエーヌがつぶやいた。
「女は、最後には、優しい男のところへ帰ってくるものにゃ」
そして、むにゃむにゃと何事か呟いて、寝返りを打った。
サンジュが部屋を出るまで、ジュスティビエーヌは、とうとう目を覚まさなかった。




