十二年前……
明るい昼の光が射しこんでいる。
磨き上げられた大理石の床には、柔らかい色調に織り上げられたラグが、ふんわりと敷いてある。
ラグの上には、タオル地でできたボール、熊のぬいぐるみ、輪っかに鈴をたくさんつけたおもちゃ……。
大きなラグが、足の踏み場もないほど散らかっている。
クッションを積み重ねた部屋の一隅に、おもちゃの持ち主がいた。
ピンクのつなぎ服を着せられた、とてもかわいらしい赤ちゃんだ。
ふっくらした頬、ハシバミ色の大きな瞳、髪は白に近いプラチナブロンドだが、いずれ豪華な金色に変わることを予感させる。
赤ん坊は、大判で厚みのある、古いめかしい皮表紙の……本に見える……に両手をつき、しきりに立ち上がろうとしていた。
「すごい、すごいねえ、デジレ」
女の子とよく似た瞳の少年が、そばで手を叩いている。
少年は、五歳くらいか。俊敏で、利発そうに見える。
「立っちできたねえ。デジレは、すごいねえ」
赤ん坊は、満面の笑顔を少年に向けた。
少年を真似て、両手を叩こうとし……あえなく転んだ。
「デジレ!」
少年は慌てて、赤ん坊を起こそうとした。
赤ん坊は転がったまま、上機嫌できゃっきゃと笑っている。
起こそうとする少年の手が、くすぐったいのだ。
赤ん坊の笑いが何によるものかを理解して、少年も笑った。
もっともっと笑わそうと、ピンクのロンパースの上から、くちゅくちゅとくすぐる。
赤ん坊は涎を垂らして、声を立てて笑いころげている。
「あなたたち……ここにいたの?」
手の込んだ刺繍のほどこされたドレスをまとった女性が、駆けこんできた。
髪には、宝石をちりばめたティアラをつけている。
嬉しそうに少年は叫んだ。
「イゾルテ叔母上」
「叔母上じゃないのよ、ジーク。ママよ」
女性は、ちょっと悲しそうに言った。
「僕の母上は死んだ」
少年は答えた。少し、頑固な口調だった。
「あなたは、死んだ母上の妹だ。父上と結婚なされても、そのことは、変わらない」
女性はため息をついた。
「仕方ないわね。いつか……ママと呼んでくれるかしら?」
「いやだよ。叔母上は、僕の大事なひとだ。大好きだよ、イゾルテ叔母さん。でも、母上とは違う」
「ジーク……」
女性の目が悲しげに伏せられた。
「時が来れば……」
その時、憂いを帯びた女性の視線が、部屋に投げ出されている大判の皮表紙の上で止まった。
さきほど、赤ん坊がつかまり立ちをしていたものだ。
「魔道書……」
イゾルテと呼ばれた王妃の、色を失った唇がわななく。
「どこからこれを……」
「鍵のかかる部屋。綴じた紙のいっぱいある、埃の匂いのするお部屋。今朝、南京錠が開いていたんだ。デジレが立つときにつかまるのに、ちょうどいい高さだと思って、僕、持ってきた」
得意そうに、少年は言った。
ふと、王妃の目に、恐怖の色が浮かんでいるのに気がついた。
「叔母上? どうしたの?」
少年が言い終わらないうちに、凄まじい咆哮が、部屋の空気を揺るがした。
本の真上、何もなかった空間に、みるみる、裂け目ができていく。
「ジーク。デジレ!」
王妃は叫んだ。
「叔母上。僕がデジレを……」
少年が妹を抱き上げた時、裂け目から、見るもおぞましい、鉤爪が現れた。
王妃は二人の子の上に、身を投げ出した。




