父と息子
■父と息子
ジークのバリアが幸いした。
人々は、次第に意識を取り戻しつつある。
マリアンヌは、デジレの元へ走っていった。
その手を取り、かいがいしく、世話を始める。
倒れている人々に、クロエが、応急処置を施していた。
ジュスティビエーヌとカイトも、言われるままに、水を運んだり、体を保温したり、走り回っている。
「サンジュ、水っ!」
「こっちはタオルが足りんにゃ」
「え? ああ……」
サンジュは、ただ、突っ立っていた。
倒れている人の鼻に、気付けの小瓶を当てていたクロエが、瓶を置き、サンジュに近寄ってきた。
「しっかりなさい。何をぼんやりしているの?」
「俺が、空へと飛ばさなければ……」
「カイトが魔物を殺したことは、守護として、当然の務めなのよ」
「わかっている」
「ジュスティビエーヌを救ったのよ、あなたは」
「しかし、俺がもう少し思慮深く行動していたら、あの魔物だって、死ぬことはなかったろうに。あいつだって、もっと生きたかったと思う」
クロエは、サンジュの腕を叩いた。
「コングラの最後の教えは何?」
……敵に、必ずとどめを刺せ。魔に属するものを、生かして帰してはならぬ……
老師の声が、サンジュの耳に蘇った。
もしかしたら、自分はまだ、一人前の守護ではないのかもしれないと、サンジュは心細く思った。
不意に、悲鳴があがった。
はっとして、振り返ったサンジュの目に、ジークが、帝に剣の切っ先を突き付けている姿が映った。
「なにをするんだ!」
「来るな」
駆け寄ろうとするサンジュを、ジークが制した。
ジークは帝と向かい合って立ち、その剣は、帝の喉を、まっすぐに狙っている。
「さあ、本当のことを言うんだ。わざと結界を弱めたろう」
帝は、寸分の迷いも見せず、ジークの眉間の真ん中をにらみつけた。
人々は、塑像のように立ち尽くす。
「お前は、サンジュを殺す為に、城に呼んだ。いや、違うんかな? サンジュを見た途端、殺したくなった。いずれにしろ」
ぐいと、剣をつきつける。
「初めから、結界を緩める気だったんだ。臣下たちのことは、どうでもよかったのだろう」
広間は、静まり返っている。
まるで誰もその場に存在しないかのように。
「ちょっと待ってくれ」
喉に込み上げるいがいがしたものを飲み下し、ようやく、サンジュは言葉を発した。
「殺す為に、俺を城へ呼んだ? どういうことだ? なぜ帝は、俺を殺さなくちゃならない?」
「それは、君が……」
ジークは言い淀んだ。
思い切ったように顔を上げ、サンジュを見据えた。
「君が、黄色い肌の男だからだ。すまない、サンジュ。こんな風に言って……」
「いや……。そんなことより、どうして俺の肌が黄色いと、帝は俺を殺したくなるんだ?」
「君が魔物を呼び込んだと言えるからだよ。全てを君のせいにできるからだ」
……いにしえの昔、黄色い肌の民は、結界を超えることを許されなかった。その民族が世界を滅亡に導いたから……。
クロエが教えてくれた事実が、再び、サンジュの胸をえぐる。
「そんな……」
「この男は、魔物を呼び込み、それを君のせいにしようとした。魔物が現れたのは、自分が、こっそり結界をゆるめたせいなのに」
「結界をこっそりゆるめる? なんてこった。なんで帝は、そんなことを……」
「この男は、時々、楽しみのために、そういうことをする」
ジークは、大きく息を吸った。
「母上を死なせた、あの時のように」
「この者を捉えよ。帝を侮辱した、この者を捉えるのじゃ」
帝が叫んだ。
だが、衛兵たちは、凍りついたように動かない。
「なにをしておる。こやつを捉えよ。帝の命を聞かぬは、死罪じゃ」
「ジーク様、もう、参りましょう」
剣を帝に突き付けて立ち尽くすジークの袖を、ユージンが引いた。
「このままでは、衛兵達にまで累が及びます。結界が緩んだのは、事故。いずれにせよ、そう処理されるのです。……十一年前のあの時と同じく」
「それは、故意ではないのか。殺意ではないのか」
ジークは叫んだ。
そして、はっとして息をのんだ。
「結界を緩め、魔物を呼び、僕を……僕を、殺そうとしたのか」
誰も答えない。
「そんなにも、僕は、憎まれているのか? 実の父親に?」
低い声でジークは笑った。
今まで聞いたこともない、奇妙な声だった。
「ジーク……」
そんな笑い方をするジークが、痛ましかった。
サンジュに声をかけられ、ジークは白い顔を振り向けた。
その顔にはまだ、帝に向けられていた凄味のある微笑が残っていた。
サンジュは、出会ったばかりの頃のことを思い出した。
殺したい人間がいるのかと尋ねた時、ジークは、きっとサンジュをにらみつけた。
……いる、と言ったら?
同じ言葉が、今、サンジュの脳裏に蘇る。
ジークは、父王を殺す為に、この国で唯一、殺人が許されている守護になったというのか。
ジークの目線がサンジュのそれと交錯した。
一瞬、その目にためらいの色が見えた気がした。
帝の喉に突き付けた剣の切っ先が、細かく震える。
ジークとサンジュの間に割り込むように、ユージンが進み出た。
「それを知って、何になります? あなたは、廃太子。もはや、ラウルス皇家とは、完全に縁が切れているのです」
ジークは深くうな垂れた。
「あなたには、わたくしがついております。忠実な臣下、ユージン・オマールが。世界は広うございます。この国、このアンタクティカ大陸の他にも、必ずや、生きる場所はございます」
クロエがユージンに、目で合図を送ったのを、サンジュは見た気がした。
カイトもジュスティビエーヌも、見て見ぬふりをしているような気がしてならない。
ユージンは、そっと、ジークの肩を抱いた。
ジークの剣が、帝の喉を外れた。
からん、と乾いた音をたてて、大理石の床に転がった。
不意に、ジークの表情に力が戻った。
「デジレは、連れて行く。薬で自由を奪うような父親の元に、妹を置いていくわけにはいかない」
「それは、無理だ」
帝は立ち上がり、デジレの前に立ちはだかった。
「デジレの飲んでいる薬は、切らすことのできぬ薬。効果が切れれば、命にかかわる。そして、その素となる薬草は、この王宮にしかない。そうであったな、クロエ」
「御意」
「ちょっと、待ってくれ」
とても自分の出る幕ではないと、サンジュは思った。
でも、このまま見過ごしにできなかった。
デジレは、何も聞こえていないし、何も見えていないようだった。
これがあの、一緒にほうきで空を飛び、湖ではしゃいでいたデジレなのか。
牢獄で宝石のように輝き、内気そうにタオルを差し出した、あの……。
「デジレは、もう、元には戻らないのか?」
「大丈夫、今回は薬の量が、多かっただけよ。強い薬だから……」
……とても強い薬で、分量を誤ると、大変なことになる……
赤ちゃんの頃浴びた魔毒のせいで、薬が手放せないようになったと、デジレは言っていた。
なんてことだ。
皇宮にいながら、デジレは、魔毒にさらされたというのか。
帝が、顔を歪めた。
それが、不敵な笑みであることに、サンジュは気がついた、
「結界が張り巡らされた皇宮の奥の奥、そこに魔物が入り込めると、誰が思うか。近くに守護がいなかったのも、当り前。だが、神聖なる後宮に、魔物を呼び込んだものがおるのじゃ」
帝は目を細めた。
猫なで声で問いかけた。
「のう、守護サンジュ。誰のせいでデジレは、魔毒にさらされたと思うか」
「恐れながら……」
ユージンが進み出たのを、帝は鞘に納められたままの剣で突き払った。
鞘の先が鳩尾を突き、ユージンは倒れた。
「ユージン!」
ジークが駆け寄ろうとした。
「ジークフリート!」
雷のような激しい声が、辺りの空気を震わせた。
帝は、烈しくジークを睨みつけている。
まるで、視線で射殺そうとしているかのように。
「事実は曲げられまい。のう、廃太子。誰のせいで、デジレは魔毒に晒された?」
「答える必要はありません」
腹部を抑え、背を丸めたままの姿勢で、ユージンが、必死でジークににじりよる。
「黙れ、下郎。臣下の分際で朕に逆らうか」
「私の勤めは、ジークフリード様をお守りすること。その為には、たとえ相手が、今上陛下であろうと、一歩も引くつもりはありませぬ」
「おのれ……」
「いいんだ、ユージン」
ジークがユージンの肩に手をかけた。
「全て……」
小さな声が、喉から絞り出される。
「全て……僕の」
「なんじゃ? 聞こえぬぞ」
「全て、僕のせいだ。デジレが魔毒に晒されたのは、僕のせいなんだ」
ジークの声は弱々しかった。
けれども、聞き間違いようがなかった。
サンジュは震えた。
帝の冷徹な声が響く。
「聞いたか、守護サンジュ。デジレは、の、実の兄のせいで魔毒にさらされ、このように薬を切らせぬようになったのじゃ。そして、この薬は、王宮にしかない。この王宮でしか、作らせていないからだ」
帝は、ぐっと、ジークを睨み据えた。
「デジレは、渡さぬ」
ジークは、わなわなと唇を震わせた。
長い時間に思われた。
だが、ほんの一時だったのだろう。
ユージンを後ろに従え、マントをはためかせて、ジークは、去って行った。
かつかつという、固い足音が、いつまでも、謁見の間に響いてきた。




