謁見の間
王城は、首都アルスの一番奥、なだらかなヴェスニオ山を背に、聳え立っていた。
それ自体、建物のほどに立派な王門をくぐると、広大な庭園を横切って、玉砂利を敷き詰めた道が、まっすぐに通っていた。
謁見の間は、その先にあった。
ぴかぴかに磨きたてられた大理石の床に、赤いビロードの絨毯が、長くのべられている。
周囲には、恰幅の良い廷臣たちが居並び、着飾ったご婦人たちが、羽のついた扇を仰いだりしている。
人々の見守る中、サンジュは、赤い絨毯の上を進み、玉座の前で跪いた。
むっとするような人いきれと香水の匂いに、くらくらする思いだった。
やがて、銅鑼の音が響き、聞いたこともない音色の楽曲が、始めは静かに、次第に音高く流れてきた。
宝玉をはめ込んだ扉が静かに開いた。
サンジュは、深く頭を下げた。
どれほどの時間、そうしていたろう。
勇壮で雅やかな音楽が、どこか陰りを帯びた音程に変化したと思ったら、静かにフェードアウトした。
耳がきんとなるほどの静けさが、謁見の間に広がった。
「表をあげい」
男にしては高い声が、そう言った。
サンジュは顔を上げた。
そこにいたのは、長いローブを身にまとい、高い背もたれの玉座に座った、帝だった。
帝と、それから……。
その少女は、魔女の服でも、はさみで裾を切り取ったドレスを着ているわけでも、なかった。
代わりに、豪奢な縫い取りのあるベージュがかかった色のドレスを着、光り輝くティアラを頭につけていた。
わずかなほほ笑みを口元に浮かべている。
心の抜けたような、薄い笑みだった。
「デ、ジレ……」
サンジュは、しかし、声に出すことは、しなかった。
塔の仲間のことを思ったからだ。
やり方に問題はあるかもしれないが、クロエたちは、一貫して、サンジュの味方についてくれている。
彼らは、単純だった。計画性も、そして悪意も、ない。
なにか、理由があるのだ。
デジレがここにいる理由、そして、サンジュがデジレのことを知っていてはいけない理由が……。
何より、デジレがサンジュを認識していないことが、サンジュを慎重にさせていた。
重々しい声が響き渡った。
「朕は、帝である。ラウルス皇国皇帝ヴォルフガング・アマデウス。そしてこちらが、わが娘、皇女デジレ」
重々しい声が響き、サンジュはやっとのことで、デジレから、視線をひっぱがした。
ヴォルフガング・アマデウス。
ラルース皇国皇帝。
そして、デジレは、その、娘……。
クロエたちが、なぜ、デジレのことを忘れさせようとしたか、おぼろげながらわかった気がした。
身分違いの……
……恋?
まさか。
「守護サンジュ。このたびは、アルス在住、ゲオルグの逮捕、まことにご苦労であった。法を破って殺人を犯した者は、厳しく罰せられなければならぬ」
サンジュは、王の傍らのデジレを盗み見た。
皇女と身分を明かされたその少女は、何の反応も示さない。
微笑んではいるが、話している内容そのものも、理解していないのではないかと思われるほどの、心もとない笑みだ。
帝は続けた。
「常日頃から、よく魔物と戦い、国の安全に貢献していると聞いている。礼を言うぞ」
「もったいなきお言葉にございます」
「のちほど、褒美をとらせよう」
「褒美なら、」
ろくに考えるひまもなく、サンジュは言った。
「どうか、グスタフの妹、ペネロペに、新しい腎臓を賜りますよう」
「グスタフ?」
「医師でございます。城外の……」
サンジュがそう言った時、廷臣たちがざわめいた。
「静かに」
帝が言った。
「郊外に住む者を助けよ、と? この儂に?」
「郊外に住むとて、同じラウルスの民であることに変わりはありません。アルスに住むものと、どこが違いましょうや」
サンジュは必死で言った。
帝は、じっとサンジュを見つめた。
色のない瞳が、どんよりと濁って見える。
「反逆の徒を……、まつろわぬ民を、救えと、な?」
ざわめきが大きくなった。
帝は、大きく頷いた。
「どうかな、皆の衆。守護サンジュの罪は」
「有罪にされるべきです」
「極刑にも値する……」
「いっそ、今、この場で、わが剣にて……」
「神聖な宮殿を汚れた血で汚すおつもりか。烏滸でござろう」
「帝の御心のままに、相応の御処分を」
廷臣たちが、口々に叫ぶ。
「聞いてくれ!」
サンジュは叫んだ。
「結界が弱まっている。城壁の外に暮らす人から、魔物の餌食となっていくんだ。魔毒に苦しむ人を、帝、お願いだから助けて下さい」
「結界が弱まっている、とな?」
帝が咎めた。
「結界を張っているのが、朕と知ってのことか」
「人から、聞き知ってございます」
「その上で、結界は弱まっておる、と申すのじゃな」
「御意」
「無礼ではないか」
諸侯たちの間から、叫びが上がった。
「無礼ではない」
振り返って、サンジュは叫んだ。
「俺は、俺の名において、思ったことを申し述べたまでだ。いやしくも人の上に立つ人間なら、何が起きているか、正確に知る必要がある。たとえそれが、城壁の外であっても、だ」
「何を、お前ごときが。黄色い肌の、東洋人め」
廷臣の誰かがつぶやいた。
小さい声だった。
だが、聞き逃すわけにはいかなかった。
「俺は侮辱を好まない。父祖への侮辱なら、なおさらだ。今、言ったやつ。出て来い。勝負しろ」
腰に吊るした剣の柄に手をかけた。
「御前で武器に手をかけるとは」
「守護を鼻にかけた、許しがたい傲慢」
人々がどよめいた。
鎧をまとった衛兵が、ざっとなだれ込んできた。




