炎属性
微かな音を、サンジュの耳は捉えた。
湖のほとりでグスタフに出会った時は鈍っていた感覚も、だいぶ、回復したようだ。
「この辺り、他に民家は?」
「東に少し行った辺りが集落になっているけど?」
「じゃ、湖周辺には、人はいないな」
「ああ、湖から一番近い家が、うちだ。どうしたというんだ?」
「気配がする」
「魔物か?」
グスタフの反応は、いささか早すぎる気がした。
「この頃、魔物の襲来が多いんだ。親の時代から比べても、明らかに多くなっている。……結界が弱まっているんじゃないかと思う」
サンジュの疑問を察したのか、グスタフは、早口で言った。
「城壁の外で魔毒にやられる人間が増えたのも、それが理由だと思う」
「結界が弱まっている……」
それは、以前から、サンジュも感じていたことだった。
塔周辺の見回りをしているジュスティビエーヌは、三日に一度は魔物を倒しているし、空から下を見下ろしているカイトも、しばしば魔物を退治していると言っていた。
そのように頻繁に魔物と接触することは、サンジュがコングラ師と共に、森に棲んでいた頃にもなかったことだった。
「どうしよう。ペネロペが……」
眠ったきりのペネロペを動かすことなどできな。
「俺が、魔物を引き付ける。あんたは……あんたとペネロペは、安心してていい」
そう言い残して、サンジュは家の外に出た。
聞こえる。北東の方角から、風に乗って微かに……。
……炎の燃える音?
「来た!」
激しく、サンジュは跳梁する。
一瞬後、そこは、黒く焼け焦げていた。
凄まじい音が、木々の梢を渡る。
焦げ臭いにおいが伝わってくる。
透明に赤い光が、長い触手を伸ばしてきた。
からめ捕られたかと見えた瞬間、サンジュの体は横に飛んだ。
違う。方向が……。
集落の方向へやるわけにはいかない。
力いっぱい土を蹴り、北へ向かって、サンジュは走り始めた。
悔しそうな叫びが聞こえ、次々と、炎の塊が、空から降ってくる。
「こっちだ!」
サンジュは叫び、急な上り坂を猛スピードで走った。
湖とは逆方向になる。
勾配は次第にきつくなり、炎の襲来も激しくなってくる。
右へ左へ、火炎をよけながら、道なき道を、サンジュは駆け上る。
カカカカ……。
軽い叫びが聞こえる。
魔物は楽しんでいるようだ。
久しぶりで見つけた、襲いがいのある相手を追いかけることを。
身の軽い、逃げ足の速い獲物を襲うことを。
魔物は、サンジュのすぐ後ろまで迫っていた。
背中が、焼けつくように熱い。
サンジュは走り、全速力で走り、木々の間を潜り抜け、藪を飛び越え……。
そこは端だった。
先は、空だった。
サンジュの体はあっという間に、崖から転げ落ちた。
サンジュのすぐ後ろに迫っていた魔物は、あわてて、止まろうとした。
が、なみのスピードではない。
たまらず、その後から転げ落ちて行った。
炎が消えていく音がする。
「服を一着、ダメにした」
崖から垂れ下がる蔦にぶら下がったサンジュは、そう、ぼやいた。
それから、きれいなダイブを描いて、湖に飛び込んだ。
まだ冷たい湖の底に潜ると、すっかり小さくなった炎を両手で救った。
結界の場所はすぐわかった。
時空のゆがみに耐えきれず、一時的にめくれた形跡が残されていた。
やはり、結界は、弱くなっている……。
「もう、こちら側へは来るなよ」
そうつぶやくと、サンジュは、小さくなった炎を、結界の向こうへ放り出した。
コングラの怒った顔が、頭に浮かんだ。
今回もやっぱり、トドメをさすことは、できなかった。




