かなわぬ恋と嫉妬
ぬかるんだ土の、狭い道だった。
並んでは歩けないので、サンジュが先に立って歩いていた。
少しでも、ぬかるんだ道を踏み固めてあげたいのだが、後ろからついてくるデジレにハネをあげないのが、精いっぱいだった。
両側は、丈の低い木立が連なっていた。まだ肌寒い季節にも拘わらず、赤い小さな釣鐘型の花が、鈴なりに咲いていた。
デジレは、先日のドレス姿から、魔女の格好に戻っていた。
尖ったつま先の反り返ったきゃしゃな靴では歩きにくいらしく、時折、きゃっ、という悲鳴が聞こえてきた。
こまめに滑っているらしい。
その都度、サンジュは、振り返って手を取ってやりたい衝動を、固く抑えた。
魔女の服……ジュスティビエーヌ言うところの腐女子の制服……のスカートは、短めでかわいらしい。
が、とんがり帽子とマントは、昼間見ると、なんだかちょっと、奇妙だ。
黒、という色も、デジレに似合っているとは言い難い。
デジレには、もっと明るい色が良く似合う。
赤やオレンジのような個性の強い色ではなく、柔らかいパステル調の優しい色合いがいい。
ドレス姿の方が好きだな、と、サンジュは思った。
「あの……。城壁を超えるには、この方が動きやすいので」
サンジュの心中を察したのか、デジレが言い訳をした。
「なにも、城郭を飛び超えなくても、この時間なら、普通に門から出てくればいいのに」
「あの。えと。マリアンヌが……」
デジレは、明らかに困っているようだった。
やたら口うるさい侍女のことを、サンジュは思い出した。
マリアンヌに内緒で来たのだと、サンジュは悟った。
どこへ行くにもついてこられたのでは、まいてやりたくもなりよな、と、密かにサンジュは、デジレに同情した。
「マリアンヌは、いつも、わたくしのことを、心配してくれているのです。わたくしが、危険なのことをしないように、変なものを食べないように、お薬の時間を忘れないように……」
「薬?」
おもわず、サンジュは聞き返した。
「君は、病気なの?」
「赤ちゃんの頃に浴びた、魔毒のせいで……」
道はわずかに上り坂になり、デジレは、軽く息を切らせていた。
サンジュは思わず、立ち止まり、振り返ってしまった。
「大丈夫?」
「今は、全然」
明るい笑顔が返ってきた。
「お父様が宮……家の庭に薬草を育てていて、それで、薬を作ってくれているのです。定期的にその薬を飲みさえすれば、大丈夫」
「ほんとうに?」
「ええ。ただ、とても強い薬で、分量を誤ると、大変なことになるんです。ぼんやりして、意識を失ったり、もっとひどいこともあるみたい。だから、マリアンヌは、とても神経質になっているんです」
「魔毒ってことは、魔物にやられたの? 近くに守護はいなかったのか」
腹の底から鈍い怒りがこみあげてきた。思わず乱暴な口調になって、サンジュは尋ねた。
守護がいさえすれば、やさしい国の民、ラウルス皇国皇民が、魔物に襲われることなどない。
ましてや、長期にわたって薬を飲まねばならぬほど魔毒にやられるなど、ありえないはずだ。
「守護の方は、間に合いませんでした。母は、わたくし達をかばって死にました。母に抱えられたわたくしも、その時、死ぬはずだったのです。わたくしを守ってくれたのは、お兄様……たったひとりの兄でした」
ふっと目を伏せた。
「わたくしは、そんな兄を、ずっと慕って生きて参りました。兄のいない人生なんて、考えられません。それなのに……」
……わたくしに愛想をつかして、出て行ってしまいました。きっとそうです……
デジレは、そう、言っていた。
「……」
サンジュは、激しく混乱していた。
兄と妹。
だったら、そこに、自分が割り込む余地はあるのか。
いやいやいやいやいや。
だから、自分は、守護なのだ。
コングラ師の跡取りなのだ。
女性に対してそんな気持ちを抱くなど……。
でも、兄と妹だったら?
もしかして、自分にも、ワンチャンありってやつ?
デジレが目を上げた。
「わたくしは、弱い人間です。自分の気持ちを抑えることができません。サンジュ様。わたくしを、変だとお思いになりますか?」
その一言が、わずかに灯りかけた希望を打ち砕いたように、サンジュは感じた。
「お兄さんは、あなたのことを、どういう風に……」
やっとのことで、そう尋ねた。
声はかすれ、最後まで言うことができなかった。
「兄は……。兄は、人から好かれる、優しい性格です。太陽のように明るく、五月のそよ風のようなさわやかさをもちあわせています。わたくしにマリアンヌがいるように、兄にも、年の近い従者がおります。宮……家を出ていく折も、わたくしは置いてけぼりでしたのに、その方は、同道されました。わたくしが思いますに、どうやら兄とその方は……」
「きれいな人なのですか?」
そんなことはどうでもいいと思いつつ、つい、尋ねてしまった。
デジレよりきれいな女性など、サンジュには、想像もつかない。
デジレはため息をついた。
「それはもう、目を奪われるほどに。男性にしておくのがもったいない方です」
「はあ、それは……」
お気の毒に、といいそうになって、ふと、言葉が途切れる。
ん?
男にしておくのがもったいない?
ということは?
「男?」
「それはもう、りりしくまた賢く、兄とは違ったタイプの美しい方で、宮……家におります女性たちの人気も、相当なものでございました」
「えと。ちょっと聞いていいですか?」
「はい、どうぞ」
「お兄さんは、男ですよね」
「ええ」
「で、その方も、男」
「わたくし、そう申しましたことよ」
「はあ。そうでしたね。そうでした」
我ながら間の抜けたことだと、サンジュは思った。
男と男。そういうことだってありうる。
妹が兄を恋い慕うのだもの。
そんな妹に任務も忘れて恋をし、危うく失恋するところだった馬鹿な守護だっているのだもの。
「実際の所、兄の気持ちはよくわかりません。でも、その方は、真剣に、兄のことを思っているようです。兄の為なら、自分の命を捨てることさえ厭わないでしょう。それはもう、怖いくらい。ですから、宮……いえ、家にいるうちから、わたくしの立ち入る隙は、まったくありませんでした」
すこしためらってから、続けた。
「わたくし、あの方が、大嫌い」
「はあぁぁぁぁ」
サンジュはため息をついた。
話が複雑すぎて、ついていけない。
いったい、デジレとその想い人……兄……の間に割り込むことができるのか、兄と従者の恋が成就することはあるのか、もし、そうなれば、デジレも兄を追うのをあきらめるのか。
そもそもの原点、未熟な守護である自分が、恋を自覚していいものか。
デジレは、自分のことを、どう、思っているのだろう。
その点について、追及する気は、全くない。
サンジュは、傷つきたくなかった。
守護は恋をしてはいけないなどと、コングラ師は教えはしなかった。
ただ、女には気を付けよと、自分の経験則を述べただけだ。
サンジュは、デジレに、嫌われたくなかったのだ。
そばにいたかった。
だから、デジレの気持ちを確かめるなどという危険を冒さずにすむよう、守護という任務へと逃げ込んだだけといえる。
サンジュが、デジレを好ましく思う気持ちに変わりはない。
でも、サンジュは今、ただただ、混乱するばかりだった。
「わたくしね」
ためらいながら、先を歩いていたサンジュとの間を詰めて、デジレがささやいた。
「サンジュさんと一緒にいると、こういう自分の醜い気持ち……嫉妬とか、人を嫌いに思う気持ち……が、散っていくように感じるんです。なんだか、あなたは、わたくしの全てを許してくれそうな気がして、だから、悪い感情を忘れることができるんです」
すぐそばに近寄り、そっとサンジュの手を取った。
「サンジュさん。わたくしは弱い人間です。すぐに、いけない感情に支配されてしまう。だから……そばにいて下さい。わたくしが、悪い人間にならぬよう、いつもそばにいて、わたくしを見守っていてください」
「あなたは、悪い人間になど、なりようがない」
サンジュはそう言って、自分の手を引き抜こうとした。
できなかった。
サンジュの手をそっと包み込むデジレの手は、なめらかで柔らかく、そして、温かかった。




